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かの有名なバレエ漫画『アラベスク』の作者山岸涼子先生が久々に書き上げた超力作のバレエ漫画です。タイトルの意味は「舞姫」なんだそう。二つくらい漫画大賞をとっている名作だそうです。
バレエ漫画といえば、少女マンガの原点。かつて、子供の頃、小学館の『小学○年生』の雑誌のどの学年向けでも、かならずのっていた、バレエ漫画。バレエは当時ではとっても贅沢ではなやかーで浮世離れしていて、少女のあこがれだっのです。最近はそこいらにもバレエ教室がいっぱいあって、バレエの習い事が簡単にできるようになりました。あこがれのバレエをわが子に習わせる母。いい年だけどきにせず習い始める中年の女性たち。バレエもみじかになりました。 で、主人公の少女六花(ゆき)も、バレエスタジオを経営する母のもとで姉の千花と一緒に日々バレエに打ち込む日々。 でも、姉ほどの根性もなく、自分の体が実はバレエにはむかないと知って一時バレエをやめようとしたりする。このあたり、一度テニスがいやになってやめちゃう『エースをねらえ!』の岡ひろみと同じです。この手の話はかならず一回くらい主人公がやめようとする展開になるんですよね。そうじゃないとそれ以降すごくつらい練習の中でなんでヒロインは辞めないんだろうという読者の疑問をかわせなくなるからね。 そこに、転校生ですごくバレエのうまい少女空美(くみ)がやってきたりして、このあたり結構お決まりの展開なんですが、実はこの転校生の空美の家庭が、元名バレリーナをおばに持つ今はおちぶれた極貧の家庭だったりして、お金のためにに彼女は裸の写真を撮らされていたりします。このあたり、『白夜行』と、同じなのです。 『白夜行』では、描写されていなかった、裸体撮影の状況がこの漫画では、克明に描かれていて、お金のために裸の写真をとられる少女の過酷さがよくわかりました。写真撮るだけで本番があるわけじゃないんだけど、小学生の少女には十分というか相当きつい話です。山岸涼子ってこういう過酷な描写の話を意外とよく描くんですよね。でも、二巻か、三巻以降で、なぜか、空美は引っ越してしまい、出てこなくなってしまいます。 あまりの過酷な描写に、読者からクレームがついたのか、もともとそういう展開の予定だったのか、不明です。 もし、『白夜行』で、この描写があれば、ヒロイン雪穂の心理変化はかなり捉えやすかったけれど、そのあたりの実情を知らない読者が読むと、作者の書こうとして書かずにいる過酷な状況は想像するしかなくて、知らないとぜんぜん分からない。あの小説のむずかしさはそのあたりにあるんでしょうねえ。 なにしろ、裸体写真の撮影だけじゃなくて、その後、紐でしばったり、特別な器具をつけられていたり、そのあたりの過酷な部分の書き方が、山岸涼子ってうまいんですよね。 さて、そこまでひどいめにあってもなお、空美が従うのは、それにたえれば、バレエを習うことが出来たから。雪穂は耐え切れずに相手を殺してしまうけれど、この物語の空美はバレエをやりたいがために我慢しちゃうんですね。 そこまでしてもやりたいもの。バレエにとりつかれた少女たちの物語です。 そして、この後、もう一度バレエをやりはじめた六花と、その姉の千花は、コンクールに出たり、バレエ団の発表会に出ます。 けれど、その発表会の舞台で転んで、膝をうった千花は、そのあとその膝が完治することなく、バレエのできない体になってしまいます。そして、自殺してしまうのです。そこまでしてでも、やるほどのものなのか。できなければ生きる意味もなくなるほどのバレエの魅力に取り付かれた物語なのか。 それほどまでしてやるものなのか。それとも、それほどまでになるほどの魅力をバレエはもっているのか。この展開を読者はどちらにとらえるものなのか。 さらに、もう一人の少女ひとみは、毎日バレエを踊っているのにどうしてもやせることが出来ず、踊れば踊るほど筋肉がついて固太りしてしまい、極度のダイエットからやがて拒食、摂食障害になってしまいます。踊りの技術自体はあるのだけれど、基本的に体質的にバレリーナに向く体をしていない。それならいっそもうあきらめてバレエをやめてもいいんじゃないのかなと思うのだけど、彼女はやめない。 