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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.04.17
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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散歩
​【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

新栄町の商店街の道からJR東海道線方向に右折し、次の路地を右(西)に折れると
直ぐ右側に「嚴島神社」があった。
神奈川県茅ヶ崎市新栄町2−14。



神社前の駐車場の隅にあった「嚴島神社」の看板。
中央に朱で神紋「波に三つ鱗」が。江島神社の神紋も同じ図柄ではなかろうか。



駐車場には、先代の石鳥居の一部であろうか、置かれていた。
柱の部分には「氏子」の文字が刻まれていた。



「嚴島神社」の鳥居。



社号標石「嚴島神社」。



「嚴島神社玉垣完成記念碑」。



由緒
御祭神
 市杵島姫命 (イチキシマヒメノミコト)
 田心姫命 ( タゴリヒメノミコト)
 湍津姫命 (タギツヒメノミコト)
 記紀に示すが如く天照大神の御子神にましまし、天孫降臨に先立ち「天孫を助け奉りて天孫に
 いつかれよ」との神勅を奉じて 北九州と朝鮮半島を結ぶ海上要路の福岡県宗像に奉鎮され
 別の名を「道主貴」(ミチヌシノムチ)「宗像三柱神」と称し、皇室守護・国家鎮護・国民道の
 祖神として朝野を上げて厚い尊崇を受けました。
 安芸の宮島嚴島神社を始めとして 全国六十余の神社にて奉斎されております。
御神徳
 皇室守護・国家鎮護はもとより海外国内の交通安全守護家運隆昌 商売繁盛 音楽芸能の神として
 神威が迎がれております。
御祭儀
 一月一日  歳旦祭   七月海の日  浜降祭
  十四日  どんど祭  十一月    七五三詣
 五月五日  例大祭   十ニ月大晦日 大祓 
 六月晦日  大祓           除夜祭
             毎月五日   月次祭
諸際儀
 初宮詣を始め商売繁盛 諸祈願の社頭祈願祭、地鎮祭を始め出張諸祭については、ご予約
   下さればご奉仕致します
 お冏い合わせは〇四六七ー八ニーニ三八四(宮司本務社)まで」



「明治百年 植樹造園記念碑」。



鳥居の扁額「嚴島神社」。美しい色合いの注連縄が。
真中が太く両端に向かって細くなる「鼓胴型しめ縄」。
そして「藁垂(わらたれ)」が3本。



「手水舎」。



「神輿殿」であろうか。



「嚴島神社」の「神輿」をネットから。


    【http://blog.livedoor.jp/ryoujinkai/archives/50550916.html】より

「拝殿」。
御祭神は福岡県にある宗像大社という荘厳な神社に祀られている三姉妹の神様
 市杵島姫命 (イチキシマヒメノミコト)
 田心姫命 ( タゴリヒメノミコト)
 湍津姫命 (タギツヒメノミコト)
三女神のうち、市杵島姫命は弁財天とは同一とされているため、芸能上達のご利益もあるのだと。
神社庁の神社詳細「厳島神社」によると、創立年代不詳。
郷民の守護神として奉祀せられたとの伝承されており昭和初期まで現在の新栄町七番地内にて
祀られていたがその後に茅ケ崎駅前に遷し祀られた。
現在地には、駅前広場拡張に伴い昭和二十三年に二基の鳥居と松の木一本、柳一本と共に
奉遷せられた。本殿は昭和九年建築、拝殿は昭和四十八年建設。
末社の石神弁天社は当神社の沿革を担う社の一つ。



狛犬(阿形像)。



狛犬(吽形像)。



扁額「嚴島神社」。
宗像大社名誉宮司 久保輝雄敬書 と。



「拝殿」正面。



拝殿の御賽銭箱にも神紋「波に三つ鱗」が。



「拝殿建設碑」。



「拝殿」の右側にあったのが「境内社 石神弁天社」。
石の祠が鎮座されているのであった。



「石神弁天社由緒
この祠は、葦の密生する湿地であった所へ、明治中期に着工された茅ヶ崎駅開設用地に、人知れず
弁天様と呼ばれ祀られておりました。
工事開始とともに移転を余儀なくされた祠は、移転を繰返し周辺に祀られておりました
明治三十一年六月十五日茅ヶ崎駅が開設とともに周辺には、人家商家の進出が始り、その人々に
より人心の安寧と商売繁盛、地域の発展が 祈願され、報恩の祭りも賑やかに行なわれて
おりました。
昭和初期になり、旧新町(現新栄町・元町。共恵・幸町)の発展に大きな力を尽した旧新町下
一丁目の水澤家に勧請され、手厚く祀られて おりました。
昭和六十年四月十九日に南北自由通路を含めた駅舎駅ビルの完成開店により、茅ヶ崎市の玄関口が
一新したことを機会として、駅周辺の 発展を守り導き下さった弁天様を、古来より鎮座なされた
地の字名に因んで石神弁天社と尊称することとし、広大無辺な加護を、多くの 氏子崇敬者に
お頒ちくださるよう祈念し昭和六十年五月四日大安吉日を以て此の地に勧請いたしました。」



「拝殿」の左側にあったのが「妙音弁財天像」。



池の手前には「御賽銭入」が。
お賽銭をいれると、水琴鈴のような心地よい響きの音が響くのであった。



近づいて。
琵琶持つお姿にちなみ妙音弁財天と名付けられ、音楽芸能の導きの御神として
御神徳を広めている と。



八角形の池の中には龍の姿が。



「妙音弁財天像建立記念碑
弁天さまとして 土地の人々に親しまれ その願いごとを受けてこられた 厳島神社は 古く
西石神(現新栄町)に弁天社として建立せられ 大正七年に駅前に奉還され 更に昭和二十三年
現在地に移られた後 本殿の修復 拝殿 その他の建立をみましたが 弁天さまに縁りのある
池も改修に迫られたので 此度青銅製弁財天裸像を中央に安置申上げ 周囲に八角形の池を
お造りすることになりました
弁財天は 別称弁天さま 妙音弁財天 美音弁財天ともいわれ昔から 家内安全 幸運 財宝を
招き 音楽を始め 技芸上達の功徳を持つ水の神として 其の霊験があらたかなので 広く世に
知られています。
よって御神徳の御加護により氏子の皆様の安泰を祈願し 昭和五拾六年五月拾弐日 時の役員
参集のもとに弁財天裸像建立奉告祭を行い 同年拾壱月参日 入魂除幕の式典を行いました」。



「妙音弁財天像」越しに「本殿」を見る。



「裸弁天」
弁才天はインド・ガンジス河から発したが、日本に入り在来の神と習合し、変化に富む姿態をもち、
その役割も音楽、弁舌、学芸の神、水の功徳など多様である。
この裸弁天もそのひとつであろう。年代は不明。



こちらが「脇門」の石鳥居。その先には「拝殿」が見えた。



「社務所」であっただろうか。




                              ・・・​もどる​・・・


                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.05.20 05:50:29
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