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カテゴリ:イギリス史、ニューイングランド史
ボーイズ・ビー・アンビシャス 内村鑑三(「内村鑑三信仰著作全集20」p.132) Boys be ambitious 1927年9月27日午後2時半 北海道大学中央講堂にて ただ今、総長佐藤〔昌介〕先生からごていねいなご紹介の辞をいただきましたが、先生のお言葉の中にたいせつな言葉が抜けている。それは、私は農学士内村鑑三であるとのことであって、私がここに立つのは、なつかしい母校に帰って諸先生ならびに多くの後輩諸君と顔を合わせるのであって、特別にありがたく思う次第である。 私はこの題を掲げましたが、私は、ウィリアム・エス・クラーク先生が五十年前この校を去るに臨んで、島松の原頭に馬上一鞭あてて、あとに従う学生一同に向かって叫ばれた「ボーイズ・ビー・アンビシャス」という簡単な言葉を、いかなる意義によって残されたかを考えてみたい。 この言葉ははたしてクラーク先生の創始の言葉であったかを調べたところ、これは決してそうではないと思う。しかしそうだからといって先生のオリジナリティーを失わないのである。 キリストの聖言(みことば)でも、そのすべてが決してキリストの独創の言葉ではなく、その多くはこれを古来の預言者の言葉の中に見出すことができるのであって、かく言うことは決してキリストから彼のオリジナリティーを奪うことにはならない。キリストの貴いゆえんは、古い言葉の精神を自家薬籠中のものとなし、これに新しき生命を与えて発表した点にあるのである。厳密なる意味においてのオリジナリティーということは、古今あることではなく、日の下には新しきものあらざるなりである。 「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の精神は、当時のニューイングランドの文献を調べて見れば、すでに各州に発表されてあったことは疑いのない事実であって、クラーク先生がこの言葉を発せらるるに至った経路を考えるに、先生の生国すなわちニューイングランドにはこの精神が充ち満ちていて、その精神的環境の中から、ブライアント、トロー、エマソンのごとき偉人を生み、また先生を生んだのである。 そのニューイングランドのピューリタンの意気が、先生を通してこの言葉となったのであって、この簡単な言葉の背後に全ニューイングランドあるを考える時に、これ実に意味深い言葉となるのである。札幌の今日あるを得たのは、クラーク先生を通してニューイングランドの気風が大いに貢献したところあるを思うときに、札幌はいっそう貴いものになる。 まず「ボーイ」とは何をさすのであるか、この言葉の意味を研究してみたい。普通ボーイと言えば、二十五歳以下の青少年をさすのであるが、ここに言う「ボーイ」は決してこれに限らないと思う。「ボーイ」とは実に「アンビションを有する人」の謂(いい)で、前途の希望に邁進している者は、年は六十を越えてもなお「ボーイ」である。二十歳前後の人々のみを目ざして、先生が「ボーイ」と言われたのではないと思う。私自身はまだアンビションを持っているから、自分が「ボーイ」であることを確信している。人が「ボーイ」であることを確信している。人が「ボーイ」であるか、「マン」であるか、「オールドマン」であるかは、その人の心持によってきまるものであて、私は今年六十七歳、宮部先生は六十八歳、佐藤総長はわれわれよりはるかに上で七十二歳であると聞いているが、諸君から見れば老人の老人で、もう引退していいころだと思うだろうが、われわれ自身はまだこれからする仕事のたくさんある「ボーイ」だと思うている。かく言うは、なにも私が旧い友達を弁護して、彼らをこの学校に長く置いてやってくださいと諸君にお頼みするわけではない。(大笑) 次にアンビシャスまたはアンビションについて考えてみたい。日本語に訳せば、まあ「野心」であろう。「野心」と言うて、太閤秀吉やナポレオンのような軍略的また政治的な野心を考えさせられるから、「大望」と言うたほうが良いと思うが、わかりやすく申せば、将来自分が成し遂げてやろうとする仕事をしっかりきめる精神を言うのである。 それについて今思い出すのは、エマソンの言葉に'Hitch your wheels to the star' (なんじの車を星につなげ)というのがあるが、これは「望みを高くいだけ」ということで、クラーク先生が「ボーイズ・ビー・アンビシャス」と平易に言うたことを詩的に言い表したのであって、全く同精神に出ている。高いアンビシャスを持つのは、低いアンビシャスを持つよりはるかに善きことである。ある人の言うたごとくに、「失敗は罪ではない。目的の低いのが罪である。」高い目的を持つことが、人生を最も有意義に用うるゆえんである。 私は五十年前のちょうど九月、札幌農学校にはいるために小樽に上陸して、陸路、馬で来たのであった。今日私の息子がこの大学におせわになるようになったのも実にふしぎな縁で、感謝に堪えない。私は息子を札幌に送るにあたり、札幌を一北海道の都と考えずして、北日本の都、さらに世界の都とまで行かなくとも、少なくともバイカル湖以東の東方アジアの都ぐらいには考えてほしいと言うたことである。 先年、熊本のリッデル女史が私に向かって、「内村さん、日本はこれでも文明国と言われますか」と言われた。彼女の語られたところによれば、英国では、昨年、全国に七人のらい病患者があるというて問題になっているのに、日本にはまだ二十万人も、らい病患者があり、隔離も治療も行き届かず、いたる所、みずから苦しみ他人に不快な思いをさせているありさまである。英国のごとき、今年は僅々四人に減じたという。この日本の状態でもって文明国であると言い得ますかと。この言葉にはいかんとも、弁解の余地がなかったのである。諸君、済々たる多士を輩出しているこの北大医学部の中に、誰かこのレプラを全治せしめるという先人未踏の境地を開拓するのアンビションを持つ人はなきや。これ諸君の持ち得るアンビションの一例である。 むずかしいかもしれない。生涯をささげて成功しないかも知れない。しかしながら「失敗は罪ではない」。あとから来る人々の成功の道案内たることができれば、それは実に尊いことである。「なんじの車を星につなげ」である。 今年、日本をおとづれた北極探検の成功者、ノルウェー人アムンゼンはまことに幸運児で、彼は南極探検に成功しており、彼に次いで英人のスコットも南極を究めたが、彼らに先立って南極探検を企てたシャクルトンはまことに気の毒な人であった。南緯八十八度二十三分という南極近くまで接近しながら、いかにしてもその先にはいることができず、二度試みて二度とも失敗したのである。ついに目的に成功しないで死ぬるに際し、家族に遺言して、自分の骨は今後南極探検を企てる人々の通路に当たる個所に葬ってくれと言うた。その遺志によって、彼の遺骸はサウス・ジョージア島に葬られた。実に彼はみずからは成功しなかったけれども後進の道しるべとなることに甘んじたのである。事実、彼の探検の経験は、後の成功者の貴重な参考となったのであった。 この精神でアンビションを持つことである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年01月12日 07時57分05秒
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