テーマ:40代の視点と日常(771)
カテゴリ:社会系エッセイ
最近私はいらないサービスは断ることにしてます。日本てつくづくサービス過剰の国ですよね。 旅行とかに行って、観光地で入場料、閲覧料を払って、チケットをもらうと、必ずついてくる、案内パンフレット。家族四人だと、四枚くれるんだけど、家族なら、一枚で十分だと、思うわけです。四人でまわし読みすればいいんだし、実際のところ、他の家族は読むことすらないし。で、最近は、一枚だけうけとって、あとは、お断りしてます。もらって、もって帰っても、ゴミになるだけだもの。そのゴミをまとめて集めて、ゴミとして出す手間が増えるだけだもの。 他にも、昔マクドナルドで、お子様セットについてくるおもちゃを断ったことがあります。ディズニーだか、なんだかのキャラクターフィギィアだったと思うんだけど、うちの子別にディズニーのファンでもないし、ほんとにぜんぜん喜ばないのですよね。それで、「いらないです」っていったら、相手の店員さんが、「えっ?」と、いう感じで、「本当にいらないですか」と、食い下がってくるんですよね。向こうは向こうで、渡さないと自分の仕事が成り立たないのでしょうねえ。ミス扱いされちゃうのかもね。でも、いらないものはいらないので、ほんとにいらないですと、きっちり断ったことがあります。おもちゃイコール絶対子供は喜ぶなんていう図式はもう、今の時代には通用しないですね。 子供づれでレストランにはいると、よく、サービスでおもちゃくれるところ多いのですが、あれも、ちっょと遊ぶとすぐ飽きて、やっぱり、捨てるしかなかったりする。 さらに他にも、本屋さんで、本を買うと、カバーつけてくるというのも、毎回毎回お断りしてるわけですね。わたしは、本にカバーつけて読むなんてじゃまくさいからいやです。本なんて大事なのは、中身なので、表紙が汚れようが、ぼろぼになろうが、別にいいし。だいたいは、さっさと読み終わって次に行くし、読んでる本がなんなのか、他人に知られるのは嫌なんて思うほど、自意識過剰でもないし。積読をする場合、カバーついてると、どの本かわからないし。 未だにどこの本屋も、カバーつけるのは、当たり前って感じですね。 今ちまたでは、レジぶくろなくそう運動が盛んなのに、それ以外の過剰サービスについては、ほとんど、言われてないのも、不思議な話です。でも、レジ袋は、ゴミ袋として大概の家庭では、再利用されてるんだから、レジ袋をなくす必要があるとは思えないんだけど。ああいうのは、たぶん、家のことには無関心な男か、独身の男がおもいつく発想なのではないのでしょうか。 そういえば、プールや、テニスコートやいろんな設備の有る巨大ホテルなんていうのも、テニスのやらない私にすれば、過剰サービスだよね。テニスしなくて、プールにはいらないのなら、そういう設備の有るホテルに泊まるのは、無駄だな。だって、それらの施設の維持管理費はぜったい宿泊料の中に入ってるはず。使わないのに、そういうのとられるんだよね。いくら、テニスコート使う人が別料金で使用料払ってるとしても。 で、そういう施設のないホテルとか、旅館に泊まるほうが無駄はないだろうなと。 いろいろ考えるときっと、そういういらないサービスは、日本の中にはいろいろあるんですよね。アイスのスプーンとか、弁当買った時の箸とかは、やっぱりお断りしてます。でも、納豆についてるたれは、中に入ってるので、拒否できない。あのたれは、量が少なすぎて、結局しょうゆたさないとならないし、でも、ねとねとしててちいさくて、ゴミとしてかたづけるのも、毎回面倒です。生協だと、たれなし納豆もあるのですが、本当に過剰サービスすぎる。 日本は「さっしの文化」の国なので、相手が要求しなくても、お客様のニーズを考えて、いろいろメーカーは、工夫してるのかもしれないけど、なーんか「お子様あつかい」されてる気分である。そのわりに、本当にしてほしいサービスは、なかなかないんだよね。というか、サービスを毎回断る手間が、いいかげん面倒である。その面倒くさいという心理をこそ察して欲しいものである。 そういえば、ガソリンスタンドで毎回聞かれる灰皿も、そうです。我が家は完全にタバコ吸わないのに、スタンドで、毎回「灰皿」を要求されて、断るのも、面倒です。昔、日本の鉄道は案内の車内放送が過剰すぎだと、外国に指摘されたこともあったけど、そのころから、あいかわらず、ちっとも変わらないんだわ。 いやもうホントに、サービス過剰すぎ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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