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はた坊のブログ   家庭菜園を始めて20年目に(菜園に専念に)なりました

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2020.03.16
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2019年
01月03日 バクチ 3回目の収獲をしておいた
01月12日 バクチ その後も 成長はしっかりとしている
01月14日 バクチ m-34の畝の分 元気なり   収獲しておいた
01月20日 バクチ m-34の畝の分  その後も 元気なり
02月02日 バクチ 5回目の収獲をしておいた
02月09日 バクチ m-06のもの たくさんある
02月23日 バクチ m-34の畝の分  生育は良し 収獲はokなり
03月02日 バクチ 6回目の収獲をした
03月03日 バクチ m-34の畝の分  まあまあである
03月16日 バクチ 成長を開始してきているみたい おおきくなりだした
03月23日 バクチ m-07のバクチ こちらも 成長を開始してきている
03月31日 バクチ m-34のも 背が高くなってきている 
04月06日 バクチ 成長してきている かなり花芽もでてきている
04月13日 バクチ 花も咲いてきている これで 種だらけになりそう
04月20日 バクチ 花だらけになってきているなあ
05月05日 バクチ 写真にとってみると 綺麗な花だなあ
06月15日 バクチ 枯れて 種がついてきている 収獲しておこう

秋のバクチ
09月29日 バクチのタネ hcで 売られていたので 買ってきておいた
10月05日 バクチ 庭で種まきをしておいた
10月13日 バクチ 発芽してきている 今年もバクチの苗 畑に植えつけよう
10月22日 バクチ 畑のバクチ 結構と発芽してきている にぎやかになっている
10月26日 バクチ 発芽した苗 あちこちに 勝手に増えてきているなあ
11月03日 バクチ 大量に発芽してきている バクチ たくさんあるなあ m-06
11月04日 バクチ 植え付けした苗 こちらは m-34の畝の分
11月09日 バクチ m-34の苗は その後も 生育はよし
11月10日 バクチ m-06の分 種から発芽して 密集している
11月11日 バクチ 今年も バクチ たくさん 発芽してきている
11月30日 バクチ 密集して生えているが 結構と生育してきている いい感じ
12月01日 バクチ m-34の畝の分 種きました分は 生育がやや遅いなあ
12月08日 バクチ 収獲をしておいた 結構とよく育っている
12月21日 バクチ 大量のバクチ 生育は良し いい感じなり

2020年
01月01日 バクチ たくさんあるので すこし 収獲をしておいた
01月19日 バクチ 霜がふると 真っ白け  日向のは 新鮮な葉である
01月26日 バクチ 霜をかぶっても その後は 元気である
02月01日 バクチ すこし背が高くなりだした 春が近いのかな
02月15日 バクチ 伸びてきている  たくさんあるので収獲していこう
02月22日 バクチ おおきいのを 収獲しておいた
02月29日 バクチ まだまだ たくさんあるなあ
03月14日 バクチ 背が伸びてきて 花芽がでてきそうになりつつある











認識論    おべんきょうその034

認識論の現在と未来

自然化された認識論

ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによって提案された
「自然化された認識論(英語版)」は、
自然科学的な方法論によって認識論を行おうという立場であり、
クワイン以降、様々な形で展開されている。

クワインは、まず、古典的な経験主義には二つのドグマがあり、ドクマなき新たな経験主義を確立する必要があると主張する。

彼によれば、
経験主義には、事実に基づく総合的真理と事実問題と独立な意味に基づく分析的真理の間には根本的な相違があるという信念と、
有意味な言明は直接的経験を指示する諸名辞からの論理的構成物と同値であるという信念の二つのドグマがあり、この二つのドグマは同じ根を持つ。

経験主義の伝統においては、真理とは、観念と実在の対応であり、
その場合の観念とは、一つの名辞を単位に考えられていたが、
カルナップらの論理実証主義は、この単位を一つの言明に置き換えた。

つまり、
ここでは、直接的経験によるセンス・データ(感覚所与)言語に翻訳可能であれば、
この言明は有意味であると考えられたのである。

しかしながら、クワインによれば、
このように実在と観念の対応を一つの名辞、
一つの言明に分解していく還元主義は不可能であり、
われわれの認識は一つの言語体系であり、
したがって、とある信念を検証するにあたっては、
一つの理論の全体との関係で、経験の審判を仰がねばならず、
そのコロラリーとして、分析的真理と総合的真理は区別することはできないのである。

クワインは、これを「全体論」と呼んだが、
これによれば、経験による改訂の可能性を原理的に免責されている信念はなく、
もし対立する二つの理論があるときは、
どのような経験によっても、
そのどちらかが完全に否定されることはなく、
どのような信念でも保持しつづけることができることになる。


はた坊





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最終更新日  2020.03.16 04:02:51
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