12388127 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

GAIA

GAIA

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
全て | 報徳記&二宮翁夜話 | 二宮尊徳先生故地&観音巡礼 | イマジン | ネイチャー | マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界 | 宮澤賢治の世界 | 五日市剛・今野華都子さんの世界 | 和歌・俳句&道歌選 | パワーか、フォースか | 木谷ポルソッタ倶楽部ほか | 尊徳先生の世界 | 鈴木藤三郎 | 井口丑二 | クロムウェル カーライル著&天路歴程 | 広井勇&八田與一 | イギリス史、ニューイングランド史 | 遠州の報徳運動 | 日本社会の病巣 | 世界人類に真正の文明の実現せんことを | 三國隆志先生の世界 | 満州棄民・シベリア抑留 | 技師鳥居信平著述集 | 資料で読む 技師鳥居信平著述集  | 徳島県技師鳥居信平 | ドラッカー | 結跏趺坐 | 鎌倉殿の13人 | ウクライナ | 徳川家康
2009年10月28日
XML
冷水養生談

冷水養生法の効験につきては、既にこれを知悉せる者多く、しかして今なお、これを実行せる者少し、予の遺憾とする所なり。
本編は、我が国医術界の泰斗(たいとう)博士佐々木政吉先生が、去る明治21年4月20日、第一高等中学校生徒に向かいて、演説せられたる冷水養生法の筆記にして、当時東京日々新聞に数日間連載せられたるを、予が業務に役々として、寸隙だもこれなき時に際して謄写し、家人の心得として、現に珍蔵せるものなり。
今予はこの法を重んじて、特にこれを謄写したる由来と、予及び同志がこれを実行してその効験を蒙れる現状とを述べ、以ていささか、いまだこれを実行せざる諸氏に向かいて勧告する所あらんと欲す。
いやしくも、事業を大成して、国家に貢献する所あらんと欲する者は、身体強健ならざるべからず。身体強健ならざれば、精神もまた剛毅たらずして、たとえ一時は大希望を抱き大決心を持ちて事に従うも、中頃頓(とみ)に挫折して、また、手を下す勇気を奮起すこと能わざるに至る。身体養生の法、豈忽(ゆるが)せにすべけんや、
予素(も)と身体魁梧(かいご:体が大きく立派なこと)たらずと雖も、幸いに、幼時より強健なりしを以て、丁年(20歳)の時、体重実に13貫500目(51キロ)ありき。しかるに、当時大いに時事に感ずる所あり、誓いて国家の一大事たる製糖業を大成し、もって、いささか、国家に貢献する所あらんと欲し、業務を執る傍ら、これが計画をなすと共に、これに要する読書の講習に熱心したること、ほとんど四星霜(せいそう:歳月)になりしに、この間、非常に身心を過労し、知らず識らず、漸々身体衰弱して25歳の頃、体重減じて11貫500目(43キロ)となり、冬季衣をかさぬるも、なお且つ寒に耐ふること能わず、しかのみならず四時感冒に罹り易く、また昔日の身体ならざりしかば、人をしてうたた予が前途を憂えしむるに到れり。
予もまた惟(おも)えらく、身不敏なりと雖も、異日事業を大成し、以て、皇恩の万一に報いんと欲する者、しかして身体の羸弱(るいじゃく)なること、かくのごとし。いずくんぞ能く宿志を達することを得んや、如かず、専心一意養生の法を行いて、これが回復を図り、しかして後、事に従わんにはと、ここにおいて、医師につきて養生の法を叩き、又は、養生に関する書籍を求め、衣服飲食の注意はもちろん、その他個人的衛生に係る事、一として行わざるものなかりしに、啻(ただ)に、身体の回復容易に行わざりしのみならず、羸弱却(かえ)りてその疲れを高め、将に肉落ち骨あらわるる悲境に近づかんとしたり。
然るに、去る明治20年11月末、業務の為め、病体を忍びて名古屋に旅行し、客舎(かくしゃ:宿)無聊の際、偶々(たまたま)同地、新聞人間生涯無病の新法と題せる、書冊発売の広告あるを見たり。試みにこれを購(あがな)いて閲(けみ)したるにその要旨、毎朝冷水に浸せる布巾をもって、身体を摩擦すれば、感冒に罹る憂いを除去するを得べしというにあり。思えらく、これけだし良法ならん。然れども、従来冬季衣を襲(かさ)ぬるも、なおかつ、寒に耐えず、常に毛布をもって、襟をおおえる身にして、今これを実行せんか、事急激に失し、反(かえ)りて害あらんと。