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2017年10月19日
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ふうせんかずら
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 『二宮尊徳』大藤修 54-64ページ要約

金次郎は18歳の時、本家の復興を計画します。最後の当主儀兵衛は家さえなく先祖が屋敷内に建てた庵(薬師堂)に住み晩年は食べ物にも差し支えて親戚から恵んで貰って貧窮のうちに死んだ。金次郎は度重なる不運を当初は呪いながら死んだ儀兵衛の怨みによると思った時もあったようだが、後には儀兵衛が「分度を失い驕奢に流れ」(収入がないのに先祖の財産を食い潰す)たため本家は没落した、自分がこの世に生をうけたのは先祖の積善のお蔭だ、総本家を再興し祖先の恩義に報いようと思った。この総本家再興こそが報徳仕法(方法)の始めだ。収入より支出を少く「分度」を設けて勤労に励めば、余剰を生ずる。その余剰を生活費とは引き離しておいて貯蓄し、それを自分や子供たちの将来(自譲)や親族のため、更に郷里のため、世の中のため(他譲)に譲る。これが「推譲」である。金次郎の計画的・組織的な他譲は総本家再興のための推譲を最初とする。

『二宮金次郎の対話と手紙 第一 小田原篇』66-67ページ
二宮金次郎は文化二年、まだ一家を再興する途中の十八歳の時、二宮総本家の再興を計画します。佐々井信太郎氏は『二宮尊徳伝』において、「この復興こそ報徳仕法の根源をなす」と指摘されています。
二宮の一族の本家を伊右衛門といい、一村の旧家で家禄も、万治元年には田畑合計六町余ありました。その後衰亡し、最後の当主儀兵衛(ぎへい)は住いもなく、祖先の建立した薬師堂に住み、近郷を托鉢(たくはつ)し、老後は一族五人組が順番に一飯を贈り、寛政九年正月六日みとる者なく亡くなりました。金次郎十一歳の時です。金次郎は幼少期に儀兵衛が「皆、我が家より出て我が財産を受け、名主や組頭となり、人の尊敬を受けながら、総本家の滅亡を憂えない」と朝夕ののしるのを聞いていました。金次郎の家も父母が早くなくなり一家離散する。金次郎は、菜種をまいて勉強するための菜種油を得、また捨て苗を拾って、荒れ地を耕し、そこに植えて一俵の米を得ます。この「小を積んで大を為す」という天地の原理を実践すれば一家を再興できると悟ります。同時に、なぜ自分の家が離散する運命となったのか、さらにどうすればこのような運命を免れることができるのか、思いをめぐらし、「同根」のもとである総本家の再興を思いついたのではないでしょうか。
ところが、総本家存続のため財産を出し合ってはと、親族にかけあっても相手にされません。ふと思いついて総本家の財産として残っていた「稲荷社」に竹木を植え、これを伐採して得た金を基金とし、その後も金次郎が「分外」と思うお金を基金に入れていきます。
後年金次郎は記しています。「本家末家と別があっても、その本を顧みる時は同根同体である。本家の憂いは末家で力を尽して補助し、末家が艱難に迫られた時は本家から救助し、相互に助け合い、一身の全き事を願うようならば、本末ともに退転する憂いはない。ぜひ本家を再興し、相続の道が立つようにして、祖先の恩義を報じたいと幼年の時から一途に心がけた。」 
金次郎は文化十四年に一族の子弟五人を秋の取入れに出精したと基金から表彰します。文政元年、一族の子弟のほかにも表彰を行い、範囲を広げています。その年一一月一五日、尊徳自身が大久保侯から「出精人」として表彰されます。自分の為とやったことが「村為」になると褒められた。金次郎はこの感動を多くの人に伝えたいと、文政三年一二月、基金から、忠真侯の表彰状などを筆写して近村の者に配ります。この年から一族・村の枠組みを越えた本家再興資金の使用が見られます。
金次郎は文政五年三月に桜町領復興の命を受け田畑の処分をし、その代金を基金に入れます。翌年三月桜町へ引っ越す時は、家屋敷を処分し基金に入れます。文政四年末三一両の基金は、引越直前一三三両に達しています。金次郎は一家を廃し、総本家再興資金を廃し、本家・分家合体の資金を万家を興すため投入するのです。桜町に行くにあたり債務免除も行いました。服部家三十両のほか農民・藩士から職人まで債務免除します。また稲荷社を修復し、過去帳を菩提寺に残しました。一家を廃する、金次郎の覚悟のほどが分ります。






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最終更新日  2017年10月20日 01時22分23秒



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