そして、主人公六花もまた、体型的に無理と知りつつも、バレエを続ける中で、バレエ自体を創作し作り出す才能の萌芽をそのうちに見せ始めつつ、物語は終るのです。 物語にでてくる少女たちはどの子もみんななにかしかバレエを続けていく上での障害をもちつつ、それでも、バレエをやめることだけはできない。 それほどまでのバレエの魅力にとりつかれている舞姫たちの物語なのです。 一方で、しっかり者の長女千花は、勉強もバレエも懸命にやる。学校でのイジメにもたえて家族にもうちあけない。母は彼女にひたすらしっかりすること頑張ること、強さを要求し続ける。彼女の死後初めて千花がイジメに絶えていたこと、過酷なまでの強さを強いられ続けていたことにきずく。 それとは対照的に妹の六花は、二番目らしく、やや甘えん坊であまり頑張らない。ところが、バレエの舞台のいざ本番で、ひとみや千花がいろいろな理由で踊れなくなるにもかかわらず、なぜか彼女は本番に強い。気弱で、あがっしまったりしても、なぜか周りの人たちに助けられて、ぎりぎりのところで舞台を踊りきってしまうのだ。そして、踊ることだけでなく、振り付けを考え始めたり、独自の創造性のなかで新しいバレエをつくりはじめそうな予感を見せ始める。 千花が踊れなくなってもなお、彼女がバレエを続けることにこだわっている母が、六花がやめたいと言った時には、あっさりと認めてしまう。舞台のそでであがりそうになる六花をおもわず回りの大人たちがいろいろな手段で援助し、助言し、助けてしまう。まわりに助けられることも、自分の弱さもそのま素直に自分のものとして受け止めてなんらに迷わない六花のもつ、隠れた強さ。おもわず回りの人たちの力までを自分のもとにとりこんでしまう不思議さ。 六花の才能に見込んで数々の支援をおしまない先生たち。 甘えていて、甘やかされているようでいて、気がつくとそれなりに強くなって、成長していく六花。やさしい先生と厳しい先生とそれぞれのいろんな大人たちに囲まれて、やさしさを土台に厳しさを吸収していく。 バレエの物語とともに、バレエを通して人が成長していく上で、どんな接し方や育て方が子供にとっていいんだろうかと、考えさせられるような物語でもあるなと思う。 日本の子育ては基本的に厳しいけれど、厳しいだけじゃ駄目なんで、やさしくあたたかく見守りつつ、要所要所でポイント的にずばっと厳しいといいのかも。六花のお母さんは厳しいので、その厳しさに千花は育てられてるんだけど、六花の場合は、金子先生が母親代わりに彼女の甘えを受け止めてあげていて、その安心できる土台がある上で、他の厳しい先生の指導を乗り越えていくのです。 子育ての場では、男の子がいるとだいたい男の子というのは母親がいくら頑張っても容易に言うことをきいてくれなくて、四苦八苦させられるので、そのあとに女の子が生まれるとその聞き分けの良さに思わずびっくりするんです。なんて女の子って子育てが楽なノーって。でも、最初に女の子だと、女の子ってわりと聞き分けがよくてしつけも楽だし、親の命令をチャンと実行してくれるんですよね。で、ききわけがよいので、うっかりすると親の要求がどんどんエスカレートして厳しくなっていってしまうのです。このあたり親は気をつけないといけないんじゃないかと思うのですよ。それでも、姉妹で下の子になると親もなんとなく手をぬきはじめて甘くなっちゃうのだけど、なぜか長女には厳しくなりがち。それがこの物語にもあらわれていて、六花にはわりと甘いこのお母さんが、姉の千花には、最後まで厳しくて、結局自殺においこんでしまっていると思えました。 だから、姉妹の長女とか、第一子の女の子にはあまり厳しくしないよう、しつけとかいろいろ要求がエスカレートしてきて、きびしくなりがちなので母親は気をつけないといけないと思いますよ。 それにしても、こんなに細くなってこんな風にきれいに踊ってみたいものですねえ。 バレエに魅力があるのはわかるけど、やっぱり所詮習い事なんだし。物語とは別に現実にはほどほどにしといたほうがいいですけどね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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