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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
にかほ市立図書館3件
1 図書 二宮金次郎の対話と手紙 第一 小田原編(少年・青年期) 2 図書 ボーイズ・ビー・アンビシャス 内村鑑三 神と共なる闘い 第五集 3 図書 ボーイズ・ビー・アンビシャス 新渡戸稲造の留学談・帰雁の蘆 第三集 「〇〇です」 「あっ、〇〇先生 」 「このたびはまた「補注 鈴木藤三郎の『米欧旅行日記』」を送っていただきまして」 「かえってお電話をいただいて恐縮します」 〇〇先生はいつも刊行物を送るたびに丁寧に直接お電話をくださり恐縮する。 12月19日の講演会には行けませんが、有難うございましたとのお礼の電話であった。 講演が終わった後に、講演記録とあわせて「中学生からお年寄りまでよくわかる 鈴木藤三郎の米欧旅行日記」を刊行し、全国の大学図書館、公共図書館に寄贈し、広く鈴木藤三郎先生とその報徳の精神を知ってもらいたいと考えています」 「どうぞ頑張ってください」ということであった。 12月12日の読書会で「補注 鈴木藤三郎の『米欧旅行日記』」を出席した会員に配布したときに 「最初、カタカナで書かれた日記を読んだときは、難しいなと思いましたが、こうしてひらがなになおすと読みやすく感じますね」 「うん、難しい漢字にはふりがなを付けたしね、 最初、二宮先生語録と同じように全ふりをつけて作成したんだけど、語録とは違って、日記の全ふりは元がやさしいだけに、さすがに全ふりだとわずらわしく感じるので、今度はふりがなを削りにかかった。 また文中に難しい漢字には〔 〕内に語釈をほどこしたから、読みながら読みなれない漢字も、意味がわかるのでよみやすく感じるのだろうと思う。」 「文中に( )で中が空白にしたのがありますが、・・・」 「藤三郎は日記を書く時に、不明の住所、工場名、人名、データは空白にして、後で正確に記録したようで、 何か所か( )内の空白のところがある。この日記は日本精製糖専務取締役としての業務日誌の面があり、 第1号とか区切りがふられているけれども、この日記に基づいて、日本精製糖株式会社に正確な事実で業務報告をしていたようなんだ」 「なるほど」 「鈴木農場跡のある不二農園を見学した日の午前中、全ふりの欧米旅行日記を森の元気屋さんなど森町の人と輪読したけれど、始めて参加した〇〇さんに聞いたら むずかしかったです と言われた。 旧かな使いやみなれない漢字はふりがながふってあっても難しく感じるようだ。 当初、この「補注 鈴木藤三郎の『米欧旅行日記』をそのまま資料編とした講演記録としての小冊子を作る構想だったけれども、資料編には現代語訳したものを載せたほうが「中学生からお年寄りまでよくわかる」というコンセプトにそうのではないかと考え中」 にかほ市は、秋田県南西部の市。2005年10月1日に由利郡仁賀保町・金浦町・象潟町が合併し発足した。同年3月の由利本荘市の発足に続く合併により、由利郡は消滅した。秋田県で唯一のひらがな自治体である。 Q.仁賀保の名前の由来を教えて下さい。 かなり昔からの地名ですか? 平沢地区一帯を指すのですか? 面白い響きなので,気になります。 A.「仁賀保」の地名の由来についてですが、合併前の仁賀保町史に記述されているものを紹介します。 「にかほ………にかぼ」の地名起源には、現在二つの説があります。 アイヌ語の「にかプ」と、平安時代から中世期にかけての行政単位としての「保」を基調とした「二ケ保」の二つ です。 前者のアイヌ語説の「にかプ」は 楡(にれ)の木の皮 の意とされ、北海道日高地方にこの名が残っていま す。「新冠(にいかっぷ)」「新冠郡」「新冠川」がそれで、楡の木の皮の衣を身につけたことが起源とされていま す。 後者の平安時代から中世期にいたる行政単位としての「保」は、その時代により単位の規模が異なりますが、 「二ケの保」は今で言う「郡」規模ぐらいと考えられます。 仁賀保町には約六百八十種類の小字(こあざ)名が残っています。その中で百目木(どめき)の待居館(まちいた て)から伊勢居地(いせいじ)周辺の小字名を考察すると、中世期の武士団の開拓と推定され、院内(いんな い)、山根館(やまねたて)周辺の小字名からは、中世後期の開発との関係が深いと報告されています(『図説、秋 田県の歴史』)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年12月13日 07時31分04秒
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