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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
内村鑑三書簡第952信(英文封書)
サラトガ D.C.ベルさん 1917年2月7日東京にて 親愛なるベルさん 1月13日付のお手紙、感謝を以て拝見しました。アナタの筆跡は実に読みにくい。しかし、もちろん私は慣れています。たいてい二度目にはお手紙の意味はスッカリ分かります。私はたびたびお手紙を英語勉強中の若い学生の「懸賞判読」に提供します。そして彼らにもしベル書簡が読めれば、英語で書いたものは何でも読めると告げます。申すまでもなく私はタイプライターのお手紙を希望します❗ 最近フリードリッヒ・ニイチェの生涯について読みました。なんと不思議な人ではありませんか!彼がキリスト教をば、彼の深刻な心にふさわしいだけ深刻に理解しなかったことは、同情にたえません。彼は鉄槌をもって、教会キリスト教を粉砕してしまいました。思うに神はこの一事をなさしめるべく、彼を使わしたのでしょう。それはちょうど第七世紀の老衰したキリスト教をうち壊すために、神が、マホメットを遣わしたのと同じです。私は自分の学生時代にデヴィッド・ヒュームの哲学が、どんな衝撃を自分に与えたかをよく覚えていますが、私はその中から再び立ち上がり、かえってその衝動によって、前にもまして強くされました。これと同様に、今度もニイチェによって益せられたと思います。私達は時には衝動にあって、自分の信仰を掘り返し、一層ハッキリと強くなり、もってロマ書八の三八、三九に記されるような、パウロの働きの力をシッカと握る必要があります。祐之は今度の試験で、八十人のクラスの第二位を占めました。春の東京の大学野球試合には、重要な役割を演ずるはずです。かわいそうに名高い?父親のおかげで、新聞紙の注意をあびています。 一つお願いがあります。カルフォルニアか太平洋沿岸の地図を一枚ご寄贈願えませんでしょうか。安いもので結構です。当地ではほとんど手に入れることができません。 明後日またまた(第十五番目か第十六番目に当る)結婚式を司会します。新郎は東洋汽船航路「ペルシャ丸」の船員で、この手紙を載せてゆきます。その長男には「タイヘイ」(太平洋)と命名しようと考えています。ご平安を祈ります。 アナタの古い友なる 内村鑑三 ☆「内村鑑三がニイチェを読んだのは、湊謙治がニイチェに傾倒して離反していったことにあり、その原因となったニイチェの思想を知ろうとしたためであった。 「内村鑑三日録9」 p.285-288 12月26日(火) 午前10時半、湊謙治来訪。 湊謙治「大正五年十二月二十六日、世の中の人達が年末の忙がはしさに、目を廻して居る其の日の午前十時半と云ふに、私は一人で柏木なる先生の閑居を音訪れた。私が応接室に入るなり、先生は大きな右手を差しのべて、『よくこんな年末に出られたねえ。』と、云ひながら強い握手を賜はった。私は職務上の用向で上京したことを述べ、御家族の安否をお尋ねした。それから徐ろに、私の精神生活の変遷を物語らうと思って、先づ先生がニイチェを読まれたか否やを伺ひした。 『ウム!唯ニイチェを批評した、小さな書物を一冊読んだきりですよ。近頃、Kと云ふ男がドイツから帰って来て、僕とニイチェとが、よく似た性格をもっていると云ふんで、切(しき)りに私にニイチェを読むようにってすすめるんでね、僕は僕の生涯にあり余る程、読まなきゃならない本があるんだって、断ってやったんですよ。』 とのお答へであった。私は先生の多読にして、尚ほそうであるかと、少なからず驚いた。それで私は暫く経ってから、私が今迄大切に抱き来った私の信仰は、ニイチェを読み初めたことによって、追次奪ひ去られて行くことを包まずに話しかけた。噫その時!今迄晴れやかに輝いて居た先生のお顔は『是れは意外!』と云ったような表情を示して、急に悲哀の黒雲に蔽はれて了った。私は其の様子を見てとって、何とも云へない『気の毒』さと、云ふに。言はれぬ『無味気(あじけな)』さとで、全然私の緊張した心が委縮して了ふかの如くに感じた。『私は此処に何しに来たのだ。』と、自分で自分に尋ねた。私は出来るだけ明瞭に、私の思ひを打ち明けて、先生と問答する積りで出かけて来たのではないか!然し、私は安静にして、平和なる老人を、其儘で置きたかった。私は余りに人情的な女々しさから、私の思ひを打ち明けないのではないかと、自らの心に密かに叫ぶ声あるを聞いた。 『一体ニイチェは、どんなことを云ふのか、教へてくれ給へ。』 斯んな、-私の其の時の気分のために、-都合のいい言葉が暫時の沈黙の後で、先生の口から洩れたのに私は力づけられた。「平静にして安恣なる老人」と云ふ気持ちが薄げられた。それで私は口を開くことが出来た。 『ポーロとキリストの思想は、其の根本において全然相反するものであること。』『敵を愛する最良の方法は、彼れと奮戦するにあること。』『客観的に貴いものを仮置して、自分を卑下する一種の方便を退け、今少し主観的に自己を発き出して、其中に尊いものが内存して居るのを、確認せんために充分の努力を致すべきこと。』 私は其時ふと私の心に浮んだ、基督教に関係あるニイチェの思想の、否寧ろニイチェによって、私が呼び起された以上のやうな思ひの一部を述べ始めた。 『ポーロを歴史から除いて、今の人類はあり得ない。-最大の問題は、吾等が経験する「罪」の苦痛を、如何に所置するやにある。どんな哲学が世の中に発表されても、其れを解決するまでは、そうだ、ポーロ以上に其の問題を解決するまでは、吾人は断じて基督教を、棄てることは出来ない。』 と先生は力強く云って、私が軽率に基督教を棄てないための、大警告を与へられた。私は基督教の罪悪問題が、余りに神経過敏的な『無いものを有るやうに思って、不要の心配をする女心』と思はれる根拠に就て心ゆく問答が、先生として見たかった。然しもうお昼になった。奥さんの忙がしさうな様子も窓の外に見受けられた。私は此上ゆるゆる話すことの、人間らしい無礼の咎め立てに遇ひ初めた。 『まあ遣るだけ遣って見給へ。』 斯んな皮肉な言葉を先生から浴せかけられながら、私は其時丁度出版したばかりの『キリスト?ニイチェ?』と云ふ小説本を、一度お読み下さるやうにと、一冊先生に手渡しして、お暇を告げた。 私は斯うして、終に十歳前後から初対面まで、十年の間心の中に慕ひ憧がれた先生と、-初対面から其時まで、十年の間最も忠実なる弟子たらんことに全力を致した内村先生と、-終体面を終へて一人淋しく思想の山岳を登攀すべく出発したのである。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年05月11日 04時52分25秒
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