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2024.10.25
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カテゴリ:健康




V・フランクルは、ユダヤ人であるのでユダヤ教徒でした。

もちろん、ユダヤの神を信じていました。

しかし、彼は決して宗教で「ロゴセラピー」を構築しませんでした。


彼は、強制収容所から解放された後に、彼の両親も妻も強制収容所内で死亡した事を知り絶望しました。

「それでも人生にYesという」が彼の信念でした。


彼も私のように何度も死に直面し、不思議な偶然で生き延びていました。

そこに不思議な何かの力、意志を感じています。

普通なら、宗教を信じている者なら、それを「神のご意志」と表現するところでしょう。

けれど、彼はそれを神の力だとは言わず、宗教で縛ろうとはしませんでした。

世界中に多くの宗教が存在し、様々な名前で呼ばれる神がいます。

この宇宙が存在する限りそのエネルギーの源となるものが存在するのは確かです。

それを「神」と呼ぶならば、間違いなく存在するに違いありません。

そうでなければ、宇宙も我々も存在しないからです。


そして、その「神」が創り出した宇宙や生命には一定の秩序・法則が存在しています。

人間の叡智を遥かに超える意思があります。 

人間になど理解し得ないものが、そこには存在するのです。
 

それをなんとか理解しようと様々な宗教が生まれてはいますが、「最終的に到達すものは同じなのでないのだろうか?」と、V・フランクルは言いたかったのではないでしょうか?

V・フランクルは、収容所から解放された後に再婚しています。

その女性はキリスト教徒でした。ユダヤ教徒の彼がキリスト教徒の女性と結婚することもその現れのような気がいます。
 

近年、「旧統一教会」や「オウム真理教」その他の新興宗教に妄信してしまい家族を巻き込んで社会問題になっています。

それは、人々は心の救済を求めている証拠でしょう。

私は、宗教を否定しませんし、そうした心のよりどころは必要なのだと思います。

だって、みなさん年始は初詣に行きますし、冠婚葬祭は神事で行いますから。

ただ、信じることは、本人の心の問題で他者に押し付けるべきものではありません。

例え親子でも、心は別、生き方は個々のものです。


自分が本当に良いと思ったものを愛する人にも知って欲しい、信じて欲しいと思うのは当然ですが、全く同じ生き方ができないように、同じ感じ方ができないように人それぞれ心が求めているものは別なのです。

てすから、押し付けるのでは無く、否定するのではなく、心の信じる者を尊重することが大切なのだろうと思うわけです。


これは、私の個人的宗教観になりますが、もし「全知全能の神」ならば、お金は絶対に必要無いと思います。

なので、金銭や奉仕を強要する宗教は、その宗教指導者の考えが反映されているだけであり、世俗的宗教なのではないかと思うのです。

ルターのキリスト教の宗教改革時の免罪符なんて良い例ですよね?

日本語に「自由」という言葉には、心身すべての自由に使われます。

しかし、英語には「Free」受動的自由と「Riberty」能動的自由のふたつの自由があります。

やはり、どんなに心身が自由でも心が何かに縛られていたら自由とは言えませんよね? 

どんな時でも、心は自由であるべきだと思います。


V・フランクルは、何か大きな力のようなものが人を生かしていると語っていますが、それを敢えて神とは語っていません。

彼のロゴセラピーが、万人が受け入れられるものとして確立したかったからだろうと私は思っています。だからこそ、私も腑に落ちます。
 

私も「生かされている」と思っています。

ただ、フランクルのように「人生にYes!」とは言えないところが未熟なところであり、まだ生かされてしまっている所以でしょう。

深夜、突然の腹痛にトイレに駆け込み何時間も吐き気と痛みと闘う度に、まだ楽にしては貰えないのかと思うことがあります。

が、守るべき命と、使命がある限りまだ私は生かされるのだろうと思っています。

20代の頃に癌になって以来、終活もするべきか?と思いつつ、思った以上に生かされ続けて来ました。

今また、そろそろまた癌になるかも?との気持ちが大きくなっています。20代の頃と違い、余命の方が長くてなってしまった。

しかし、何度もそろそろかな?と思いながらも、まだ生きていますのでこればかりはわかりません。

なにしろ、生きているのではなく、生かされているのですから。


さて、私の「生きる意味」は、なんなのでしょう?

歴史上の偉人と呼ばれる人物たちも、おそらくは自分の「生きる意味」が明確だった人はそれほど多くは無く、歴史が過去の人が検証し、評価しています。

我々の凡人の人生も歴史の礎の一石くらいにはなれでしょうか?


我々が愛するペット達も当のペット達は、生きている意味なんて考えないでしょうが、存在そのものが飼い主の癒しであり、唯一無二の存在です。

そして、死してなおも愛おしく、心の支えにもなります。

我が家の小太郎も、前の飼い主さんが亡くなって、我が家に来ました。

小太郎も子猫の時に保護された保護猫らしいので、野良ネコであったであろう小太郎の母猫の存在にも感謝です。


どんなものも、どんな人も、この世に存在するすべての命は、未来の誰か、何かのために、その言葉、その行動、その存在が必要なのでしょう。. 

私の存在も、誰かの未来のために必要であると信じて明日からまた頑張ろうと思います。







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Last updated  2024.10.25 07:00:13
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