テーマ:社会のあり方を考える(116)
カテゴリ:社会系エッセイ
先日ホームセンターに行って、買い物のためにレジで並んでいた。私の前には、大きな衣装箱を台車に載せている人がいた。 レジは向かい合わせに二つあったけれど、その大きな箱のために、もう一方のレジに入り込んでいけない。でも、少しまてば、列はすすむのだしと思ってまっていたら、少しあとからきた女性が、「○○ちゃん。ほらそこのレジあいてるからはいっていって」というのだ。 私が既にならんでいるのは、ちょっと見ればわかるだろうに。 左のレジに行き着けないのも、その前の人の衣装箱のせいであることもわかるだろうに。 「並んでいるんだけどな」と、ボソッと言ったけれど、その女性はしらん顔で、子どもと一緒にレジをすませてしまった。レジの人もなにもいわずに、処理してしまった。 ここではっきり大きな声で「すみません。並んでいるんです。ちっょと入れないから、まっていただけなんです。」と、いってもよかったのだけど、最近いろいろと腹のたつことが多くていろいろと怒っていたら、いい加減疲れてきて、そろそろ怒るのもイラつくのも面倒になってきていた。それでそのまま、はっきりとした苦情もいわずにすませてしまった。 それに私も自分の子供が小さかった頃って、コレに似たような行動をとっていたなと、思った。少しでもすいているレジに並んでなるべく早く会計をすませたいとも、思ったいた。小さな子どもをつれていて、心に余裕がなかったと、思う。 最近少し、自分の無意識の行動をつらつらと、考える。私にも、こんな他人を出し抜いてラクに要領よくやろうとするようなところがあるかもしれない。 子どもが大きくなって、それでも、少しは余裕が出てきただろうか。 ああいうことをやってしまう子育ての期間中って、やっぱりしんどかったのだと、つくづく思う。今思うと心がカリカリしてたなと、思う。 子どもを育てるためには、周りのことなんかかまってられない余裕のなさは、結構子育て中の母親には多いよなとも、思う。(もちろん、きちんとした人もいます。) そういう習慣が身について、子育ての後まで引きづらないように気をつけないと。と、しばし考えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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