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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
【2】常州真壁郡棹ヶ島村外五邑に良法を発業す
野州真岡の支配する所である常州真壁郡棹ヶ島村は極貧の村で、民は飢餓に苦しんでいた。民の戸数は減少し、土地は荒れ果てほとんど亡村のようであった。かつてある年(天保年間一八三〇~四三)に前の代官の時に、幕府に伝達して、八丈島の民を移住させてこの村の民とし、荒地を開墾させたという。この村を再復する方法を先生に命じた。時に嘉永元年(一八四三)八月であった。 先生は自らこの村に行って調査するに、戸ごとに貧困で家屋は破壊し、衣食は乏しく、村民は家業を怠って、人情は浮薄となり、バクチにふけり定職もなくぶらぶらしているのが常態であった。ここに一村を再興し永安にさせる道をさとして、家のない者に新しい家を与え、馬小屋、灰小屋(畑の肥料となる焼灰を作るための土壁の小屋)を与えてその居住を安らかにし、米穀を与えてその飢えを救い、農具を与えてその耕作を助け、荒地を開拓して田畑の不足をおぎない、道を作り橋をかけその往来を便利にし、善人を賞し能力のない者を教え、農事に出精することの尊い理由を示し、力を尽し村民の憂い苦しみを除いてこれを安らかにした。村民は息をふきかえす思いをして非常に喜んで服し、悪風は一洗して人情が素朴で厚くなり仕事に勤めるようになった。山内代官はその仕法実施のところを実際に立ち会って検査し、感嘆して止まなかった。民家は整然と並び、開田は区画が正しく、道路や水路の見事なことは郡中に比類がなく、良法の徳がさんぜんと輝き、遠近の人々はこれを賞嘆した。 続いて同郡の花田村(筑西市花田)を復興する仕法を嘆願してきた。代官はこれを許容し、先生に委任した(嘉永三年(一八五〇)九月)。先生はまた花田村に行って、心力を尽してこの村を復興した。棹が島村と同様に恩恵を布いて民を恵み育てた。花田村の貧困、衰廃は棹ヶ島村よりもひどかった。仕法の仁恵によって年来の困窮を免れ、専ら農業に励むようになり老いも若きも感激し泣いて先生の恩に感謝した。代官は棹ヶ島が先生の仕法によってこれまでの衰貧を除いて、村民が喜んで互いにその仕事を楽しむようになったと江戸の幕府に申し上げた。幕府は協議して先生の丹誠を賞して、用度金四百両を下し、かつ十年間、同村の貢税の十分の二を減らし、この二分を再復の資金にあてるようにという命令があった(嘉永三年三月)。先生はこの四百両を元の資金とし、自らの金を加え、野州山本村・大島村・山口村・徳次郎村を歎願によって仕法を下した。その実際の事業は棹ヶ島や花田の両村と異ならなかった。ここに郡村は先生の徳行と良法を喜び慕った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年06月02日 01時13分40秒
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