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パワースポット@神の島「Okinawa」

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2023.04.12
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カテゴリ:恩納村

(神アサギ/神アシアゲ)

沖縄本島北部「恩納村/おんなそん」の西海岸線に「冨着/ふちゃく集落」があります。この集落の西側で、南側に隣接する「前兼久/まえがねく集落」との境界線に位置する丘陵に「冨着集落」の「古島」があります。1635年に集計された資料である「琉球国高究帳」には『ふ津き』と記されており、1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」には『富着』との記述があります。更に清の官僚で琉球王国の「尚敬王」を冊封した「徐葆光/じょほこう」が1721年に著した「中山伝信録」には『富津喜』とされています。また、大正時代には「冨着」は『フジチ』と呼ばれており、現在は『フチャク』の名称となっています。「冨着古島」から見て海沿いの砂地を「前兼久」と呼び、その後方に位置する現在の「冨着集落」の場所を「後兼久」と称していたと伝わります。


(神アサギ/神アシアゲ)

(地頭火神)

(地頭火神の祠内部)

(冨着礼拝所の通路)

「冨着古島」の「冨着礼拝所」と呼ばれる場所に、かつて「山田ノロ」が祭祀を執り行った「神アサギ/神アシアゲ」があります。「琉球国由来記」には『神アシアゲ 富着村 稲穂祭之時、シロマシ二器・麦神酒四 谷茶・仲泊・前兼久・富着四ヶ村百姓、五水八合・神酒一・肴二器 同四ヶ村地頭。稲大祭之時、五水八合・肴二器・神酒一 同上、同四 同四ヶ村百姓中、供之。稲穂祭之時、山田巫ニテ祭祀也。且、同大祭之時者山田巫、谷茶・仲泊・富着・前兼久、四ヶ村居神ニテ祭祀也。』と記されています。この「神アサギ」に隣接して「地頭火神」の祠が建立されており、祠内部にはウコール(香炉)が設置されています。かつての祭祀の際には「山田ノロ」を中心として「富着村」から出自した「前兼久根神」や4ヶ村から参列した「居神」等の神女達は「地頭火神」を拝した後に「神アサギ」の祭祀を行ったと言われています。


(アガリ家の屋敷入り口)

(アガリ家の屋敷跡)

(アガリ家の屋敷跡)

(アガリ家の屋敷跡)

「冨着古島」の集落で宗家と言われている「アガリ家」の屋敷跡が「神アサギ」の東側に隣接しています。この旧家からは「富着村」の「根人/ニッチュ」が出自し、この「根人」出自の「ミーヤ家」も「アガリ家」の昔分家であると伝わっています。「山田ノロ」による祭祀に供えられる神酒は「アガリ家」で作られ、祭祀終了後に「山田ノロ」を接待する場も「アガリ家」だったと言われています。集落の盆踊りも「アガリ家」から始まり、次に「根屋神」を訪れます。8月の「豊年祭」の時には「根神屋」を拝した後に「アガリ家」を拝して「遊び庭/アシビナー」で豊年芝居が執り行われました。この集落宗家である「アガリ家」は現南城市「佐敷」の「鮫川大主」を祖先としています。この「鮫川大主」は琉球王国の第一尚氏初代国王「尚思紹王」と「場天ノロ」の父にあたる人物とされています。


(上小家の敷地にあるカミヤー)

(カミヤーの建物内部/仏壇)

(カミヤーの建物内部/ヒヌカン)

(上小家の屋敷跡/礎石)

「アガリ家」の西側で「神アサギ」の南側に隣接した場所はかつて「上小家」の敷地で、現在は「カミヤー/神屋」が建てられています。この建物内部にある仏壇には『冨着根屋御元祖』と記された位牌と『冨着神女』と記された位牌が祀られており、仏壇の壁には2本の薙刀と2枚のカージ(クバ団扇)が飾られています。仏壇に向かって左側には「ヒヌカン/火の神」が祀られておりウコール(香炉)が設置されています。「冨着古島」は「山田ノロ」の管轄でしたが、集落には「富着村」から出自した「前兼久根神」や「居神」等の神女が存在し「山田ノロ」の補佐役として祭祀を務めていました。また「山田ノロ」の後継が途絶えた後は「根神」を柱として「富着村・前兼久村・谷茶村・仲泊村」の伝統的な「四村合同祭祀」が継続して執り行われました。ちなみに「上小家」の敷地には昔の屋敷に使われた珊瑚石の礎石が現在も多数残されています。


(カーニー家のアコウ)

(メーヌカーに降る道)

(メーヌカー)

(メーヌカーの拝所)

「冨着古島」の草分け旧家である「アガリ家」の南側に隣接した敷地にはかつて「カーニー家」があり、現在は樹齢の古いアコウの木が幾本もの根を伸ばしています。この「カーニー家」から南側に降りる丘陵が続き、谷底には「メーヌカー」と呼ばれる拝川が流れており古い霊石と石造りのウコール(香炉)が祀られています。「冨着集落」では9月15日に「メーヌカー」にて「カー拝み/井泉拝」が行われています。この行事は「カチンジョウ拝み」とも言われており「富着村・前兼久村・谷茶村」の三部落の遠い先祖がこの地に住んでいた時代に水の恩恵を受けた井泉への感謝を示す為に拝されています。この「カー拝み」の日には「アガリ家」の屋敷から「メーヌカー」と祖先である「鮫川大主」の出身地である「佐敷」の方角に向けて遥拝が行われていたと伝わります。ちなみに、一説では稲の伝承地である「玉城」の方面を拝していたとも言われています。






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最終更新日  2023.06.01 08:46:45
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