方法の善良なるを信じて、しかも、これを実行する勇気を奮起すること能わず、独り楼蘭(ろうらん)により、事業の前途を考え、身体の羸弱を嘆(かこ)ち、茫然自失せる際、偶々アダケンケンたる妙齢の絃妓(げんぎ:芸者)3,4、粉黛盛装して襟を延べ、褄(つま)を操り、朔風凛冽、肌膚(きふ)為めに、戦慄せんとするをも、物ともせず、喃々(なんなん)相低語して、将に遊客の許(もと)に至らんとするを見て、翻然自覚する所ありき。惟(おも)えらく、絃妓固(も)と寒を怖れざるにあらず。しかして今その意に介せざるに至るもの、けだし慣習の然らしむる所ならんか、彼の普通の婦女子が襯衣(しゃつ)又は乳房を出して嬰児を哺育し、毫も感冒に罹る者なきもまたこれ慣習に因らずとせんや。予平常、切(しき)りに養生の法を求めて得ず。今偶然、冷水養生法の効あるを知り、これを実行する勇気を奮起すること能わず、豈に婦人女子に恥づる所なからんやと。ここにおいてか断然意を決し、直ちに襟巻を廃し、翌朝より布切を冷水に浸し、これをもって、先ず半身を摩擦することを始め、爾後毎日これを実行し、かつて一日も廃することなかりき。
翌明治21年5月4日より、同8日に至る5日間、東京日々新聞は、冷水養生法と題せる、医学博士佐々木先生の演説筆記を連載せり。予之を拝読したるに、条理整然挙証明確、冷水養生法の必要効能及び用法を詳説して、また、余蘊(ようん)なし。これに因りて、予ますます信を厚うし、誓いて博士の説に従い、この法を励行すべきことを決意したると共にこれを家人の心得として、永く子孫に伝えんと欲し、事務蝟集(いしゅう)、身将に忙殺せられんとする時に際し、親しくこれを謄写したり。爾来この法に従いて、毎朝全身に冷水を灌漑し、しかして強く皮膚を摩擦し、かつて一日もこれを廃せざりしかば、幸いにして、感冒に罹る癖を全治し漸次身体強健に復し、精神もまた爽快なるを得るに至れり。
去る明治29年6月、製糖視察のため、俄然(にわかに)海外旅行を企て米国を経て、欧州に至り、また南洋諸島を過ぎて、その30年6月帰朝したり、この間北ドイツに祁寒(さむさ)を凌ぎ、南ジャワに隆暑(あつさ)を犯し、転々ほとんど地球を一周して、1年余りの日月を費やしたるに、毫も外邪に冒されたることこれなきのみならず、身心にいささかの疲労を感ぜしことだも、これなかりき。
爾来身体ますます強健にして精神もまたいよいよ強固足ることは、自ずからも任じ、他もまた許す所なり。しかして体重のごとき、刻下16貫(60キロ)余りの多きに達せり。これ豈に、十有三年間励行せる、冷水養生法の賜と云わざるを得んや。しかして、十有五年間、予が事業を輔(たす)け、予と苦楽を共にして、始終かわらざる吉川長三郎氏を始め、予が門弟20有余人もまた、皆これを励行して、身体強健、精神剛毅たるを得るを見ればその効験の顕著なること、誠に誣(し)うべからざるなり。
諺に曰く、「命ありての物種子(ものだね)。」と。実に然り。然りと雖も彼の天寿をも顧みずして、いたずらに生命をして長久ならしめ、もって飽食暖衣逸居せんとするがごとき、又は気息奄々、何の為す所なくして、妄りにその長命をも貪らんとするが如きは、けだしその真意にあらざるべし。予は信ず。この語、けだし人はその身体を強健にして天寿を全うし、しかして貴賎貧富の別なく、各々鋭意熱心、もってその職分を尽くすに在りとの意ならんと。予が予及び同志の親しく実行せる現状を述べ、謹みて博士の卓説を紹介し再拝してこれが実行を勧告する所以のものもまた実にこれが為めのみ。由来我が国民は、欧米人に比すれば、その体格矮小羸弱(かよわ)にして顔色憔悴形容枯槁、精神も萎縮し、忍耐力もまた欠如せる傾きありと雖も、もしこれを自然に委せずして、躬(みず)から能くこれを培養し、子孫もまた能くこの意を体して事に従わば、今より数代の後、彼と比肩し、あるいは彼に凌駕せんこと、何ぞ必ずしも至難の業なりとせんや。滔々たる天下有為の士、幸いに予と感を同じうし、予が勧告を納れて、これを実行し、頼りてもって、各々その宿志を達し、かつ能く子孫をして身体強健精神剛毅ならしめ、もって大いに国家に貢献する所あらば、その光栄独り予のみに止まらざるなり。
終わりに臨みて一言す。この挙は予が数年後の宿望なりしも、業務に営々としてこれを果たす機を得ざりき。このごろ偶々少閑を得たるをもって、緒言を草し、珍蔵せる冷水養生法の謄本と共に、博士の電覧に供し、もってこれを公にするの許しを請いたるに、博士は喜びてこれを諾せられ、特に巻首に出せる序文を書して贈らる。予は予が光栄を悦ぶと共に、博士が斯道の為めに尽瘁せらるることの深厚なるを謝するものなり。
明治32年2月





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年10月30日 03時38分53秒



© Rakuten Group, Inc.