カテゴリ:読書ノート
なんかショック。すごいショック。いままで、いい事正しいこと、と、思ってやってきた、エコロジーなことが、みんな、無意味だったなんて。 今話題のこの本は、一方で、必ずしも中に書いてあることは正しくない、間違ってこるとも多いと、いろいろ批難、指摘されている部分もおおく、どこまで、本当なのかは、分からないんだけれど、それでも、ショックだった。 レジ袋や、割り箸が、地球の資源やエネルギーを大切にするためのエコロシーの行動だと思っていた。けれど、この本の注釈に実は、それらは、環境省が、ゴミを減らすためのキャンペーンとしてやっていたことだと、書いてあって、私は、かなり、驚いた。 今までやってたことはみんな無駄? 環境省が影のおおボスだったのか。考えてみれば確かに、レジ袋とか、割り箸って、ゴミの元。それも、ドレも、ただで配られるもの。お役所だから、政治家と、経済界ってのは、密接に関係しているわけで、企業の利益や売り上げや景気に影響するような、ことは出来ないのだろう。みんなが余計なものを買うこと自体をやめれば、売り上げ自体がへって、売り上げや景気に影響するわけで、お役所としては、そういうことはできない。となれば、ただで配られている、レジ袋や、割り箸をやめるという対策くらいしか出来ないんだろう。お役所って、非力。ていうか、いろんなシバリが多くて、その中で、仕事をするのは、たいへんなのね。 でも、ゴミを減らしたいなら、庭のある家庭に、コンポストを無料で配ってくれればいいのに。希望者だけでも、くばって、庭で、生ゴミを処理できれば、随分生ゴミは、へると、思うんだけど。生ゴミっていうのは、臭いので、ゴミとして、ゴミの日まで保存しとくのも、いやなんですよね。 コンポストあればいいなとは、思うけど、高いから、いまひとつ買う決心がつかない。各家庭で、生ゴミだけではも処理できれば、大分減るのに。 ゴミの分別も無駄らしいです。でも、週に二日しか、燃えるゴミの回収がないのでは、分別しないと、ゴミも全部一緒にしちゃうと、全てのゴミがくさくて、ゴミの日までがつらいのも、事実なので、エコのためだけじゃなくて、臭くないゴミだけで、ひとまとめにしといた方が、楽なのも事実です。プラゴミだからというより、臭くないゴミとして、ひとまとめにしときたい。 古新聞や、缶や、ビンを分けるのも、エコのためじゃなくて、ゴミをへらすためだったのですね。 この本ではほとんどのものは、分別するより、ゴミとして、燃しちゃった方がいいと書いてあるけど、みんなゴミにされると、清掃局は大変なのですよね。それは確かにそうですねえ。 この数年で、ゴミ償却場はかなり増やされました。自治体のゴミは、自治体の中で、処分できるように。 ほとんどの資源は、リサイクルがむずかしい。ものはみんな、使えば劣化するから。運ぶ手間も、分ける手間も、リイメドいることによる、劣化もあるから。 ゴミの元といえば、中元やお歳暮もそうだと思う。あれは無くても困らないもの。いらないもののやり取りと梱包でますますゴミはふえるし。もともと日本にあった習慣でもないので、やめればさぞや、ゴミはへるでしょうねえ。ものによっては、届いたものの中身をだすと、ゴミのほうがおおかったりしますからねえ。 資本主義ってのは、ゴミを出すことが目的みたいなもの。いらなくてもいいから、とにかく、商品を売ることが大事なんだもの。 まー。余計なものは買わない、もらわないしかないのですね。バーゲンで、安いからってことで、いまいち気に入らないものを買うのは、やめようかなあとも思う、このごろです。 でも、プラスチックとか、今無理に燃さなくても、埋めておけば、いちか未来で、科学力が上がった時に、それらを掘り起こしてもう一度使える時代も来るかもしれないのに、燃さないで、埋めといた方がいいかもしれないじゃんと、思うのです。実際にはもう、埋めるところが無くて、もやしはじめてるんですが。 廃家電や、中古家電、テレビとか、を発展途上国に売ることで、ゴミがみんな発展途上国にたまるから、やめようっていうのも、あったけど、でも、安く家電を変えるんだから、それはそれでいいのにと、思う。そのあとのゴミは、ためて保存しとくと、いつか未来で、資源になってるかもよ。だって、石油だって、大昔のゴミなんだよね。それを中近東とか、発展途上国で、今、売って、儲けてるんだから。 将来なにがどうなるかなんて、わからない。いま、の判断が本当に正しいかどうかも、未来になって見ないと、わからないんだし。とりあえず今、安くテレビわみられる恩恵は、大きいのでは。 などと、いろいろ考えさせてくれる本でした。いろんな批難をあびて、他の人が正しい意見や情報をあげているけれど、その情報開示のきっかけになったのだという、その部分でも、この本の意味はあると思うし、批難をあびつつ、本をだした、著者の人は、偉いじゃんと、思う。のです。 この本のタイトルは、『偽善エコロジー』というよりは、『偽装エコロジー』にした方がぴんとくるのでは、と、思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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