テーマ:中学生ママの日記(17700)
カテゴリ:教育
最近は塾が増えたなーと思う。昔はこんなになかった。驚くのは旅行で地方に行った時、どこの町にいっても塾の看板を見かけることだ。今時は誰でも塾に行く。塾に行かないということは勇気がいるくらいだ。私が子供の頃はこんなに塾なんて行ってなかった。算盤塾は流行ってたけどね。
しかし、私は子供のころ塾に通っていた。 たしか小学校の四年生くらいだったと思う。 両親は兄を塾に入れたので、妹の私もついでに入れたのである。 その塾は一度に10人も入れないちいさな塾だった。先生はとても優秀であったのだけれど、体に故障があり、東大受験を諦めたそうだ。先生の体では東大のあの階段はとても高かったらしい。先生は歩けないので普段車椅子を使っていた。だから塾の教室は小さな部屋で、L字型の厚い板を机として作りつけてあった。先生がL字型の机のその内側に座り、生徒たちはその周りに座って勉強を教えてもらった。 たぶん週一回くらいだったと思う。特に時間的な制限はなく、その日先生から指示された課題をこなすとおしまいだった。私は「ファーブル昆虫記」の中の「ふんころがし」の話をプリントしたものを読まされたのを今でも覚えている。 算数の虫食い算をやった時わかりづらくて、いやいややっていた私に対して、先生は、次の週に行った時には 数学の方程式を教えてくださった。方程式の方がわかりやすかった。 しかし私はその後、その塾をやめてしまった。たぶん 一年以上は通っていたと思う。私が塾に誘った友達が他の友達を誘ったために塾の中の雰囲気が雑然としてしまい、どうにも勉強がしにくくなってしまったためだったと思う。 けれど塾をやめてからしばらくして私の成績は上がっていった。どんどん成績の上がる通知表を見て、母は驚いていた。私は小さい頃はひらがなも読めなかったり、どうにも計算が苦手なできない子供だったのだ。 それからしばらくして街中で先生にお会いすることがあった。しかし、途中で塾をやめてしまった負い目から母の影に隠れるようにして挨拶もせずに別れてしまった。今思えばせめてご挨拶くらいすればよかった。未だに思い出すと申し訳ない。 六年の時の担任の先生が毎日大学ノートに1ぺーじなんでもいいから勉強してくるようにという宿題をだした。私はまじめだったので毎日算数の教科書を見ながら教科書の問題を解いてノートを埋めていった。(今思うと一年間近く毎日かかるほど昔の算数の教科書は厚かったのかもしれない) その後私は中三の時の冬の講習以外(あれはあまり役に立たなかった)塾にはいっていない。自分で問題集をもくもくと解いて自分の力で二つの受験を乗り越えていった。最もあの頃はみんなそうだったのだけれど。 あの塾と六年の時の勉強で、私は自分の力で勉強するすべを身につけることができたのかもしれない。 母から聞いたところによると、その後あの塾の先生は、ボランティアで塾に訪れた大学出の聡明でやさしい女性と結婚されたらしい。体の故障にもかかわらず結婚に至ったというのは、やはり先生のお人柄なのだろうか。わからない勉強にごねる私に対して、怒ることなく根気強く教えてくださった先生は、やさしい方だったのだろうと思う。 最後に 紀宮さまおめでとうございます。おしあわせに。 ↑さっき本屋にいってつい買ってしまいました。 さすがに話題の本。面白そうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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