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カテゴリ:らっきょとあさつき
2014年 01月05日 わけぎ 6回目の収穫をした 01月12日 わけぎ 7回目の収穫をした 05月03日 ためしに すこしを収穫してみた もう 撤収してもよさそう 今年はネギがたくさんあったので あまり収穫をしていない で たくさん 残っている そろそろ 掘りあげてしまおう 全部 残っているわけぎを掘り起こして 乾燥させて 休眠とする 05月03日 わけぎ 残っているのを全部を引き上げた 納屋にて保管して しばらく お休みとする 納屋で保管して 8月後半になったら また 畑に植え付けるとする 09月07日 わけぎ 畑に移動した m-07の畑に植え付けをしておいた 09月14日 発芽はまだかな ゆっくりとしている 09月21日 やっと 発芽してきている これで 安心なり 10月12日 わけぎ かなり大きくなってきている もう 収穫できそうになってきている 2つの畝にうえつけているか゜ まだ すこし残っている たくさん あるので 楽しみだ すくすく 生育してきている 11月09日 わけぎ 初の収穫をしておいた たくさんあるので どんどん 収穫していこう 11月16日 わけぎ 2回目の収穫をした 11月22日 わけぎ 3回目の収穫をした 11月29日 わけぎ 4回目の収穫をした 12月06日 わけぎ 5回目の収穫をした 12月13日 わけぎ 6回目の収穫をした5 12月23日 わけぎ 7回目の収穫をした 2015年 01月03日 わけぎ 8回目の収穫をした 01月10日 わけぎ 9回目の収穫をした 01月12日 わけぎ 10回の収穫をした 01月18日 わけぎ 11回目の収穫をした 01月24日 わけぎ 12回目の収穫をした 02月01日 わけぎ 13回目の収穫をした 02月08日 わけぎ 14回目の収穫をした 02月14日 わけぎ 15回目の収穫をした 02月21日 わけぎ 16回目の収穫をした 03月01日 わけぎ 17回目の収穫をした 03月08日 わけぎ 18回目の収穫をした 03月15日 わけぎ 19回目の収穫をした 03月22日 わけぎ 20回目の収穫をした 03月29日 わけぎ 21回目の収穫をした 04月04日 わけぎ 22回目の収穫をした 04月12日 わけぎ 23回目の収穫をした 4月まで 収穫できる予定 5月に 引き抜いて 9月に 再度 植え付けをする予定なり 05月04日 そろそろ 引っこ抜いてしまうかな 05月10日 引っこ抜いておいた 畑においておく 乾燥したら 家の納屋に保管しよう 05月17日 畑のわけぎ 家に持ち帰る 庭の横においておく 05月24日 庭の横で 乾燥中 いい感じになってきている 07月18日 その後も 庭の横で 放置している すこし 芽がでてきているなあ 08月01日 その後も 無事なり 在庫は たっぶりとある 9月になったら 植え付けしよう 08月22日 在庫のわけぎ 畑のm-07に発芽したのをばらまいておいた 台風の雨で発芽するだろう 09月05日 わけぎ 発芽してきている しかし 数がすくないな あとで 分散させよう 09月12日 わけぎ 発芽して やや おおきくなっている 分散してしまおう 09月22日 わけぎ 大きくなって 密集している もうすこし バラバラにしないとねえ 混み過ぎだな 10月04日 わけぎ そろそろ 分散させないとねえ 10月18日 わけぎ 分散をさせておいた これで 生育は良くなる予定なり 11月03日 わけぎ 分散後 すこし生育してきている 追肥をしておいた 11月08日 まだ 小さいので 追肥をつづけておいた 11月15日 わけぎ また 追肥をしておいた これで どんどん 大きくなりつつある 11月23日 わけぎ かなり成長してきている 追肥の効果がでてきている 12月12日 m-06のわけぎ 青梗菜が消滅した場所に どんどんわけぎ 植え付けた 大きくなりだした 12月19日 m-07のわけぎ もう 収穫できそう 大きくなってきている 12月26日 わけぎ やっと 初の収穫をした いい感じになっている 12月31日 わけぎ あちこちに植えている みんな 元気なり 8月に畑に放置 10月に植え付けをした で 生育はかなり遅くなっていたが そろそろ 収穫できるサイズに 2016年 01月01日 わけぎ 2回目の収穫をした 01月03日 わけぎ 3回目の収穫をした 01月09日 わけぎ 4回目の収穫をした 携帯電話 おべんきょうその03 歴史 トランシーバーと構想時代 第二次世界大戦中にアメリカ軍が使用したモトローラ製の「Walkie Talkie」が、前身といわれる。 しかしこれは、回線を使用していないトランシーバーである。 携帯電話の構想は、電話機が考案されて間もない頃からあった。 電波を使用して無線で通信でき、かつ人間同士が音声にて会話することが夢として描かれていた。 モールス符号を用いる無線電信機は携帯電話の元になる技術だが 、実用化されても爆発的に普及するようになるものだとはこの時点では考えられていなかった。 また、携帯できる電話を開発する具体的な研究は古くから行われてきたが、 電波のノイズの問題やバッテリーの問題、また通信速度などの多くの問題により 電話機が非常に大型になってしまうため、実現は難しかった。 1960年-70年代:小型化への努力 1960年代になると、両手で持ちながら会話できる程度まで小さくすることが可能となったが、短時間の通話でも疲れてしまうほどに重かった。1970年代になると頑張れば片手で持てる程度の大きさまで小型化した。 1970年代後半-80年代前半:実用化時代(車載電話) 1970年に大阪府で開催された日本万国博覧会にワイヤレスホンとして出展され (後年で言うところのコードレスフォン)、1979年には日本において世界で初めて実用化された。 ただし、これは車載電話機を使った自動車電話サービスで、現在の携帯電話とは異なるものである。 1981年にはバーレーンとスカンディナヴィア地域でもサービスを開始した。 それに先行して1980年の日本では、 横須賀にあった旅館夕月の女将が海外の携帯電話を使用していた当時の電電公社(のちのNTT)の職員たちが毎日のように通い詰め、携帯電話の研究に努めていた。[要出典] その後、YRP野比(横須賀リサーチパーク)では通信事業が盛んになり、現在では携帯電話発祥の地として携帯サブレなども販売されている。 なお、アメリカ合衆国では1978年にAT&Tとモトローラに対して実用化実験許可が出ていたが、実現には至らなかった 遅れを取った同国はモトローラによる当時のロナルド・レーガン大統領への直訴も功を奏し、1981年に実用化がなされた。 このように1980年前後から事業として成立するようになり、 一部の先進国で車載電話機(自動車電話)として携帯電話機の販売やサービスが開始された。 当時は固定電話機と比較すると導入価格や通信費用は共に数十倍であるうえ、 通信エリアも都市部に限定されていたため、ごく一部の限られたユーザーが導入するのみであった。 はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.01.17 01:18:29
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