|
カテゴリ:らっきょとあさつき
2018年 01月01日 らっきょう その後も 無事だ 雑草が増えているかな 01月06日 らっきょう 雑草とりしないと 見えなくなっている 01月14日 らっきょう その後も厳冬がつづくので あまり 元気なしだなあ 03月04日 らっきょう 雑草とりをしておいた 04月29日 らっきょう その後は しっかりと生育をしてきている よし 05月12日 らっきょう まあまあ 成育してきている 雑草だらけだけどねえ 05月19日 らっきょう 雑草とりしていて 抜き取ったので 収獲しておいた まあまあ 05月26日 らっきょう 雑草とりしたが すぐに 雑草がまた生えてくる 06月02日 らっきょう 雑草とりして すこし 収獲をしてしまった もう すこしだなあ 06月09日 らっきょう そろそろ 収獲できそうだなあ 雑草りとりしておいた 06月16日 らっきょう 収獲をした いい出来具合である 秋のらっきょう 08月25日 hcで らっきょう 買ってきた これも 9,月の中旬くらいから 植え付けよう 09月17日 g-3-4-の畝にらっきょう 植え付けた 09月24日 m-06の畝にも らっきょう 植え付けた 10月07日 らっきょう 茎が 延びてきている 10月14日 らっきょう 花つぼみが でてきている 花はもうすぐだなあ 10月21日 らっきょうの花つぼみ 色がついてきている 10月28日 らっきょう 花が咲いた なかなか 綺麗な花でもあるなあ 11月03日 m-07のラッキョウのまわりに たくさんの じゃがいもが 生えてきている 11月10日 g-03のらっきょうは まあまあ 花だらけで 生育はokである 11月17日 ラッキョウもたくさん植えているが 中に交じってるバクチもたくさんある 11月18日 g-03のらっきょう ここのは 元気が良いなあ 11月19日 m-07のらっきょう ここには じゃがいも たくさん生えている 11月24日 らっきょう たくさんあり 元気だ 12月01日 らっきょう 花が散ってきているが 良く茂っている 12月02日 らっきょう バクチと共存している しばらく このままでいこう 12月15日 らっきょう まあまあ 大きくなっている 追肥した 12月22日 g-03のらっきょう 元気が良い 12月23日 m-07のらっきょう こちらも 元気が良い 2019年 01月03日 らっきょう m-06の分 雑草とりしておいた これでよし 01月04日 らっきょう g-03の分 これも 元気である 01月05日 らっきょう m-06の分 雑草とりして もみがらかけた 01月12日 らっきょう 全部 元気に育っている 01月20日 らっきょう その後も 元気で育っている 01月26日 らっきょう m-06の畝の物 もみがらで 良く育っている 02月09日 らっきょう その後も 元気である 02月10日 らっきょう g-3のものも 元気である 02月11日 らっきょう m-06のもの もみがらのなかで 元気である 02月16日 らっきょう そろそろ 雑草とりも必要だなあ 02月23日 らっきょう その後も 元気である 03月02日 らっきょう3月になっても元気なり m-07のは消滅 m-06は小さい g-03は良い 03月09日 らっきょう 雑草とりして すっきりとした 03月16日 らっきょう そのごも 元気なり 03月23日 らっきょう 雑草がはえてきている 除草しよう 元号 おべんきょうその02 総説 紀年法のうち、西暦やイスラム紀元、皇紀(神武紀元)などが無限のシステム(紀元)であるのに対して、元号は有限のシステムである。 皇帝や王など君主の即位、また治世の途中にも行われる改元によって元年から再度数え直され(リセット)、名称も改められる。 元号の元年は「1年目」に当たる。 英訳すると、元号は「regnal era name」などとなる。 君主が特定の時代に名前を付ける行為は、君主が空間だけでなく時間まで支配するという思想に基づく。 「正朔を奉ずる」(天子の定めた元号と暦法を用いる)ことがその王権への服従の要件となっていた。 元号が政治的支配の正統性を象徴するという観念は、元号を建てることにより、既存の王朝よりも自らの正統性が優越しているか、少なくとも対等であることを示すことができるという意識を生んだ。 そのため、時の王朝に対する反乱勢力はしばしば独自の元号を建てた。 また、時の政権に何らかの批判を持つ勢力が、密かに独自の元号を建てて使用することもあった[注 1]。 このように、後世から公認されなかった元号を「私年号」と呼ぶ。 中国王朝の政治制度を受容した周囲の王権は元号制度もともに取り入れているが、これも同様の発想に由来する。 中国王朝から見れば、中国王朝を真似て、しかもこれと対等であることを示すために建てられた周辺諸国の元号は、やはり「私年号」であり、使用は許されないものであった。 一方で周辺諸国の王権は中国王朝から冊封を受け、周囲の競争勢力に対する自らの正統性の保障としたが、冊封の条件の一つが「正朔を奉ずる」ことであったため、独自元号の使用と冊封は両立しない要素であった。 はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.03.31 20:33:02
コメント(0) | コメントを書く
[らっきょとあさつき] カテゴリの最新記事
|