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2017年02月22日
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カテゴリ:広井勇&八田與一
2月19日、国際言語文化アカデミアで公開講座があった。

放送大学神奈川学習センター所長の池田先生は講演の中で

「この『ボーイズ・ビー・アンビシャス第4集 廣井勇と青山士』にも引用されていますが」

と廣井博士が浅野総一郎に語った言葉をスクリーンで紹介された。

「この難工事の全責任は自分に在る。もし何年か後にこの防波堤が崩壊すれば、それは私の責任である、と同時に浅野セメントの責任である。私たちの責任と信用はこの防波堤にかかっている。防波堤が割れれば自分も割れるが、浅野セメントも割れてしまうのである」

全部は次のようである。(p.159-161)

広井博士を憶う(『父の抱負』抜粋 浅野総一郎(昭和三年、八十一歳の時)編者註:本編は工学博士広井勇氏のご逝去後、同氏の追悼録発刊に際し、寄稿されたる原文にして、これを記稿せしむべく口述されながら、眼に一杯の涙を湛えられしほど愛惜極まりなき風情あられしものであった。)

 広井博士と私とは、交友ここに数十年、しかも相見たる初めより晩年に至るまで、その間少しも変ることなき誠心誠意の交わりであった。
 広井博士を私が初めて知ったのは、明治三十年、小樽築港のかの難工事を博士が引き受けられた当時のことである。小樽港は水深五十三尺、冬は防波堤上一丈五尺の怒涛おどるという難工事中の難工事にして、これに使用するセメントは、特に浅野セメントに限るという博士のご指名を受けて、御用を被ることとなった関係上、私はこの難工事の実況を視察するため、たびたび小樽に出向いた。そうして越中屋に宿を取って、朝の六時頃から視察するのが例であった。現場監督の博士は、何時(いつ)お見受けしても、早朝から既に合羽服に身を固めて、ご自身でセメントと砂と砂利とを調合し、水でこねておられる。この光景を眺めて私は実に感に打たれた。この博士なればこそ、この難工事も事なく運ばれるのだ。博士は私を顧みてよくいわれた。「この難工事の全責任は自分に在る。もし何年か後にこの防波堤が崩壊すれば、それは私の責任である、と同時に浅野セメントの責任である。私たちの責任と信用はこの防波堤にかかっている。防波堤が割れれば自分も割れるが、浅野セメントも割れてしまうのである」と極言しておられた。かくまで責任を明らかにされる博士のことであるか、したがって絶対に他のセメントを使用するを禁ぜられたことはいうまでもない。かくて博士苦心の小樽港はみごとに完成し、数十年の今日もなお、打ち寄する怒涛の中に厳として、港内の平穏を維持している。のみならず、北海道拓殖の大計画案は、この小樽港をもってその策源地とするに至ったというではないか。小樽港の真価は今後においてなお一層に発揚されるであろう。
 これが縁故となって、博士監督の函館、留萌、釧路、稚内等、ほとんど北海全道の築港工事は、ことごとく浅野セメントが御用を果たすこととなり、自然博士と私との間をますます密接な関係に結びつけるに至ったのである。(略)実に想起すれば博士は惜しみても、なお余りある人物である。そうして性格的には覚悟のよい偉丈夫であった。ご不快のときにあっても、仕事だけは忘れずに続けておられた。そして常にいわれた。「仕事ができなくなれば死ぬほかはない。仕事のできなくなった時がすなわち自分の死ぬときである。」と、実に良い覚悟の持ち主である。晩年、私が「大学はお辞めなさい。私もこれからは余り無理なお願いはせぬから、今後は十分体を大切になさらなければいけない」と再三再四申し上げたが、博士は頑としてうなずかれなかった。そうして毎日のように「生きている間は仕事をする。大学にいけなくなれば死ぬるほかはない」と主張されていた。「社会の役に立たぬ体になったら、むしろ死んでしまいなさい」というのが博士の持論で、私はいつも尊敬すべき言葉として拝聴していた。博士は現代に珍しい硬骨漢にして、しかもその半面には豊かな情味を有する人であったから、その逸話美談も多かろうが、以上述べたごとく、人間生活に徹底した覚悟を持った人としての博士は、実に珍しい人傑だと思う。
 博士と隔意なき交誼数十年に及んだ私としては、博士の死は到底慰め得られぬ名残を有し、想起するごとに感慨さらに新たなるを覚えるのである。



廣井博士が浅野総一郎に「常に言われた」という言葉も身に沁みる。超高齢化社会に生きる私たちの指針にもなろうか。

「仕事ができなくなれば死ぬほかはない。仕事のできなくなった時がすなわち自分の死ぬときである。」





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最終更新日  2017年02月22日 04時37分12秒
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