テーマ:DVD映画鑑賞(13978)
カテゴリ:外国映画 さ行
「ソウ」シリーズももういくらなんでもこれで締めですよね。 わけわかんなかった『ソウ1』でしたが、完全解説を読んで納得で見た『ソウ2』のラストが納得いかなかった。だけど、この『ソウ3』を観て「なるほど」と思いました。 「命をたいせつにしろ」とか、「医者は死を宣告される患者の気持ちをわかってほしい」というようなメッセージをこめて、次々に奇怪な殺人を犯してきたジグソウですが、『ソウ3』では、「赦し」をメッセージのテーマにしていたようです。 それはまさにジグソウ自身が『赦し』を求めていたように思います。 彼のゲームによって生き残った唯一の被験者アマンダは、そのあとジグソウによってジグソウの二代目になるはずでした。しかし、ジグソウの願いとは裏腹に、アマンダは殺人鬼へと変貌してしまったのです。 『ソウ2』をみると、『ソウ1』で出てきたゲームの参加者の一人アダムは殺されていました。私にはちょっと不思議でした。『ソウ1』のゲームの後でアダムは助かったのではないかと思っていたからです。でも、アダムを殺したのは、なんとアマンダでした。 そして、『ソウ2』のラストで刑事が捕まってしまったのも不思議でした。とらわれた息子を探して必死になっている刑事を見て、少なくとも、ジグソウは気がすんだのじゃないかと思ったからです。にもかかわらず、刑事は囚われてしまった。 これも、アマンダの狂気ゆえだったのですね。そして、そのあと、刑事もまたアマンダに殺されています。 ケリーが殺されたのも不思議でした。ケリーは自分を粗末にしてもいないし、ひどいこともしていない。 それでも殺されたのは、エリック刑事がアマンダにひどいことをしたことへの仕返しでしょうか。 アマンダはゲームのあとでも、ジグソウの「メッセージ」を受け取っていないようでした。彼女の自傷行為は直っていなかったからです。ジグソウのゲームの中で珍しくアマンダの受けたゲームは彼女自身が痛みを味わうのではなく、他人を傷つけることでクリアできるゲームでした。自分を傷つけることが出来る人間が人を傷つけたり、殺したりすることにためらいのあるはずもないようです。 ジグソーは自分の二代目として選んだアマンダが、自分の趣旨とは全く逆の殺人者に変貌してしまったことに、大きな絶望を感じたのでしょうか。 彼は『命の大切さ』を説いているはずなのに。それで、人を殺しているわけで、そこにすでに矛盾があるように思えます。 そして、その結果アマンダのような人間を生んでしまった自分自身の行為は「間違っていたのかもしれない」という後悔の元に今回のゲームでは、「赦し」を求めています。愛する息子を殺されて、復讐心をどうしても捨てきれずにいる男。息子を殺した犯人、犯人に軽い刑しか下さなかった判事、事件を目撃していたのに証言しなかった女。彼がもし、この三人を許すことが出来るのなら、ジグソーは彼自身の罪もまた、赦されるのではないかと考えたのではないでしょうか。 ジグソーが求めていたのは、自分自身が許される事。 そしてまた、アマンダが悔い改めてくれること。殺人をやめてくれること。でした。 しかし、ラストは過酷にも二人の死をもって閉じるのです。彼によって許されたはずの女医リンもまた、夫ジェフの怒りによって殺されてしまいました。 ジグソウは言います。「怒りは自分にかえってくるぞ。」と。 それは彼自身が数々のゲームの果てに実体験したことだったからなのでしょう。 彼のおこした事件は、彼のところにしっかりかえってきたようです。そして、ジグソーやアマンダを赦せなかったジェフにも。 妻リンが人の命を救う医師という仕事についていながら、ジェフが息子を殺した犯人を許せなかったのは、やはり、夫婦の会話がなかったからなんだろうなと思います。妻がもし、普段自分の仕事のことを語り、人の命を救うことがどれだけ大変か夫ジェフに語っていれば、あるいは、夫はこんな怒りと復讐心に何年もとらわれ続けなかったかもしれません。 命を大切にしてほしい。医者は病気の宣告をする時もっと患者の気持ちを考えてほしい。 そして、仕事のために家族を犠牲にしないでほしい。ひどいことをされても、その相手を許してほしい。 そしてまた、自分ももっと寛大な心で人を赦すべきだった。 ジグソウの願いはなかなかかなわないようですねぇ。 ところで監督はこの後も「ソウ4」、「ソウ5」、「ソウ6」、「ソウ7」、と、ずーっとこのシリーズを続けたいらしいです。 ジグソウモ、アマンダも死んじゃったのに、どうやって作るんでしょう。 ソウ3@映画生活
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