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テーマ:地球の異変(210)
カテゴリ:混在
1944年12月7日はこの辺の大震災記念日です、
午後1時36分頃尾鷲沖から浜名湖沖を震源とする、マグネチュード7.9の「昭和東海大地震」が発生しました。 直下に近い地震で大津波が紀伊半島から伊勢湾方面をおそいました。 震源地が広範囲なので、広大な範囲に被害を及ぼしたのですが、写真などの記録がほとんど残されていません。 敗戦直前で甚大な被害を的に知られたくないと言うことで、新聞記事どころかアマチュアカメラマンが撮影したフィルムまで軍部が没収していったからです。 死者・行方不明者1224名と推測されているようです。 東京空襲が出来るほど、制海権も制空権も握っていた米軍が分からないはずは無いのですがね。 そんな状況なので正確な死者の数も分からないようです。 いかにも日本らしい・・・ このすぐ前辺りから北に向かって断層の破壊が進んだのですが木本では被害が少なかったようです。 津波も我が家の裏辺りでは低い旧・旧堤防を少し越えた程度だったようです・ 家屋の破損もさほど無く済んだようですが、尾鷲では大きな津波が襲って、尾鷲湾の底が見えるだけ水が引いて、押し寄せた津波が気象台の所まで届いたそうです。 今の尾鷲市民病院の高さくらいですね。 地震や津波の被害は震源の位置と地形が大きく関係しますからね。 新宮沖が震源なら木本ももっとひどかったでしょう。 伊勢湾台風でもこの周辺では一番被害が少なくて済みましたし、以外と幸運な土地なのかも知れませんね。 「神々の郷。熊野」ですからね。 防災三重より拝借 この頃に日本は4つほどの大地震に見舞われていますが、あれから75年も経ってきていますし、マスコミでも言われているようにこの沖一帯を震源とする「南海トラフ地震」は何時起きてもおかしくないのです。 「昭和東南海地震」の記憶などとうの昔に消えているし・・・ 「伊勢湾台風」も忘れているし・・・ 周辺では堤防も高くなっているし、高波には潜堤も作ってあるし一番安全な町には仕上げてありますが、この程度の人知では何処まで耐えられるやら・・・ 防災マップでは「安全」とは言えないのですけどね。 人間は怖いことを忘れられるから生きていられるのだそうです。 確かに、そうで無ければ恐怖で人類はおかしくなるでしょう。 それでも、何割かの人間がその記憶を残さないといけませんね。 私の後を継ぐ人間も居ませんし・・・ 「もうすぐ揺れる!」は忘れないでください。 人気ブログランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020/12/02 06:00:07 AM
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