夫が切り抜いてた新聞記事。「東京国立近代美術館かいわい」
先日、東京国立近代美術館にガウディ展を観に行った時、皇居東御苑も行きたかったそうですが、
疲れたし、暑かったのでやめたのです。今回は、皇居三の丸尚蔵館に行くので、東御苑も散策。
ネットから印刷した地図。貼り合わせてます。
地下鉄東西線の竹橋で下車し、平川門から皇居に入りました。
乾通りが明日まで一般公開中ですが、混雑していそうなので、やめました。
皇居乾通り一般公開2023年秋の混雑による待ち時間など
平川門。
夫が記念撮影。遠すぎて見えませんねw
正面の黄色は
震災銀杏? 関東大震災で奇跡的に生き残った銀杏を移植されたものだそう。
私。近過ぎるw
皇宮警察本部坂下護衛署平川門警備井派出所で手荷物検査。
皇宮警察という独立した警察があるのですね。
平川門。
太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来です。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年(寛永12)年、高麗門(第一門)、渡櫓門(第二門)という強固な枡形門のスタイルとなりました。
高麗門(第一門)。
渡櫓門(第二門)。
皇居東御苑と上皇上皇后両陛下。
平川濠。
天神濠。
鴨も居ました。
紅葉がきれい。
梅林坂。
梅はまだだけど、咲いたら綺麗でしょうね。
宮内庁書陵部。宮内庁書陵部は、宮内省・宮内府・宮内庁の公文書や古典籍・古文書類を収めた書棚・木箱を管理する機関です。
天守台。
江戸城天守台(皇居東御苑)
江戸城本丸北隅にあった天守(天守閣)は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていました。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当。石垣は、南部、津軽の二候が築いたとされています。現在は、皇居東御苑内に修復、保存され、天守台の上に登ることもできます。
見るだけで、上りませんでした。
桃華楽堂。
昭和41年2月に音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう=昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホール。キンポウゲ科の「テッセン」の花弁(八弁花)を形どつた屋根と八面体という珍しいフォルムで、江戸城本丸跡、天守台の横に建っています。天守台石垣横に不思議な空間を生み出しています。
外壁のモザイク・タイルの図柄は、各面とも大きく羽ばたく鳥を抽象的に描いたものに、日月星・衣食住・風水火・春夏秋冬・鶴亀・雪月花・楽の音・松竹梅を施したもの。
モザイク画が素敵です。
江戸本丸跡。
山茶花?
ツワブキ。
群生してますね。
大奥跡。
江戸城本丸・大奥跡 (皇居東御苑)
井戸?
ツバキ園。
低く刈り込まれてるツバキも。
宮内庁楽部。雅楽演奏会などが開催されるそう。
大木で、0.5倍で撮りました。
汐見坂。
汐見坂(皇居東御苑)
江戸城の本丸と二の丸をつなぐ坂道。江戸城築城の際には、江戸湾の日比谷入江が目の前まで迫り、坂の途中から海が見えたのが名の由来です。往時には坂の上には、汐見坂門がありました。また坂の横には白鳥濠があって、防御が堅いのがよくわかります。
急坂で車椅子は通行しない方がいいそうです。
白鳥濠。
二の丸雑木林。
昭和天皇のご発意・二の丸武蔵野雑木林
雑木林から土壌を移したというのがすごいですね。
白嫁菜。
百合?
散歩道が嬉しい。
秋の七草。
休憩所。中の自販機でコーヒーを買って休憩。
開園前の写真と今の写真を比較して展示。
馬場が二の丸雑木林に。
中之門跡。
大手門渡櫓。
東御苑の沿革。
花だより。
自然・生き物情報。
花だより。
梅林坂。
これも白嫁菜。ススキも。
皇居正門石橋旧飾電燈。
皇居正門石橋(眼鏡橋)
百人番所。
江戸城百人番所(皇居東御苑)
江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。百人番所は、本丸と二の丸へ通じる要所である「大手三の門」を守る大切な番所でした。
皇居東御苑内で、同心番所の前を抜け、本丸大手門(大手三の門)の渡櫓門石垣の間を抜けると、百人番所。
数少ない江戸時代から残る江戸城の遺構で、検問するだけでなく、幕府直轄の精鋭部隊、鉄砲百人組が有事に備えて詰めていました。
警備を担当したのが、徳川家と縁故のある甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、廿五騎(にじゅうごき)組。当然のことながら昼夜交代で詰めていました。
与力20人、同心100人が詰めていましたが、各組の同心100人が配備されたのがその名の由来となっています。
同心番所。
江戸城の城内には数十メートルごとに同心番所、百人番所、大番所という3ヶ所の番所があり、城の奥の番所ほど位の高い役人が詰めていました。大手三の門手前にある同心番所は、もっとも入口に位置する番所で、登城する大名の供の者を監視していました。
大手三の門の手前には大手濠と桔梗濠があり、下乗橋が架かっていました。下乗橋入口脇でお供のものをまずはチェックしたわけです。
大手三ノ門の警備は、鉄砲25、弓25で百人番所と同じ鉄砲百人組の与力・同心が担当していました。
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/940bd5b2b8770d30f137cf6ac917dd93e60db364.14.9.9.3.jpeg)