テーマ:社会のあり方を考える(116)
カテゴリ:社会系エッセイ
去年のことだけど、ずーっと膝が痛いといっていた母が、とうとう決心して、膝の手術をしました。人工間接をいれる手術です。でもなにしろ、足を切り開いて、骨を入れ替える。それを両足、つまり、二回やるわけですからね。母は、もう高齢で80近い都年だったのです。80をすぎたら、もう手術はやらないものだそうですが、ぎりぎりの年齢、自由にうごけないことの辛さに決心したのです。手術は、ものすごく痛くて、辛かったようです。しかも、手術のあと、まだ痛いのに、すぐにリハビリが始まる。まだ痛い足で、歩く練習をするわけで。それでなくても、膝だけじゃなくて、高齢と肥満のせいで、いろんなところが、もう、使いにくくなっているのに。 しかも、手術のあと、病院でうっかり転んでしまって、腰をうってしまったそうです。病院内なのに、病院はそのことに対しては、あまり対処してくれなかったそうです。家族がかけあって、なんとか診察してもらっても、様子を見ましょうということだけだ、特になにもなく。そのあと、退院後の診察で、腰も、手術しますかといわれたらしいです。 あれだけ、痛い思いをしたのに、結局、母は、さくさく、歩けるようにはなっていません。逆に、障害者の申請をして、タクシー券をもらって、あまりであるけず、家にいることが多くなりました。 高いお金を払って、すごくつらい痛い思いもして、結局、母の望んだ痛みのないさくさくと軽快に動ける生活は、返って来ませんでした。 なんだか、釈然としない気持ちてです。 病院には母と同じような、高齢の足の痛い女性たちがたくさん入院して、手術していました。あの人たちのどれくらいが、動けるようになったのか。 結局うごけるようにならないのに、病院はどうして、手術を勧めるのでしょう。自分の治した患者さんたちの結局動けるようになっていないその後をみているはずなのに、医師は、なぜ次から次へと、やってくる患者たちに、どんどん手術を勧めるのでしょう。 トシをとってくれば、体のあちこちはいろいろと老朽化して壊れてくるのだから、一部を直しても、また別のどこかが、壊れてくるのだし。もともと人間のからだなんて、50年くらいしか使えないものだとか。耐久消費は、もともと50年なのに、文明の進化で、それより30年も長生きするようになって、いろんな痛みや不便と戦いながら、生きていくのもたいへんだと、思うこのごろ。です。 ちなみに、うちの夫も、去年から膝がいたいらしく、接骨院通いです。夫の場合は、特に故障はないらしく、整形外科にいっても、ぜんぜん直らない。でも、痛い。というわけで、今は、接骨院が良い。西洋医学では、直らないので、東洋医学に頼っているところ。 私も、五十肩で、いま、接骨院通い。 トシとると、話題が暗くなってまいります。わはは。ごめんごめん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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