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テーマ:マハトマ・ガンジー(100)
カテゴリ:マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界
1901年 32歳 ガンジー、南アフリカから帰国。インド各地を旅行。会議派カルカッタ大会に出席。
1902年 33歳 ボンベイで弁護士業開業 12月イギリス植民地相チェンバレンの南アフリカ訪問で南アフリカに呼び戻される 1903年 34歳 ヨハネスバーグに弁護士開業。「バガバット・ギーター」を研究。 1904年 35歳 ダーバンで発行されていた「インディアン・オピニオン」を自分の機関紙とする。ラスキンの「この最後の者に」を読んで感動し、フェニックスに農園を開き、修業の場とする。 1906年 37歳 ズールー族の反乱に野戦病院隊を率いてイギリス軍に従軍。奉仕のためブラフマチャリアの誓いをたてる。 9月トランスバール政府の新アジア人登録法案に反対し、サティアグラハ闘争を開始。 1907年 38歳 アジア人の強制登録法の制定に反対し、サティアグラハ闘争を組織して12月に逮捕される。 1908年 39歳 1月ヨハネスバーグで禁固2ヶ月の判決を受けて最初の下獄。 獄中でラスキン、ソクラテス、トルストイ、ハックスレー、ベーコン、カーライryの著作を読む。 スマッツ将軍と協定が成立し、1月釈放。 8月スマッツ将軍が破約したので、トランスバール移民制限法に対してサティアグラハ闘争を開始。 不法入境を扇動。10月逮捕され、2ヶ月の禁固。 1909年 40歳 3月逮捕され3ヶ月の懲役。 「ヒンズースワラジ」(インドの自治)出版。 1910年 41歳 5月トハネスバーグ近郊にトルストイ農場を開く。 この年南アフリカ連邦政府が成立。 1913年 44歳 フェニックス農園のメンバー2名の不行跡を懺悔し、1日一食の断食を4ヶ月以上続ける。 9月南アフリカ政府がキリスト教の儀式以外の結婚を無効としたため、これに反対するインド婦人の闘争を支援。 10月ストライキ中のインド人炭鉱労働者を率いて、サティアグラハ大行進を決行し、11月逮捕され投獄。12月スマッツ将軍と交渉のため無条件で釈放。 1914年 45歳 1月農園のメンバーの不行跡で14日間断食。 サティアグラハ闘争は勝利し、インド人救済法成立。 7月南アフリカ出発、ロンドン経由で帰国。同月第一次世界大戦始まる。 1915年 46歳 22年ぶりにインドに帰国。国内を視察。 1916年 47歳 12月ネルー(27歳)初めてガンジーに会う。 1917年 48歳 ビハール州チャンバランで農民争議を指導。逮捕されたが無罪釈放。11月ロシア革命。 1918年 49歳 2月アーメダバードの紡績労働争議を指導。インドで最初の断食(3日間)。 3月ケダ地方の小作農民のためにサティアグラハ闘争。 第一次世界大戦参戦中のイギリスに協力し、インド兵徴募の運動中赤痢にかかる。 ヤギの乳を飲み始め、病気回復期に手紡ぎを覚える。 8月ローラット法案発表される。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年07月14日 05時08分57秒
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