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カテゴリ:うるま市
(石川龍宮神/石川赤崎) 「うるま市石川(旧石川市)」は沖縄本島中部の東海岸にあります。「うるま市石川」の太平洋と「恩納村仲泊」の東シナ海を結ぶ直線距離がわずか4キロであるため、そのくびれは沖縄本島の「みほそ(へそ)」と呼ばれ「うるま市石川」は"みほそのまち"の愛称で親しまれています。石川岳の麓に広がる美しい金武湾を望む石川漁港周辺には5つの龍宮神が祀られており、古より石川の漁業の発展と航海の安全を見守り支えてきました。 (石川龍宮神/石川曙) (石川龍宮神の拝所) (龍宮神の石柱) 「うるま市石川」の太平洋側に位置する「石川ビーチ」と「石川龍宮ビーチ」間にある大岩の上に、1つ目に紹介する「石川龍宮神」が建立されています。拝所は北側の金武町方面に向けられており、金武湾の航海と漁業の安全を祈願しています。祠のウコール(香炉)には神に祈る際に使用するシルカビ(白紙)、ヒラウコー(沖縄線香)、粗塩が供えられています。これは燃やさずに供える「ヒジュルウコー(冷たい線香)」と呼ばれる御供です。このお供えは海が満潮に向かう時刻のみに行われる神聖な祈りとなっています。 (龍宮神に供えられたウミガメと粗塩) (石川龍宮神の大岩麓にある拝所) 「石川龍宮神」の拝所には大小2体のウミガメと粗塩が「龍宮神」に捧げられていました。非常に衝撃的ですが「うるま市石川」の伝統的な「龍宮神」への祈りが継承されている証拠でもあります。「石川龍宮神」の大岩西側の麓には、こじんまりとした拝所が設けられ霊石とウコール(香炉)が祀られています。「龍宮神」が建立される大岩そのものを祀る拝所だと考えられ、規模は小さいながらも大きな意味がある聖域として祈られています。 (石川ビーチの鍾乳洞窟) (洞窟内の拝所) 「石川龍宮神」の北側に「石川ビーチ」があり、ビーチに隣接して鍾乳洞窟があります。ソテツ(蘇鉄)や亜熱帯植物に覆われた洞窟の内部は浜の砂と岩石で覆われています。入り口は2箇所あり比較的広い空間になっています。床の浜の砂には大量のカニの巣穴があり、冷たく張り詰めた空気に包まれています。ツララのように垂れるゴツゴツした天井の洞窟の奥には霊石が祀られた拝所があります。この洞窟は沖縄戦の時に住民が避難して多数の命が助かったガマであり、現在は「うるま市石川」のノロ(祝女)により祈られています。 (ウミチルの墓) 「石川龍宮神」の南西側に隣接する場所に「ウミチルの墓」があり、彼女は俗称「チルーウンミー」と呼ばれています。「ウミチル」は石川の集落に初めて機織り、染め物、ウスデークー(女性のみで行われる円陣舞踊)を指導した方と伝わります。戦前からこの地にあった「ウミチルの墓」は1973年の大型台風で流された為、仮安置していましたが2008年に改修されました。現在も「うるま市石川」に伝統文化と芸能を伝えた人物として「ウミチルの墓」は住民により大切に祈られています。 (グジヨウ神/ビズル火の神) 「ウミチルの墓」の正面に鍾乳洞に「ビズル火の神」の霊石とウコール(香炉)があり「シルカビ」に「ヒラウコー」がお供えされています。「ビズル(ビジュル)」とは主に沖縄本島でみられる霊石信仰で豊作、豊漁、子授けなど様々な祈願がなされます。仏教の16羅漢(お釈迦様の16人の弟子)の1人である「賓頭盧(びんずる)」がなまった言い方で、自然石が「ティラ」と呼ばれる洞穴などで祀られています。その左側には「グジヨウ神」と呼ばれる神が祀られた石碑とウコール(香炉)が隣接しています。この拝所は現在も「うるま市石川」のノロ(祝女)により祈られる聖域となっているのです。 (天願マグジーの名が刻まれた石碑) 「天願マグジー」には伝説が残されています。昔、具志川間切に「天願タロジー」という武士と妻の「天願マグジー」が住んでいました。ある日「天願タロジー」は以前より対立していた金武間切の「金武奥間」という武士に刺し殺されたのです。拉致された「天願マグジー」は「金武奥間」を油断させて「あらぶち(現うるま市石川東恩納)」に差し掛かると小刀で「金武奥間」を刺し殺したのです。「天願マグジー」はその後「あらぶち」の洞窟で暮らしたと言われていますが、他の伝説では「伊波按司」の愛人になったとの伝承もあります。この石碑には「伊波按司」と「天願マグジー」の名が一緒に刻まれており、大変興味深い文化財となっています。 (石川龍宮神/石川曙) (龍宮神岩山の拝所) (龍宮神岩山の拝所) (龍宮神岩山の拝所) 「石川龍宮ビーチ」の南東側に拝所の岩山があり海側の断崖上に、2つ目に紹介する「石川龍宮神」が建立されています。この「石川龍宮神」の石碑は西側に広がる金武湾と更に奥に続く太平洋に向けられています。非常に古い石碑で長年の間、潮風や台風に耐えながら航海と漁業の安全を祈願し祀られています。この「石川龍宮神」がある岩山は他にも3つの祠が建てられており、昔から御嶽岩山の聖域として崇められてきたと考えられます。 (大宗富着大屋子の石碑) (大宗富着大屋子の墓) (石川龍宮神/字石川) 龍宮神の岩山から更に南東に進むと崖麓に「大宗富着大屋子の石碑」と「大宗富着大屋子の墓」があります。「大宗富着大屋子」は琉球王府から任命されて恩納村から石川村に赴任し街並みを碁盤目状にする区画整備を行い、石川川の補修工事を行い集落に安全をもたらした人物です。現在は「大宗富着大屋子」の出身地である恩納村前兼久の方々が祈る場所として崇められています。ここから更に参拝道を南東に進み突き当たった岩森の麓に、3つ目に紹介する「石川龍宮神」が祀られ石碑は石川漁港向けに建立されています。 (石川龍宮神/うるま市石川赤崎) (龍宮神の石碑) (屋根上に構える龍の石像) 4つ目に紹介する「石川龍宮神」は石川漁港の北東にあり、亜熱帯植物が生い茂る森の中にひっそりと佇んでいます。鳥居を抜けて進むと拝所の社があり、社の内部と左右両脇には霊石とウコール(香炉)が祀られヒラウコー(沖縄線香)が供えられています。敷地内には1968年に建立された「石川龍宮神」の石碑が祀られており「龍宮」の文字の下に「神人 知念カマ 神子 平良カメ 神子 平良善春」と3人の名前が刻まれています。「石川龍宮神」の屋根上には左右2体の龍の石像が据えられています。 (石川龍宮神/うるま市石川赤崎) (龍宮神の石碑) 5つ目に紹介する「石川龍宮神」は4つ目に紹介した「石川龍宮神」の社に隣接しています。この場所は元々は金武港の海に面していましたが「石川火力発電所」と「石川石炭火力発電所」の建設により海が埋め立てられ「石川龍宮神」が海から約300m離れてしまいました。そのため4つ目に紹介した「石川龍宮神」の横に新たな「石川龍宮神」の塔を立て、海が望める塔の頂きに「龍宮神」の石碑を建立したのです。塔の麓にはウコール(香炉)が祀られ多くの人々に参拝されています。昔から海と共に生き海の恵みに感謝してきた「うるま市石川」の民は、これからも変わらず守護神の「龍宮神」を崇め祈り、大切な伝統文化を後世に継承して生きて行くのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.03.06 23:07:44
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