【三】先生野州石那田村の堰を堅築す
野州河内郡石那田村は公料にして、隣村徳次郎村は宇都宮領なり。某年に至つて徳次郎村も公料となる。同村の用水は石那田村の地に於て、川を堰き水を引き以て田に潅げり。石那田村用水も亦此の堰より分水す。年々用水足らずして互に争ひ、徳次郎へ順水せしむる時は石那田より之を破り水を引き、徳次郎より又石那田の用水を塞ぎ、四五月の節に至つては、毎夜之が為に家々安眠することを得ず。両村仇讐の思ひをなし争論止まず。加之一邑中に於て互に水を争ひ、或は他の用水を塞ぎ己の田に注ぎ、彼又来て之を破り、近隣怨恨忿怒を懐き、家業を怠り衰弱困苦に陥り、平年飢渇を免れず、而して訴訟争論益々甚し。県令之を憂ひ屡々此の堰を見分すといへども、一邑をして便ならしむる時は、一村稼穡の道を失ふ。是を以て至当の処置を下すこと能はず。県令先生に問ふて曰く、両村をして争論を止め、平穏に帰せしむるの道あらんか。先生曰く、両村の患ひ其の本田水の不足に在り。苟くも田水余りあるときは制せずと雖も必ず平穏に帰せん。豈惟平穏のみならん。両邑の廃衰も亦是に由つて再興す可しと。令大いに悦びて此の事を先生に委す。