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畑の近くの池の 寺田池 写真を撮ってみた 民家や 建物が うつらない 場所から 写真をとると やや うっそうとした 雰囲気に見える 見えるだけで 実際は たんなる人口池ではあるが まあ 歴史と 伝統は ある 1900年の歴史をもつ 池である 日本の自然も 寺や 神社などは 古いものが 残っている 日本は 自然の四季に恵まれて 天候も良し 地震 雷 火事 津波 氾濫など 火山と大爆発なども 災害も多いが 自然には 恵まれている とも 言えるかも 自然がこれだけ残されているのは すごいものだなあ サツマイモ お勉強 その049 救荒作物としての普及 1715年(正徳5年)、 対馬の郷士 原田三郎右衛門が、 薩摩国からサツマイモの種芋を持ち帰った。 対馬国の地は 全島の9割近くが山地であり、 耕作面積が非常に狭いため、 武士階級でも山野の食物を採集して食べていたほど食糧生産事情が悪かったが、 サツマイモの普及によりこれが解消した。 現地では「孝行イモ」とも呼ばれる。 また、 サツマイモを非常に手間をかけて加工し、 「せん」と呼ばれる保存食を製造していた。 この「せん」から 対馬独特の団子や餅、ちまき、さらに 「ろくべえ」と呼ばれる麺を作る。 六兵衛は 肥前国島原半島周辺と対馬にて作られているが、 両者の関係はよくわかっていない。 共通するのは 他のサツマイモ産地と同様に 「米作りに適した土地(土壌)ではなかった」 という点である。 はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.01.24 06:00:08
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