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カテゴリ:混在
2005年7月に「木本節」についての記事を載せています。
知人が先日「木本節」について書き込んでいましたので、私も古い記事を引っ張り出して再掲します。 今では木本祭りの宵宮の時木本婦人会の方々が手踊り・道中踊りを復活させていますがそれ以外では耳にすることもないですね。 昭和の民謡ですからそんなに古くはないのですが90年たっていますね。 13年前も同じでした。 60年前だと木本祭りには奇麗どころも道中踊りをやっていました。 木本にも「芸者さん」がいました。 「割烹料亭」なんてのもあったのですから… 紀勢西線が「紀伊木本駅」が終点で、木本が元気だった時代でしたから… 「再掲記事」2005年7月29日 主は鬼ヶ城 雄雄しき姿 わたしゃ焦がれて 散る女波 ヨンヨイ ヨンヨイ フリコメサン 木本節という民謡は昭和2年(1927)に作られました。珍しいことに、歌詞は一般公募で募り、入選作を採用しました。 一般に公募しても、一人の人の歌詞を手直しして仕上げるものですが、木本節は入選作を全部歌詞にしたので、町内の人の合作になっています。 御浜獅子岩 松吹く風と 並みのハヤシに 神楽舞い 徐福しのんで 書きたる文字の 岩に不老の 苔が蒸す 花の窟の 松吹く風は 神代ながらの 声がする 七里御浜は 霞に暮れりゃ 沖にいさり火 主恋し などと名勝を読み込みながら続いてゆきます。 昔は木本祭り(10月1日でした)には、きれい所が、三味の音と共に、道中踊りを披露したものでした。そして、ことあるごとに『伊勢音頭』とともに『木本節』を歌ったものです。 今では木本節を聞くこともほとんどなくなりました。きれい所などというものは、当の昔に消えています。合併して熊野市になってからは木本町は中心とは言え、市の一部になってしまいましたからね。 人気ブログランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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