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2011年04月15日
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二宮翁夜話残篇 

 

【11】翁曰く、(きみ)(いさ)めて(もち)ひられざるを(いきどほ)るは、諫争(かんさう)にはあらずして憤争(すんさう)なり。(しん)忠諫(ちゆうかん)は一旦君意に(たが)退(しりぞ)けらるるとも、正鵠(せいこく)(しつ)すれば之を此の身に、求むるの金言(きんげん)を師として、君を不明と云はず、我が忠心の至らざるを責めて、敬を起し忠を起し憤らず怨まず、慎んであらば用ひられざる事あらんや。然るに君を諌める者、用ひられざれば君を怨み憤りを含んで、君を不明と言ふに至り、忠臣といふべけんや。

 

【11】尊徳先生がおっしゃった。「主君を諌めて用いられないのを憤るのは、諫争ではなく憤争である。真の忠諫というものは、いったんは主君の意に反して退けられても、諫言の目的が達せられなければ、これを自分の身に求めるという金言を師として、主君を不明だからと言うことなく、自分の忠義の真心が足らないことを責めて、敬いの心を起し忠の心を起して、憤らず怨まず、慎んでいれば用いられないということはない。それなのに、主君を諌めて、用いられなければ主君を怨んで、憤りを含んで、主君が愚かだからというに至っては、どうして忠臣ということができようか。



知人から釧路に転居しました という 転居案内のハガキが来た。

釧路といえば、鈴木藤三郎が醤油醸造会社失敗の後、再起をかけて自らが発明した乾
燥機械を使用した鈴木水産工場を設立したところである。

そういう縁があったので、第3集を釧路市立図書館に寄贈したところ、地域書物とし
て蔵書としていただいた。

そこで、知人に第3集を贈るとともに、
釧路市立図書館蔵書の中に、昭和初期ではあるが鈴木水産工場の写真が載った本があ
るようなので、
コピーして送って と頼んだものである。

また、鈴木藤三郎氏顕彰第3集を次の送り状を添えて財団法人畠山文化財団に送付し
た。

各位 様



   「日本近代糖業の父・台湾製糖株式会社初代社長 鈴木藤三郎

    鈴木藤三郎氏顕彰第3集」の寄贈について



 本会(「二宮尊徳の会」(報徳記を読む会))において、「鈴木藤三郎氏顕彰第3集」にあたる標記史料集を作成いたしましたので、送付いたします。

鈴木藤三郎氏は、日本における近代製糖業の創始者であり、「砂糖王」、「発明王」として糖業のみならず日本近代産業の父ともいわれています。台湾製糖株式会社初代社長としても、その創設に尽力しました。

また「報徳実業論」など二宮尊徳の考えを企業経営に導入し、近代産業(商業、工業、近代農業)に適用し、成功させました。

本会は、「報徳記を読む会」を平成20年6月に始め、1年余りにわたって全15回で報徳記を読了しました。読了記念に今市の報徳二宮神社を参拝した折に、宝物館の二階に収蔵されていた報徳全書を見学いたしました。これは鈴木藤三郎氏が二宮尊徳の遺著約1万巻が相馬の二宮尊親氏のもとにあると知り、この歴史的な文書が火事等で失われる事を恐れ、かつ広く有志に研究してもらうために、二宮尊親氏の許諾を得て20余名の書生を雇い、2年余りの歳月をかけて謄写させたものを2500冊にして、防火用の蔵とともに報徳二宮神社に寄贈したものでした。

本会では、鈴木藤三郎の業績及び奉納の願文に感動し、鈴木藤三郎の製糖業における活躍に焦点をあてた史料集第3集を印刷製本しました。

鈴木藤三郎氏は、製糖事業等の器械類製作にあたって鈴木鉄工部を創立し、自らの製糖・製塩・醤油醸造に必要な機械を製作するとともに、当時の工業界の製造機械製作
の要望に答えました。荏原製作所創設者畠山一清氏や月島機械会社創業者の黒板伝作氏などもまたこの鈴木鉄工所に勤務した後に独立し、発明・創意を基盤とした近代日
本工業の担い手となっていきました(本書23頁)。

その意味でも鈴木藤三郎氏が鈴木鉄工所で蒔いた種は決して小さくなかったと思います。そしてそれは恐らくは米欧旅行中、ドイツのケールチング工場において工科大学生が卒業後多数実地練習を積んで有為の技術を育てる教育システムに感銘を受けたことにもよるように思われます(本書58頁)。そういった産業人育成の貢献の意味でも鈴木藤三郎氏は再評価されてよい時期に来ているように思われます。

本史料集によって鈴木藤三郎氏の業績が知られ、さらには二宮尊徳の考えが世に広まる一助となることを祈念します。



「鈴木藤三郎氏顕彰第3集」編集代表者





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最終更新日  2011年04月16日 03時33分43秒



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