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2009年10月15日
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2009年10月13日(火)森町の商工会館で、

遠州森町発 第9回 町並みと蔵展

発明王鈴木藤三郎を生んだ町

11月28日(土)・29日(日)午前10時~午後4時
会場:森町中心市街地


の勉強会が開催された。
早めに着いたので、商工会1階の「ル・モンド」という喫茶店に寄った。
ありがとうございました。サンドイッチとってもおいしかったです。
「ル・モンド」とはフランス語で「世界」という意味である。森町から世界に発信する窓なのかもネ(^。^)

荷物を預かってもらい、庵山の福寿観音さまと鈴木藤三郎氏のお墓をお参りし、夕やけに暮れなずむ森町中心街を散策した。森町は次郎柿発祥の地であり、酒屋さんには「次郎柿ワイン」が置かれていた。今度、「報徳記を読む会」の森町勉強会を報告する際に披露しようと1本買い求めた。

「ル・モンド」に戻った際に、当日使う「報徳社徒 鈴木藤三郎という人」3部作 と「ツキを呼ぶ魔法の言葉」(五日市剛) と 「運命を変える言葉」致知出版社 を差上げてきた。

「今日の勉強会で 五日市剛 さんの言葉と 今野華都子さんの言葉に触れますから」

このところ、ちょっとびっくりするような同時性がよく起るのだが、
昨日、今市の佐藤先生からいただいた「報徳道研修 いまいち一円会 通信第136号」でNさんが 「ありがとう」の言葉 というエッセイを寄稿され、五日市さんの小冊子に触れられていた。

「ありがとう」の言葉

 普段私たちが使う「ありがとう」という言葉は、誰かに何かをいただいた時や親切にしてもらった時など、自分の為になった時に、その相手に感謝の気持ちを伝える言葉として使っています。
 しかし、「ありがとう」という言葉には、さらに深い意味がこめられているのです。それはお釈迦様の教えの中に、自分が誰かに何かをすることにより、功徳を積むことができるのだから、誰かに何かをするのではなく、させていただくことになり、「ありがとう」と感謝するおだというのです。
 誰かに親切にされた時はもちろんのこと、親切にした時も「ありがとう」という言葉で自分の気持ちを表すのです。

 そして更にもうひとつ、ありがとうを漢字で書くと「有り難う」となります。そうです、「難が有る」と書くのです。何か悪いことがあった時、不幸を断ち切るために、「ありがとう」と、そうすると逆に良いことが起こるというのです。

 信じるか信じないかは人それぞれだと思いますが、「ありがとう」というひとつの言葉には、さまざまな意味が込められているのです。
     「ツキを呼ぶ魔法の言葉」より


鈴木藤三郎と一緒に「中央報徳会」を起こし「斯民」を発行した留岡幸助は、北海道に家庭学校を創設し、罪を犯した少年を更生させる学校を作った。
その家庭学校の講堂には、「難有」という額が飾られているという。
留岡幸助氏の意図を想う。

犯した罪を悔い、学校を出たとしても、犯罪を犯したということで社会から白い眼で見られる辛い思いをするであろう。「難有り」である。その「難有り」を「有り難い」と受け止めて至誠をもって働き、節制して、余剰を推譲しつづけるならばきっと幸せになるに違いない。


難有
  今朝は最初に文字を読んでもらいます。この字ですが読めますか。

八鹿町立八鹿中学校
一年生の皆さんへ より抜粋

  難有

 この間雑誌を読んでいたら、この文字のことが載っていました。皆さんにも紹介したいと思います。
 これは、「なんあり」と読みます。
「難」が「有る」、難儀や難しいことや苦しいことが有るということです。
この文字を、北海道のある学校では、講堂の正面に大きな額に入れてかけてあるのだそうです。
それは北海道家庭学校というところです。北海道家庭学校というのは、前の言い方でいえば「教護院」です。今は、「自立支援施設」と言います。ここは、万引きとか、盗みとか、暴力とか、シンナーを吸うとか不良行為をしたような子どもや若者を鍛えなおしていくところです。こんな自立支援施設(教護院)は、全国のあちこちにあって兵庫県には明石市にあります。北海道家庭学校もその内の一つです。
 そこの学校に来るのは、いろんな問題を起こしてしまった子どもたちです。そのような子どもは、難儀や難しいことからすぐに逃げ出そうとする、苦しいことは避けようとするような子が多いのだそうです。それで、「難有」という言葉をかかげて、難儀や難しいことが有るのは当たり前だ、それに負けてはいけないのだということを教えているのです。
 とても大事なことだと思います。私たちは苦しいことよりも、面白いことをしたい、楽なことをしたいと思います。でも、生きていく上では、そんなことばかり有るわけがありません。苦しいことや難儀なことも有るのです。「難有」です。でも、「難有」であっても、それに負けてしまってはいけないのです。たくましく乗り越えていかなければなりません。
 ところで、この北海道家庭学校では、「難有」をもう一つの読み方をしているのです。「難有」を「有難」と反対に読むことも教えているのです。「有難」は「有ることは難し」ということで、「有り難い(ありがたい)」という意味なのです。
 少しだけ、日本語の「ありがたい」の言葉の説明をします。「ありがたい」といのは、この「有ることは難し」から来ているのです。お菓子を誰かからもらってありがたいのは、そんなことは「有ることは難い(めったにない)」から、ありがたいのです。生きているのがありがたいのは、ひとりの人間が生きているというのは、大変奇跡的なことで「有ることは難い(めったにない)」から、ありがたいのです。
ですから、「難有」を、北海道家庭学校では「難有りは、有り難い」と読んでいるというのです。それは、
「生きていく上では、難儀なことや難しいことや苦しいことはいろいろとあるだろう。でも、それは自分の心や考え方を鍛えてくれる大変有り難いことなのだ」
ということなのでしょう。
 私たちにも、難儀なことや苦しいことはいろいろとあるでしょう。これからだって、出てくるでしょう。そんなときに、弱音をはいたり、ぐちを言ったり、それに負けてしまったりしないで、それは、自分を鍛えてくれる有り難いことなのだと受けとめられるとどんなにいいでしょう。
これはなかなか難しいことですが、そう考えることによって、難儀なことや難しいことに向かっていく勇気を持つことができます。







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最終更新日  2009年10月16日 04時09分36秒
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