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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次
「本村 八王子神社」を後にして、北に向かって進むと前方に大きな樹の聳える 古そうな民家があった。 道路に沿って歴史を感じさせる門と蔵の如き建物があった。 ここ本村地区の歴史ある名家なのであろう。 巨木を見上げる。樫の木であろうか? 名家の前には一面の畑が。名家の畑であろうか。 畑の角には「生産緑地地区」と書かれた石柱があった。 次に訪ねたのが「厄一王子社(やくいちおうじしゃ)」 神奈川県茅ヶ崎市茅ヶ崎1132。 「厄一王子社」と書かれた木柱。 「厄一王子社」の社殿。 御祭神:疫神(えやみのかみ)、本来は疫病の神だが、神名に「〜やみ」とあることから 疫病を抑える神という意味の可能性もある と。創立年代は不詳。 当社は、茅ヶ崎市十間坂に鎮座する第六天神社の兼務社の一つとなっている とのこと。 JR北茅ヶ崎駅に向かって西に進む。 白モクレンの花が青空に映えていた。 右手に大きな墓地を見ながら進む。 「水澤家」と刻まれた大きな墓があった。 中央には「南無大師遍照金剛」と。 「忠烈 故海軍航空兵曹長 勲七等功六級 菅野平吉墓」。 ここは以前訪ねた「円蔵寺」👈リンク の墓地であるようだ。 そしてJR相模線の「北茅ヶ崎踏切」を「北茅ヶ崎駅」を見ながら渡る。 踏切を渡り右に折れると正面にあったのがJR相模線の「北茅ケ崎駅」。 駅前には東邦チタニウムの本社工場があった。 「北茅ヶ崎駅」周辺の工場と引込み線。1964(昭和39)年の写真である と。 国鉄(現・JR)相模線「日東駅」(のち「北茅ヶ崎駅」)からは、戦前・戦中期より周辺の 工場に向けて引込み線が延びていた。画像は1964(昭和39)年撮影の空中写真を加工したもので、 赤い線が引込み線。この頃は「東邦チタニウム」(「日東製作所 茅ヶ崎工場」跡地)、 「東洋カーボン」(現「東海カーボン」)、「電源開発」、「トピー工業」などへ引込み線が 延びていた とのこと。 【https://smtrc.jp/town-archives/city/chigasaki/p04.html】より 「相模鉄道沿線案内 昭和初期」 「1921(大正10)年、「相模鉄道」(現・JR相模線)は茅ヶ崎~寒川間を開通させた。 砂利輸送を中心とし、開業当初は資金繰りが苦しかったが、1923(大正12)年の 「関東大震災」のあとは、復興のため砂利需要が高まった。1926(大正15)年4月には倉見まで、 同年7月には厚木まで路線が延長され、1931(昭和6)年には茅ヶ崎~橋本間の全線が開通した。 図は昭和初期、鳥瞰図絵師・金子常光(つねみつ)により描かれた『相模鉄道沿線案内』の うち、茅ヶ崎付近。「相模鉄道」の本社は「茅ヶ崎駅」の北側に置かれていた。」 過去には支線として、1931年に廃止された寒川駅から川寒川駅への支線(枝線) (通称:川寒川支線)と、1984年に廃止された寒川駅から西寒川方面への支線 (通称:西寒川支線👈リンク、寒川支線)も描かれている。 この地図では「四宮」駅があるが四宮駅は新明和工業(田端)の西側付近(土手のあたり)に あったらしい。終戦前に相模線が国有化された時に廃線となり、今は何の痕跡もない。 この四宮駅と寒川駅との中間には「東河原駅」が加わり、のちに「西寒川駅」等と改称されて 80年代まで使われた と。 【https://smtrc.jp/town-archives/city/chigasaki/p03.html】 「北茅ヶ崎駅」の横にあったのが「三嶋社」。 神奈川県茅ヶ崎市茅ヶ崎3丁目3。 石鳥居の先に朱の鳥居が4基並ぶ。 朱の鳥居の脇に鎮座する狛犬。さらに、その狛犬の奥に、小さな狛犬が!残念ながら1体しかなく、 しかも、さらに小さいのであった。 内陣。 駅前にあった「帰宅困難者用案内板」。 近くの一時滞在施設である「茅ヶ崎市男女共同参画推進センター」、「勤労市民会館」、 「湘南ステーションビル(ラスカ茅ヶ崎)」が青色で示されていた。 そしてJR相模線に沿って南に向かう。 右手にあったのが「野天湯元 湯快爽快 ちがさき」。 茅ヶ崎の天然温泉。毎日通える日帰り温泉。 JR東海道線茅ヶ崎駅北口よりの無料シャトルバスが停まっていた。 ここが、茅ヶ崎に住む旅友が時々利用されている日帰り温泉なのであろう。 神奈川県茅ヶ崎市茅ヶ崎3丁目2−75。 茅ヶ崎行きのJR相模線が通過。 「一里塚北通り」を進むと左手に見えて来たのが「セリア イオンスタイル湘南茅ヶ崎店」。 そして国道1号・「一里塚」交差点に出ると前方にあったのが 以前に訪ねた「茅ヶ崎一里塚」👈リンク。 神奈川県茅ヶ崎市6。 更に進み「茅ヶ崎駅前」交差点の地下道を渡る。 右手奥に見えたのが「茅ヶ崎市役所」の建物。 手前はこれも以前訪ねた「旧寛永寺石灯籠 四基」👈リンク があるのだった。 神奈川県茅ヶ崎市茅ヶ崎1丁目1。 「新栄町」交差点を左に折れて東海道線方向に進むと右手にあったのが 「地獄の担担麺 天竜茅ヶ崎駅前店」👈リンク。大きく描かれた死神の姿が印象的な店。 その先、右手にあったのが「正一位左近稲荷大明神」。 神奈川県茅ヶ崎市新栄町7−27。 朱の鳥居が二基。 「正一位左近稲荷大明神 縁起 稲荷信仰は、和銅四年(七一一年)如月(ニ月)初午の日に、稲荷大神が伏見の稲荷山に御鎮座に なったことにはじまります。 当左近稲荷大明神は、茅ヶ崎駅開設に伴い、この地域の人々の流入がはじまり、商業を営む方々 などにより、商売繁盛・五穀豊穣・学業成就など諸願成就の神として祀られました。 左近稲荷講中では、毎年初午に合わせ、講中の代表者が、京都の伏見稲荷大社に詣で、 祈祷を承け新しい神符を頂き、御社に納め奉り、講中のみならず、多くの市民の方々が 利益を授かリますよう、ご奉仕に努めております。」 「社殿」。 内陣。 「正一位左近稲荷大明神」からJR茅ヶ崎駅方面に50mほど行った場所に あったのが「湘南信用金庫茅ヶ崎営業部別館」。 ここが、昔は「相模鉄道 本社」の建物があった場所 と。 ちなみに、「相模鉄道」は1943(昭和18)年に「神中鉄道」(横浜~海老名間)を吸収合併 したが、翌年、茅ヶ崎~橋本間が国有化されてしまったため、「相模鉄道」は横浜~海老名間の 路線を運行する私鉄として存続となり、現在に至っている と。 神奈川県茅ヶ崎市新栄町10−4。 そしてもどり、「新栄町」の商店街通りを進み次の目的地の「厳島神社」に向かったのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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