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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.04.19
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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散歩
​【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

「左富士通り」を南下して行くと右手にあったのが「モリタ宮田工業 茅ヶ崎工場」。
消化器等消火設備メーカーの「モリタ宮田工業 茅ヶ崎工場」ではスプリンクラー設備と
同等以上の性能を持ち、病院、福祉施設、マンション等、様々な施設で導入されている
「パッケージ型自動消火設備スプリネックス」や、安全な食品原料の配合で作られた
住宅用消火器「キッチンアイ」などを主に製造している と。
またマザー工場として技術製品開発、品質センターの機能も有しているとのこと。



JR東海道線の「鳥井戸ガード」を潜って進む。



「浜見平北口」交差点を右折する。



そして訪ねたのが「松尾神明神社」。
神奈川県茅ヶ崎市松尾3−24。



社号標石「松尾神明神社」。



石鳥居を潜ると正面に「松尾神明神社」の「拝殿」が。
茅ヶ崎市浜之郷に鎮座する「鶴嶺八幡社」の兼務社の一つである。



扁額「神明神社」。



内陣。



「本殿」を見る。
祭神:天照大神
例祭:7月16日(金)(昨年)



隣りにあったのが「飯綱神社」。



内陣。



「松尾神明神社」境内の隅にあった「厄神大神」、「道祖神」、「庚申塔」の石碑群。



「大震災記念碑」。



「大正十二年九月一日関東ノ地ヲ襲ヒタル大地震ハ嚝古無比ノ惨事ニシテ就中黨部落ハ被害
激甚ヲ極メ一時ハ阿鼻叫喚ノ巷ト化シ鬼哭愁々将ニ世ノ終焉ヲ告クルノ思ヒアリシモ幸ニ神明ノ
加護ト𢸁郷一致ノ努力トニ因リ克ク災後ノ復興ニ善處シ今ヤ社殿ノ再築ヲ竣リ特ニ青年ハ参道
敷石ヲ奉献シテ民心崇敬ノ中軸ヲ確立セリ仍テ茲ニ碑ヲ建設シ永ヘニ追憶反省ノ規準タラシム
云爾」

裏面には全部て38名の名が刻まれてまれていたが、そのうち9名は内藤姓,他は企て青木姓で
あった。
倒壊した神社の再建記念碑であることが分かった。「永へニ追憶反省ノ反省ノ規準タラシム」
いいうくだりに、二度とこのような惨事を繰り返さぬようにとの願いが込められているように
感じられたのであった。


前の道路から「松尾自治会館」、「神明神社」を振り返る。



「松尾神明神社」のい裏にあったのが「松尾山 善性寺」



「松尾山 善性寺」を後にして南に向かって進む。



右手にあったのが「青和保育園」。



そして次に訪ねた「善福寺」の角の路地にあった石仏。
石仏の台座には「救世」の文字が。
台座側面右には「地蔵菩薩以大慈悲、若閔名號不陥闇黒」と。
台座側面左には「文久元年 霜月
        導師 善福寺金海
        昭和卅七年神無月修復
           小川巧二
           藤間由五郎」 と。
裏面には「濱洲神社 明治二十二年三月吉日」とあるが、
これは東京・大森の浜川神社のことであろう と。



ここが「善福寺」の脇門(南門)。
神奈川県茅ヶ崎市柳島1丁目3−28。



「高野山 真言宗」と。



「柳島山 善福寺」と。



「柳島山 善福寺」の「山門」に廻り込む。



斜めから。入口には太鼓橋が。



寺号標石「高野山真言宗 善福寺」。



「子育地蔵尊」と刻まれた石碑。



仏の姿が線刻で。



「山門」前の仁王像(阿形像)。



「山門」前の仁王像(吽形像)。



「柳島山 善福寺(りゅうどうざんぜんぷくじ)
 御本尊  阿弥陀如来
 宗 派  高野山真言宗
 総本山  高野山金剛峯寺
 宗 祖  弘法大師(空海)
御宝号 南無大師遍照金剛
教義と信仰
 宇宙のすべてのものは、大日如来のいのちの顒われであり、このいのちの世界をあらわして
 いるのが曼荼羅です。
 高野山真言宗の教えは、いのちの平等と尊厳をさとり、大日如来の智慧をこの世に実現する
 ために、生かせいのちを実践し共存共生の世界をめざすことにあります。
 本宗の御宝号念誦運動は、弘法大師の共利衆生の精神に立って、すべてがいのちを共にしている
 社会の福祉をめざす具体的な活動です。
 弘法大師は未来永劫にわたって衆生を救済すると御誓願され高野山奥之院に入定留身されて
 います。同行二人の信仰のもと大師の御教えをこの世に生かし実現することが、私たちの務めで
 あり喜びです。」



「山門」越しに「本堂」を見る。



「山門」を潜って「本堂」を見る。



「山門」を潜った左側に「大師堂」があり、2体の大師像が安置されていた。



右側の碑の後ろ側には「四国八十八ヶ所霊場順拝記念」碑、「生かせいのち同行二人」碑。
手前二基には「南無大師遍照金剛」と。


 
向かって右側のやや身幅が狭い方が第38番の善福寺大師像で、かなり風化が進 み傷みが激しい。
左が第39番の大師像。
台石は花崗岩製の真新しいものに取り替えられており、特に銘などは彫られていない
ようであった。 



扁額「大子堂」。



「柳島山善福寺復興記念」碑。
大正十二年九月一日関東乃地大に震ひ當地方最も劇甚を極む柳島の地民家全部殆ど倒壊し
死傷数名黨山の本堂庫裡亦其数に漏れず災後壇信徒相議して其復興を企図し昭和六年八月
三日落成供養法會を執行し其梗概を石に勤(いそ)して以て不朽に傳ふと云爾」



「本堂」と手前に「常香炉」。



本堂の扁額は「善福寺」。



「脇門」左手にあった「六地蔵」。



「観音菩薩像」



お顔をズームして。



鎮座する左から、
千手観世音菩薩:子年生まれの御守本尊、  虚空蔵菩薩:丑・年生まれの御守本尊、
文珠菩薩:卯年生まれの御守本尊、     普賢菩薩:辰・巳年生まれの御守本尊、
勢至菩薩:牛年生まれの御守本尊、     大日如来:未・申年生まれの御守本尊、
不動明王:酉年生まれの御守本尊、     阿弥陀如来:戌・亥年生まれの御守本尊、



角度を変えて。



「手水舎」。



「戦歿者之碑」。
柳島地区の太平洋戦争戦没者の慰霊碑。56柱が合祀されている。昭和25年3月に有志らによって
建立された。
裏面に5段にわたって戦没者名が刻字されているが、戦没年から見て、最下段の行は追刻であり、
また最初の3柱は太平洋戦争の開戦前の戦没である。
碑高239㎝、幅90㎝、厚さ13㎝、台石40㎝、基壇75㎝。
碑正面:
「第二次世界戰 戰歿者之碑 前神奈川縣會議長 深田良信謹書」。
碑裏面
・・・多くの戦歿者の名前、戦歿日が刻まれていた・・・
維時昭和廿五年三月彼岸建之 發起人 柳島有志
善福寺住職十八世 少僧正井上壽山代
上古澤 石一刻」。



「十三重塔」と「弘法大師修行像」。



「十三重塔」をズームして。



「寺務所」。




                              ・・・​もどる​・・・


                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.06.14 05:39:01
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