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JE2LUZ・熊野

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2021/12/18
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カテゴリ:熊野について
 木本町は熊野古道の北の入り口になっていました。
 「松本峠」をこえて、浜街道に入る入口でした。
 松本峠を越えて七里御浜越しに見た「熊野三山」の山並みは素敵なものだったと思います。
 街道は親父町から本町通に入り海岸沿いを通っていたのです。
 昭和に入り、起源2600年を記念して「記念通り」が作られ木本の中心がの駅との関係もあって、中心がずれていったのです。
 元々の地形では木本の左端は「池尻」と呼ばれる沼地。」田んぼだったようです。
 さすがにその時代のことは知りませんが、切立からの谷は要害山の阻まれ、おそらく、我が家の近くで海に出ていたこともあったのでしょうね。
 木本では浜地ですから水の確保が大変だったようです。
 新田からの水とゆで引っ張ってなんか箇所かの水受け場所に給水していたそうです。
 おかげで、近代上水道の整備が三重県でもトップに行われたようです。
 記念スタンプが「国会議事堂完成記念の記念切手」に押されています。
 それに、紀元2600年を機会に「記念通り」を整備したのです。
 戦時中に片側二車線両脇に歩道をとった立派な道を通したのです。
 木本町が元気だった時代です。
 戦後になってようやく世間が落ち着きかけたころになって記念通りが中忍になった行ったようです。
 その頃になると、人口の都市集中が始まり、若い衆はどんどん都会に出て搗くようになり、過疎化が始まってのです。

 この板塀の場所わかりますか?
 記念通りのど真ん中です。
 記念通りを通すときに中途半化に残った土地をりようして、商店が並んでいたのです。
 雑貨屋さん・テイクアウトの寿司屋さん・写真屋さん・印鑑屋さん・お総菜屋さん」が並んでいたのですが、奥行きが一間ほどの店でしたが、そこそこ商売にはなっていたようです。
 老朽化もあって取り壊されています。
 目抜き通りからお墓が見えるなんて…
 だから、無理やりみすぇを作っていたのでしょう。


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最終更新日  2021/12/18 09:19:53 AM
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