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テーマ:マハトマ・ガンジー(100)
カテゴリ:マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界
「マーティン・L・キング」梶原寿著 より
1955年12月1日のローザ・パークス事件に後、5日の集会で決議された要求項目はささやかなものであった。 「われわれが求めているのは、バス乗車における正義と公正な取扱いだけである。 空席があるのに黒人が立たねばならないという考えである。 その点における正義をわれわれは要求している。」 ところが市側もバス会社も強硬に要求を拒絶し、乗客の少ない黒人居住区のバス路線の運行を拒否した。 キング牧師はこの打開策として、第2回目の集会において、カー・プール・システムを提案した。それは運動の担い手たちが互いに自動車を提供しあって、朝夕の通勤の人々を輸送するシステムだった。 集会で承認され、200人以上の運転手の応募があった。 市内に40箇所のステイションが設けられ、中央指令所の指示にしたがって、輸送計画が実施された。 心ある白人も声を挙げた。 「一人の白人が座るために一人の黒人が立たせられることが正しいと信じている白人がまだいるとは」 ジュリエット・モーガンという女性は、このボイコット運動をマハトマ・ガンジーの塩の行進にたとえて「憎悪からの自由と結びついた受動的抵抗は無視できない力である」と書いた。 これを契機にキング牧師の非暴力抵抗運動をガンジーと結びつけるようになったという。 モンゴメリー市の行政委員は、カー・プール・システムの運転手たちを保険や免許を停止すると脅かし、待ち合わせる運転手を浮浪罪で告発するなど強硬政策をとりはじめていた。 1956年1月26日には、キング自身も時速25マイル制限区域を30マイルで走ったと逮捕・投獄された。 1月なかばには一日30回から40回の脅迫電話がかかってきた。 1月27日夜の「コーヒーカップの祈り」はそういう中での体験だった。 そして1月30日夜にはキング宅に爆弾が投げ込まれた。 急いで帰宅したキング牧師は家族の無事を確認して次のように語った。 「私はあなたがたに敵に愛するように望みたい。 彼らに優しく対応してほしい。 彼らを愛し、彼らにあなたがたが彼らを愛していることを知らしめてほしい。 このボイコット運動を始めたのは私ではない。 私はただあなたがたのスポークスマンとなるように、あなたがたから頼まれただけだ。 私はこの国全体に、たとい私を止めることができても、この運動が止まることはないことを、知ってもらいたい。 たとえ私が止められても、われわれの事業は止まることがない。 なぜならわれわれがしていることは正しいからだ。」 キング牧師が家が爆破された日の2日後、1956年2月1日。モンテゴメリ改良協会はバス内での人種隔離は合衆国憲法修正14条(法の下での平等なる保護)違反であるから撤廃すべきであると訴えを、連邦地方裁判所に起こした。 モンゴメリー市は2月21日にボイコット禁止を定める州法に訴えて、キングら100余名を告訴した。 キング牧師はこのとき、アトランタの父のもとに立ち寄った。 父はキング宅爆破事件のときには「死んだライオンのなるよりも生きた犬であるほうがいい」と告げており、わが子の身を案じてアトランタにとどまるよう涙を流して説得した。 モンゴメリーに帰ったキング牧師は仲間たちが逮捕されるために喜んで刑務所にかけつけたと知らされた。誰も恐れてはいなかった。 かって恐怖心が支配したところに確信があった。 3月19日に始まった裁判でキング牧師は有罪を宣告された。モンゴメリーの黒人達はキング牧師の有罪判決を自分に宣告されたように感じ、抗議運動はますます強力になった。 6月4日連邦裁判所は、市バスにおける人種隔離を定めたアラバマ州法を違憲と裁定した。 しかし市側は最高裁判所に上訴した。 さらに公的妨害の理由でカー・プール・システムを攻撃した。 11月13日、市はカー・プールの禁止命令を裁判所に申請した。 さらにバス・ボイコットによる市税収入に対する損害賠償15,000ドルを要求した。 「時計は正午だったが、私の心は真夜中だった」と後にキング牧師は回想している。 ちょうど昼の休廷のとき、AP通信の記者が一枚の電文をキング牧師に手渡した。 「連邦最高裁は、特別3人判事による連邦地方裁の、バス内での人種隔離を規定するアラバマ州法およびモンゴメリー市条例を違憲とする裁定を本日確定した。 最高裁はいかなる議論に耳を傾けることもなく行動し、ただ『確定の申し立ては認められ、判決は確定した』とのみ宣告した。 しかし、カーター判事はこの最高裁判決にもかかわらず、カー・プールの禁止命令を言い渡した。 最高裁判所の命令書は一月くらいかかるとわかったモンゴメリー改良協会は。カー・プール・システムに代り、自発的な「乗り合わせ計画(シェア・エ・ライド・プラン)で対応した。 この間、黒人指導者が心を砕いたのは、非暴力に徹することだった。 「われわれはこの勝利を、白人に対する勝利と考えるべきではなく、正義と民主主義のための勝利と考えるべきである。」 「神に導きを祈り、バスに乗るときは言葉と行動において完全な非暴力に徹すること」 「これは黒人だけの勝利ではなく、モンゴメリーと南部のすべての人の勝利であることを覚えて、高ぶったり、自慢したりしないこと」などを強調した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年08月25日 19時08分33秒
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