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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
小平の進化支えた所属先の相沢病院、2年間のオランダ留学を長期出張扱い/スピード
2/15(木) 女子1000メートルで銀メダルを獲得した小平奈緒(31)は、2009年の信州大卒業後、地元の長野・松本市にある相沢病院を所属先として活動してきた。14年春から2年間の単身オランダ留学の際は長期出張扱いとするなど、献身的に支えてきた同病院の相沢孝夫理事長(70)がサポートの理由を明かした。 現地で応援した2014年ソチ五輪が終わって間もない春だった。オランダへの留学を願い出てきた小平を、相沢さんは二つ返事で送り出した。スポーツ障害予防治療センターの職員として籍を置く小平を長期出張扱いとし、背中を押した。9年間に渡る支援者は理由を語る。 「地元の長野の選手が、やりたいように競技を続けられないのはおかしい。彼女らしくスケートをしてくれれば病院も患者も地元も前向きになれる」 信州大を卒業後、それまで師事した結城匡啓(まさひろ)コーチ(52)とともに活動できる所属先が見つからず、行く当てもなく訪ねてきた小平を09年に受け入れた。アスリートを雇用するのは病院としては異例で初めてのこと。反対する声があっても「僕が給料を削ってもいいと思っていた」と明かす。 給料はもちろん、家賃に遠征費、オランダ留学の滞在費だって支援した。海外遠征の航空便のビジネスへの追加費用も負担。年間で約1千万円の活動費をサポートする。 3代続く医師で、父からは「利益が出たら世のために使え」と言われてきたというが、脇目を振らずに競技に打ち込む小平の姿勢に心を動かされた。「スケートに人生をかけている。あれだけ追求できる人はいない」と支え続ける。 小平は「ずっとお世話になって、家族が増えていく感じ。2月はたくさんの人を笑顔にしたい」と病院への感謝を胸に滑った。 「大柄な選手ばかりで(小平が)一番小さい。あんなに小さな日本人でもここまでできる」と相沢さん。小平の海外遠征から帰国後は、決まって松本市内のすし店で食事をするのが楽しみだ。 「小平さん支援、見返り考えない」相沢孝夫理事長に聞く ウィンタースポーツ平昌五輪 朝日新聞社 04月21日(金) スピードスケートの小平奈緒を支援する相沢病院(長野県松本市)の相沢孝夫理事長に話を聞い ――小平さんをなぜサポートしようと? 小平さんは信州大卒業後、結城先生(信州大氷上競技部監督)と一緒に頑張れる環境を探していました。ただ、実業団には所属の指導者がいるため、2人の関係性を理解して受け入れてくれるところがなかなか見つからなかったようです。小平さんは大学時代にけがで、うちの病院で治療とリハビリを続けていました。その縁で、うちの職員を通して大学4年の3月に理事長室に来られました。 ――支援して欲しいと。 「何とかなりませんでしょうか」ということだったと記憶しています。病院といっても年間2、3千万円の資金は出せない。だけど、こんな言い方はまずいかも知れないが、1人ぐらいなら何とかなるだろうと。「先生の指導を受けながら競技を続けることぐらいなら何とかしてあげられると思う、そんなことでもよいでしょうか」とお話をさせていただきました。 ――小平さんの要望は? 資金面でどれぐらいを求めていたのかは分かりませんが、そんなことよりも競技を続けるために結城先生の指導の下でやれる環境をつくって欲しいというのが彼女の願いでした。当時はそこまで有名選手ではなかった。でも競技を続けたいと思っているのに続けられないのはおかしい。本人はやりたいのに、環境がないということでは僕は社会正義に反すると思うのです。 ――支援の見返りは? 考えないですよ。でも、小平さんから「お世話になっているのだから何らかのことを」って言うから、じゃあ悪いけどユニホームに相沢病院って書いて、と言ったことはあります。 ――病院名を出してもらうことにこだわりは? 特になかったです。一生懸命頑張って、いい成績をあげてくれれば患者も職員もみんなが喜ぶ。そもそも人生って何か見返りを期待したらおかしい。何かをやった結果として返ってきたらいいんだけど。周囲からは「いい宣伝」と言われるが、そんなことは全然期待していませんでしたよ。 ――競技環境を整えるにはそれなりのお金がかかる。 小平さんが住むマンションの賃貸料や病院職員としての給料。さらに海外遠征時のビジネスへの追加費用など負担させてもらっている。