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テーマ:家庭菜園(58676)
カテゴリ:らっきょとあさつき
2年前 ラッキョウ hcでラッキョウの苗の売り出しがあったので1kgを購入 8月21日 植え付けする予定 猛暑が過ぎたら 植え付けしよう 今年もラッキョウを作ろう 猛暑が過ぎた もう 秋だなあ で 来週にラッキョウさんを植え付けだ 09月11日 g-22の畑に植え付けした 1kgを植え付け 09月25日 すこし発芽してきている 10月10日 かなり大きくなっている 勢ぞろい 見た目もばっちり 10月16日 上には何か蕾のようなのが皆についている 何かいな ?? 10月23日 花蕾が大きくなってきている もうすぐ花が咲きそうだなあ 11月06日 花が盛りとなっている 11月20日 まだ 花か゛たくさん咲いている 華やかなり 小さい花だけど 12月04日 まだまだ 花が咲いている 出だしも快調なり 結構と大きくなっている 花も咲き ただいま花盛り 賑やか 昨年 02月12日 まあまあ大きくなっている 順調に育っている 03月04日 追肥しておいた 03月11日 元気に大きく のびのびとしてきている 04月15日 追肥したら 雑草のほうが元気になっている ??? やばい 雑草のほうが良く伸びていた ???? 05月06日 雑草とりしてみたら らっきょう 細いのばかりだなあ でも 今月いっぱい ゆっくりと日光をあたれば 大きくなるだろう ??? 05月27日 日光があたり やや成長してきているかな ??? 収穫は来月 6月の10日くらいとしよう 06月17日 やっと収穫をした 出来具合は 結構と良い 結果は良し hcで ラッキョウの売り出し中 即 購入とした 08月19日 hcでラッキョウ1kgのを買っておいた 9月になれば 畑に植え付けしよう 畑の準備をそろそろと が 猛暑で植え付けが遅くなって ラッキョウ よく見ると 発芽して 花芽も 10月07日 畑のm-08に植え付けをしておいた これでokだな まあ 猛暑で1か月も遅くなった で 花芽ももう ついていた そのまま植え付けた 10月21日 そのまま花が咲いている 小さいので写真には写っていないなあ 10月28日 前回の写真 小さいので゜近づいて 見えるくらいで写真をとった 11月25日 ラッキョウも 無事に定着している 12月09日 その後も 無事だなあ このまま 大きくなってくれれば 良し 雑草もチョコチョコ 生えてきている 追肥もした あとは 雑草が大きくなってきたら 除草しよう 今年 01月06日 雑草とりした ラッキョウさん 意外と細いなあ 02月03日 また 雑草が伸びてきている が 細いがok 02月10日 雑草とりをしておいた 03月10日 その後も 細い ラッキョウ 雑草とりしてすっきりとしたが 細い まあ 6月に収穫なので これから 大きくなるだろう これから これから 東日本大震災 3月11日発生 3月16日は 既に735日後となった 阪神大震災は、1月17日で発生から18年 武田さんのブログ ---------------------------------------------- 体罰考(17) 大学修道院説 先回のブログで「授業中のマージャンを止めさせるには」を書きましたが、私は「マージャンをする生徒」は「悪い生徒」と考えていますが、この場合の「悪い」とは「未完成」ということで「大人の悪い人」とはとらえ方が違います。 教育は「未完成」の人を「できるだけ完成に近い状態」にするのが目的ですから、最初は、かけ算ができない、授業に遅刻をする、授業中マージャンをする・・・というのは当たり前で「不完全さ」の一つの形と思っています。 このことが教育関係者と一般の人の感覚の差でもあります。「かけ算ができない」というのは頭の中の数字の能力の問題で、「授業中マージャンをする」というも頭の中の「倫理」の問題です。同じく、子どもなので頭の中が未完成の状態で、決して大人の状態で判断する「悪い」というのとは違います。 赤ちゃんが所構わずウンコをしても笑顔でいるのは、まだどこでウンコをするのが良いかを本当の意味で知らないからで「悪い」のではありません。しかし、大人では人前でウンコをすると軽犯罪法になります。 少し極端な議論かも知れませんが、私は「大人では悪いことは子どもでは教育すること」と考えています。その一つの事件を書きたいと思います。 ・・・・・・・・・ ある大学の管理を担当しているときに警察につかまった学生がいました。大学の学則には「学生としての本分に悖る者は退学」となっていて、教授会では退学が議論されました.多くの先生は退学させよと主張されました。 その時、私は「大学は修道院のようなものである。もしその学生を退学させたらアウトローになる可能性がある。もし学生が大学に残ればあるいはまともな人間になるかも知れない。私たちはそれに期待したい」と演説し、先生方も了解していただきました。 果たしてその学生は大学に残り、先生も指導され、立派な卒業生として大学を出ました。今頃、良き社会人として働いていると思います。 大学は社会の中では教育機関です。小学校から高等学校ももちろん同じです。だから「大人から見て悪い生徒、極悪生徒」も学校が引きうけ、学校ができる範囲で立派な人間にすること、それが私たち教育者の社会的責任なのです。もちろん保護者と一緒にやります。 教育基本法第一条(旧)をまた示します。 「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」 この「体罰考」は教育の目的を達成するために、本当に「体罰」(殴ることではない。腕を取ってマージャンを止めさせる事)なしに現実にできうるのかを考えています。 「人に迷惑を掛けない」というだけでは目的を達成する事はできません。授業中にスマホでゲームをしている学生を叱る必要があり、学生は「迷惑を掛けていない」と抵抗するからです。若者は本当のことがわかっていても屁理屈をこねるもので、それも教育で修正していく必要があります。 このように日本の教育を改善し、健全なものにして行くために、もっとも悪いものは、マージャンをする生徒そのものでは無く、NHKや教育の目的を理解していない知識人などです。 多くの人が「教育とは未完成の子どもを立派な日本人にすることだ、教育者は未完成の子どもを相手にしているのだ、先生も人間だ、教育とはかけ算ができるようにするだけではない」ということを良く理解することが大切です。 体罰の定義もせずに「体罰はゼッタイにダメ。体罰を議論すること自体が間違い」というようなNHKのコメントが存在することが教育を破壊しているのです。(平成25年3月10日)武田邦彦 ふむふむ はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.03.16 04:28:51
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