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カテゴリ:イギリス史、ニューイングランド史
「この間、電車に乗ったら、隣に大学生らしい二人の男の子が座って、
一人が 『最近どんな漫画を見てる?』 と聞いたら もう一人が『花のち晴れ』って答えて 『何それ?』 『花より男子 の続きみたいなもの・・・』 『おめえ、そんなのを読んでるんだ、女の子の読むようなものじゃない・・・』 『花より男子は、男も結構読んでるぜ』 『それはそうだけど、内容はどんなの・・・』 と話が漫画の内容になってね・・・ 花より男子 とか 花のち晴れ は見た?」 「もちろん」 「いま ジョイス・オースティンの 高慢と偏見 を読んでいるんだけど・・・」 「イギリスの小説が好きなんですか?」 「いや、ほら 武士の娘 を読んでいるっていったじゃない。 あの 感謝の辞に ナンシー・ヴァージニア・オーステン(Nancy Virginia Austen)に対して謝辞を述べているんだ。 ひょっとしたら、この オーステン というのは、ジョイス・オースティンのことをさしていて、 オースティンの文章への感謝か おそらくは母とも姉とも慕うフローレンスが、オースティンを愛読していて、それを借りてフローレンスへの感謝の辞かもしれないとも考えて オースティンの 高慢と偏見を ざっと読んでみたんだ するとね、 花より団子 と 高慢と偏見 って似ていると思わない?」 「確かに 私も 高慢と偏見は 映画で見たくらいしかないんですけど 階級意識のある社会で 高慢なハイクラスな男性とそれに対して偏見をもっているローレベルの女性が 高慢だと偏見を持っていて愛情告白を拒絶した男性が実は深く自分を愛してくれていて、女性の親しい周りの人のことを見えないようにいろいろと助けてくれていることを知って、偏見がとけていくという過程が似ていますね」 「オースティンの 高慢と偏見 の最初の題名は 第一印象 だって ダーシーの態度を高慢(Pride)と思っていたエリザベスの第一印象が偏見(Prejudice)であったことを気付くという過程こそが、オースティンの書きたかったことで、 それが最初の直接話法による人物描写から 最後のエリザベスの自由間接話法による、エリザベスの内面の意識の変容の描写に変わっている理由であると思われる。」 「・・・・・」 日本語訳は岩波文庫『高慢と偏見 上』富田彬訳より 「よくできるということの普通の範囲を示す君の表は、」ダーシーは言った。 ‘Your list of the common extent of accomplishments,’ said Darcy, あんまり本当すぎるよ。君がよくできると言う言葉は、ただ財布を編むとか、ついたてに飾り布をつけるといったことしかできない多数の婦人にまで、適用されているんだもの。 ‘has too much truth. The word is applied to many a woman who deserves no otherwise than by netting a purse, or covering a skreen. しかし僕は、君のように一般の婦人を評価することにはとても賛成できないね。 But I am very far from agreeing with you in your estimation of ladies in general. 僕の知っているかぎりの婦人のなかで、本当によくできる人と言ったら、半ダース以上はないものね。 I cannot boast of knowing more than half a dozen, in the whole range of my acquaintance, that are really accomplished.’ 「私の知り合いだってそうよ」ビングズリー嬢は言った。 ‘Nor I, I am sure,’ said Miss Bingley. 「そうしますと」と、エリザベスが言った。 「よくできるというあなたのお考えの中には、いろいろのことが含まれているわけですね」 ‘Then,’ observed Elizabeth, ‘you must comprehend a great deal in your idea of an accomplished woman.’ 「そうです。僕はいろいろのことを含めて、言ってるんです」 ‘Yes; I do comprehend a great deal in it.’ 「そうですとも!もちろんだわ!」と、彼の忠実な助手が叫んだ、 ‘Oh ! certainly, cried his faithful assistant, 「そんじょそこいらの連中を一段抜いた人でなけりゃ、本当にできる人とは言えないわ。 音楽と歌と絵と踊りと近代語の完全な知識をもたなきゃ、だめですわ。 なおそのほかに、歩きかたとか、声の調子とか、もの言い、言葉づかいとかに、何かすぐれたところがなくちゃ、まだ半分もできるとは言えませんわ」 ‘no one can be really esteemed accomplished,who does not greatly surpass what is usually met with. A woman must have a thorough knowledge of music, singing, drawing, dancing, and the modern languages, to deserve the word; and besides all this, she must possess a certain something in her air and manner of walking, the tone of her voice, her address and expressions, or the word will be but half deserved.’ 「そういうものを全部もっていなければなりません」と、ダーシーが付け足して言った。 ‘All this she must possess, added Darcy, 「その上にまだ、広く本を読んで心を向上させ、もっと本質的なものをくわえて行かねばなりませんね」 and to all this she must yet add something more substantial, in the improvement of her mind by extensive reading.’ 「あなたがよくできる婦人を6人しか知らないとおっしゃったことも、それでよくわかりましたわ。」 ‘I am no longer surprised at your knowing only six accomplished women. 「今では、一人でも知っていらっしゃるのが不思議なんですもの」 I rather wonder now at your knowing any.’ 「あなたは、女性の一人でいながら、婦人にそれだけのことができないとおっしゃるの?」 ‘Are you so severe upon your own sex, as to doubt the possibility of all this?’ 「私はそういう女の方にお目にかかったことがないんです。私は、あなたがおっしゃるような、それほどの魅力と趣味と勤勉と上品とをかねそなえた方を、まだお見受けしたことがないんです」 ‘I never saw such a woman. I never saw such capacity, and taste, and application, and elegance, as you describe, united.’ ハースト夫人もビングリー嬢も、エリザベスがほのめかした疑いは事実に反するものだと叫び、自分たちはそれだけのものをかねそなえ人をたくさん知っていると言いかけたが、その時ハースト氏が、静かになさい、進行中のことをそっちのけにしちゃ困ると苦情を言った。それで話は打ち切りになったので、エリザベスは間もなく部屋をでた。 Mrs. Hurst and Miss Bingley both cried out against the injustice of her implied doubt, and were both protesting that they knew many women who answered this description, when Mr. Hurst called them to order, with bitter complaints of their inattention to what was going forward. As all conversation was thereby at an end, Elizabeth soon afterwards left the room. 『高慢と偏見』は、 1796年から1797年の間にFirst Impressionsという題名で書かれ、1813年1月28日に現在の題で出版された。 実に現在から200年前のことである、オースティンは政治的・歴史的なことには一切触れずに片田舎の数家族の人間模様と人間の情感をひたすら描いている。 それは小津の映画にも似ている。オースティンは言葉で描き、小津は表情やちょっとした仕草で淡々とした会話と映像として見せる。 あるいは小津の映画が世界が評価されるのは、こうしたオースティンの描く小説の世界と似通っているからかもしれない。 それと思う、200年前の英語がほとんどそのまま読める英語という言葉の不変化性である。 日本語は200年前というと、手紙も候文で、現在、掲載中の二宮先生語録や明治以降に出版された報徳記ですら、 漢語的素養と切り離された現代日本人には難解になっている。漢字そのものが人によっての読解力があまりにも懸隔していることを読書会で輪読すると思う。 そこで共通で読め、ある程度の理解は読みながらできるように、全ルビで語釈を文の中に組み込んでいるのが 「二宮先生語録」であり、「報徳記」全ルビ版&現代語訳である。 後の世代の日本人のために何かしらよいことをのこすために。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年11月20日 04時44分52秒
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