出来るだけ移動の疲れがない状態で競技に集中して欲しいですから。すべて含めると年間1100万円ぐらいでしょうか。 ――2014年から2シーズン、オランダ留学も。 彼女がやりたいものはやらせてあげたい、というのが僕たちの基本的な考え。だから彼女がオランダに行きたいと言ってきた時は、「じゃあ、行ってきなさい。お金は僕らが面倒をみるから」と。彼女のやりたいことを応援したい。ただ、それだけ。病院の職員だから名目は「長期海外出張」。経費は日本にいた時よりもかかったが、人生は一度きり。一生懸命やるんだったら僕はできる限りの手助けをしたいのです。 ――理事長がそこまで思う気持ちはどこから? 僕自身、何らかの支援があればやりたい人生が送れたのかなと思うから。東京慈恵会医科大学を卒業して、信州大医学部付属病院(内科学)に勤務していた。相沢病院の当時理事長だった父の容体が悪くなって、内科系を担う医師がいなくなった。本当は研究したいことがあったんだけど、父の病院に帰ることにした。代わりの医者をどこからか雇うことができれば僕は帰らなくても良かったわけだよね。米国留学もしたかった。支援があれば、人はもっと色んなことができる。僕の人生も変わったかも知れない。 ――小平さんは相沢病院の後押しを受けて来年、3度目の五輪に挑む。 小平さんと出会えたことは僕にとってありがたいことです。成長が見られて楽しい。自分の子どもは高校、大学と進んで、成長していきますよね。それには学費がかかります。小平さんのサポートもイメージとしてはそんな感じですよ。平昌五輪、さあどうなりますか。楽しみにしています。(聞き手・榊原一生) スピードスケート小平奈緒支援は「僕らの誇り」 所属先の相沢病院 職員採用8年 メリット度外視 平昌(ピヨンチヤン)冬季五輪のスピードスケート女子500、1000メートルで、日本女子初となる金メダルを目指す小平奈緒(31)。今月10日に1000メートルの世界記録保持者にもなったが、2009年には信州大卒業後の所属先が見つからず悩んだ時期もあった。そんな小平に手を差し伸べたのが地元・長野県松本市の相沢病院。理事長の相沢孝夫さん(70)は8年間、小平を支え続けてきたことを「僕らの誇り」と胸を張る。 --小平が3度目の五輪に金メダル候補として挑む 「支援する選手が金メダルを取ったらうれしいですよね。もともとは『行く先がなくて困っているんです』と訪ねて来て、あまりお金は出せないけど職員として思い切りやらせてあげるくらいならできるよ、と始まったことでした」 --小平は2014年ソチ五輪後のオランダ留学で急成長した 「ソチでは本人も不完全燃焼で、結城匡(まさ)啓(ひろ)コーチももっと力のある選手だと確信していました。それで、環境を変えて修行したいという強い思いを応援しました」 --オランダ留学を経験して、一番変わったと思う点は 「以前は少しゆとりがなかったんですね。何事もメリハリをつけるオランダで、気持ちの面で遊びを身につけてきたのでは。今は自然体で勝負できる感じがします」 --小平を支援するメリットは 「何がメリットかなんて考えたことはないです。『1億円の宣伝効果』『病院が有名になった』とか言われるけど、有名になったからといって患者さんが来るわけじゃない。とにかく、彼女が地元で、信頼するコーチとやりたいというのに、できないのはおかしい。そんなばかなことはないだろうという思いが一番でしたね」 --病院にとって初めての現役スポーツ選手採用に反対はなかったか 「もし言われたら、『俺の給料を削る』と言えばいいんです。一度も言われたことはありませんけど。小平さんは大学時代に診察やリハビリに来ていたので、現場からも『なんとかしてあげてくれ』と言われましたし、職員を1人雇うくらいのお金ならなんとかなりますから」 --小平の魅力は 「すごく純粋でぶれがない。そういうところにみんなが共感するのではないかと思います」 --小平はどんな存在か 「小平さんがやりたいことを支援し続けてきたことが、僕らの誇り。彼女と巡り合えたことは僕にとって大切な宝物です。どこまで小平さんが(現役を)やるかは分からないけど、やりたいことを完遂できればいいかな」 --平昌五輪ではどんな滑りを期待する 「自由に楽しんで、春風が吹き抜けるような滑りをしてもらえるとうれしいですね」(聞き手 大宮健司) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年02月17日 08時32分52秒
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