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2009年04月28日
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カテゴリ:宮澤賢治の世界
【むかわ】賢治ゆかりの花壇「涙ぐむ眼」に彩り
(2009年 4/27)

小学生も頑張って植栽

 むかわ町穂別富内の銀河ステーションで26日、今年も宮沢賢治設計の花壇「涙ぐむ眼」に彩りが戻った。住民たちがパンジー約2000株を同花壇や周辺に植え、「今年も最高の出来栄え」と笑顔を見せている。

 1986年の旧国鉄富内線の廃線を受け、宮沢賢治が理想に掲げたイーハトーブを目指して、駅舎やレールを当時のまま保存し、涙ぐむ眼をホーム横に作った。

 涙ぐむ眼は27年ごろ、賢治がノートに書き残した西洋式花壇。住民らが88年から毎年、思いを込めて花の苗を植栽している。横17.8メートル、縦9メートルの楕円(だえん)形花壇に、同心円状に色とりどりの花を植える。

 今年は天候悪化を見越し、25、26の2日間に分け、パンジー約2000株を植栽。花壇には中心から青、赤、黄、白の円が二巡するよう植え、25日に8割近くを整備し、26日に住民約20人で仕上げた。

 涙ぐむ眼を整備するプリオシン倶楽部の高橋健一会長は「たくさんの人が見に来てくれたら」とにっこり。富内小の北倉大誠君(11)は約20株を植え、「今年もきれいにできた」と満足そうだった。



Tearfuleye

Teafull eye スケッチ

ブラキカムの白とオレンジの白目と虹彩
中央の瞳はパンジー
まつげはウラシロヤナギ

そして目頭と目じりに水がめを用意し
睡蓮の仲間:ヒツジ草を浮かべた
何故ヒツジグサなのかというと、
羊の刻(午後2時ごろ)に白い花が咲くのでヒツジ草と呼ばれる
(実際には季節や気温、日照状態に左右される。)

その時 涙がこぼれるのように見える
・・・・というわけで
宮沢賢治の工夫に満ちた 花壇
「(涙ぐむ眼」の設計図は
1927年ごろの賢治のノート「メモ・フローラ」に記されていた

   イハトーヴの植物学 伊藤三弥
    「花壇に秘められた宮沢賢治の生涯」 洋々社

この「涙ぐむ眼」を折り紙で表現された方がいる。

折り紙 涙ぐむ眼

2008年10月29日

第15回おりがみカーニバルで 青柳祥子制作 Tearful eye (涙ぐむ眼)が、長野耕平賞を受賞いたしました。Tearful eye というのは、宮澤賢治が、生前にメモフローラと表記したノートに書かれた花壇の設計図の一つです。15年以上前に、岩手、花巻の宮澤賢治館を訪れたときに、このメモフローラの花壇設計図を見て、釘づけになりました。いつか賢治が作れなかった花壇を自分で作りたいと思いました。



     花壇工作 宮沢賢治

 おれは設計図なぞ持って行かなかった。

 それは書くのが面倒なのと、もひとつは現場ですぐ工作をする誰かの式を気取ったのと、さう二っつがおれを仕事着のまゝ支那の将軍のやうにその病院の二つの棟にはさまれた緑いろした中庭にテープを持って立たせたのだ。草取りに来てゐた人も院長の車夫もレントゲンの助手もみな面白がって手伝ひに来た。そこでたちまち箱を割って拵えた小さな白い杭もでき ほうたいをとった残りの晒しの縁のまっ白な毬も出て来た。そこでおれは正方形のつめくさの絨氈の上で夕方までいろいろ踊るといふのはどうだ あんな単調で暑苦しい蔬菜畑の仕事にくらべていくら楽しいかしれないと考へた。それにこゝには観る人がゐた。北の二階建の方では見知りの町の人たちや富沢先生だ富沢先生だとか云って囁き合ってゐる村の人たち、南の診察室や手術室のある棟には十三才の聖女テレジアといった風の見習ひの看護婦たちが行ったり来たりしてゐたし、それにおれはおれの創造力に充分な自信があった。けだし音楽を図形に直すことは自由であるし、おれはそこへ花で BeethovenのFatasyを描くこともできる。さう考へた。

 そこでおれはすっかり舞台に居るやうなすっきりした気持ちで四月の初めに南の建物の影が落ちて呉れる限界を屋根を見上げて考へたり朝日や夕日で窓から花が逆光線に見えるかどうか目測したりやってから例の白いほうたいのはじで窓に二本の対角線を引かせてその方庭の中心を求めそこに一本杭を立てた。

 そのとき窓に院長が立ってゐた。云った。

(どんな花を植えるのですか。)(来春はムスカリとチュウリップです。)
(夏は)
(さうですな、まんなかをカンナとコキア、観葉種です、
それから花甘藍と、あとはキャンデタフトのライラックと
白で模様をとったりいろいろします。)
 院長はたうたうこらえ兼ねて靴をはいて下りて来た。

(どういふ形にするのです?)
(いま考へてゐますので。)
(正方形にやりますか。)どういふ訳か大へんにわかにその博士を三人も使ってゐる偉い医学士が興奮して早口に云った。
 おれはびっくりしてその顔を見た。それからまわりの窓を見た。そこの窓にはたくさんの顔がみな一様な表情を浮べてゐた。愚かな愚かな表情を、院長さんとその園芸家とどっちが頭がうごくだらうといった風の──えい糞考へても胸が悪くなる。

(えゝもう どうせまはりがかういふぐあいですから対称形より仕方ありますまい。)
 おれも感応した帯電体のやうにごく早口に返事した。院長がすぐ出て行って農夫に云った。

(その中心にきれを結びつけてこゝのとこまで持って来て、さうさう それから円を描きたまへ。関口、そこへ杭をぐるっとまはすんだ。)院長は白いきれを杭の外へまはした。
 あゝだめだ正方形のなかの退屈な円かとおれは思った。

(向ふの建物から丁度三間距離を置いて正方形をつくりたまへ。)
 だめだだめだ。これではどこにも音楽がない。おれの考へてゐるのは対称はとりながらごく不規則なモザイクにしてその境を一尺のみちにして煉瓦をジグザグに埋めてそこへまっ白な石灰をつめこむ。日がまはるたびに煉瓦のジグザグな影も青く移る。あとは石灰からと鋸屑で花がなくてもひとつの模様をこさえこむ。それなのだ。もう今日はだめだ。設計図を拵えて来て院長室で二人きりで相談しなければだめだと考へた。

 おれはこの愉快な創造の数時間をめちゃめちゃに壊した窓のたくさんの顔をできるだけ強い表情でにらみまはした。ところが誰もおれを見てゐなかった。次におれはその憐れむべき弱い精神の学士を見た。それからあんまり過鋭な感応体おれを撲ってやりたいと思った。








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最終更新日  2009年04月29日 00時04分55秒
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