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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
公太郎通信より 抜粋
【イジメられた中学時代】 平成7年に中学校に入学しました。全校で220人ぐらいの学校です。 その中の約70人が僕の同学年でした。中学に入ってからは、家から中学校まで16kmもあったので、バスで通いました。車酔いが激しかったので慣れるまでに時間が掛かりました。 中学に入った年はテレビにも良く出ていましたので、テレビを見た先生や同級生が、「テレビ見たよ!良い家族だね。すごいね。」と言ってくれました。6月からは、牧場内でも忙しくなり、牧草の収穫(サイロ詰め)が始まると、良く学校を早退したり時には、休んで牧場の仕事を手伝いました。次の日に学校に行くと同級生に、「何、学校を休んでるんだよ。さぼるな!」と言われたりもしました。いじめは、ある時、突然やってきました。机の中にある教科書を外に投げられたり、ノートに落書きをされたり、ボールペンや鉛筆などを折られたりしました。あと、何もしていないのに同級生が、「公太郎が、・・君の悪口を言っていたぞ」と言われて、その人に便所でお腹をパンチされたり顔を殴られたりと何度かありました。給食の時間になり、準備をしている時にカレーを頭に掛けられたりもしました。我慢できなくなって、親に学校に行きたくないと言った事があります。その時に父は言いました。お前が何をされても笑顔を周りに向けなさい。いつか、信じて貰える日が来るから、その時まで頑張れと言われました。僕は、心に決めました。周りが嫌がってやれない事を、僕が自分から進んでやって行こうと思いました。学校の掃除の時も周りが嫌う作業を進んでやりましたし、クラスの学級会長をやった時は、クラスをうまくまとめられず、返ってやられたりしました。 でも、毎日笑顔を向けました。ある時、同級生が「公太郎が・・君の事をデブっていってたぞ!」と言いました。すると、その人は「公太郎はそんな事を言う人じゃないよ。」と言ってくれました。その時、その言葉が嬉しくてたまりませんでした。その時、親父を信じて良かったと思いました。本当に親父に「有難う。」でした。あの時、学校を休んでいたら、弱い心のまま今 を迎えていたのかなと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年05月24日 16時42分30秒
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