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カテゴリ:東海道五十三次:往路
さて。
寄り道をちゃっちゃと済ませ、9時半。昨日のゴール、橋本駅より いざいざいざいざ出立するでござるっ いよっ、どんどんど~んっ!!! この辺りは、戊辰戦争に関係している遺跡(?)が多く。 [戊辰戦争] 1868年(慶応4)1月の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いから1869年(明治2)5月の箱館(はこだて)戦争までの戦争をいう。1868年が干支(えと)で戊辰(つちのえたつ)の年にあたるので、この呼称がつけられています。 色々な姿を見せてくれまするな京街道 「寺田屋」付近はまさに激戦地であり、そして戦火で焼け、京都競馬場のそばには「戦没者の碑」が建っており、そしてこの「楠葉砲台跡」→→→ 元治元年(1864年)、徳川幕府は、大阪湾から淀川を通って京都に侵入する外国船に備えて、淀川左岸の楠葉と右岸の高浜に砲台を築きました。両砲台に設置された砲は、カノン砲4門づつだったとと考えられています。 やっぱり本日ももちろん(!)、いきなり間違えちゃったり、ウロウロと行ったり来たりはお約束でござれば。ぷ。 そして、枚方宿には11時半過ぎ。 枚方宿は、「ここはどこじゃと船頭衆に問えば、ここは枚方鍵屋浦 鍵屋浦には掟はいらぬ 三味や太鼓で船止める」と「淀川三十石舟唄」にも歌われたほど大層賑わったところで、今でもその船宿「鍵屋」が残っています。 京阪電車に京街道そして国道13号 鵲(かささぎ)橋手前の天野川の土手w/橋を越えると枚方宿 「鍵屋」のあった裏が鍵屋浦/その先「泥町」付近 そして、この辺りでは「めしくらはんかい。酒のまんかい。サァサァみなおきくされ」「われもめしくふか。ソレくらへ。そっちゃのわろはどうじゃいやい。ひもじそふなツラしてけつかるが、銭ないかい」と近づいてきては乱暴な言葉で強引に売りつけに来る(笑)物売りの小舟「くらわんか船」も名物だったそうな。 その様子は弥次喜多の「東海道中膝栗毛」の中でも描かれており、言葉の乱暴さに弥次さんが「イヤこいつらアいわせておきやア、とほうもねへやつらだ。よこっつらアはりとばすぞ。」と怒ったとか(笑)。 こいつぁ~おもしれぇ~ しばらく進むと西見附。こうして枚方宿を後にしたでござる。 つづく・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 15, 2012 12:21:03 PM
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