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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
埼玉県の越生町立図書館が「二宮先生語録」を蔵書としていただいている。
埼玉県では唯一である。 そこで「報徳記を読む第4集」「ボーイズ・ビー・アンビシャス第1集」を寄贈した、蔵書としていただけると有難いな。 ■黒山学校(南校)と二宮金次郎像― 黒山学校は、明治6年(1873)8月、前年の学制頒布を受け、大満村(ダイマムラ)、黒山村、龍ケ谷村(タツガヤムラ) の子供たちのために、当地より北方向約百メートルに位置する下ケ戸(サゲト)の薬師堂に開校されました。 明治14年(1881)には、現在の地に新校舎が落成し、以後、梅園学校分教室、第二梅園尋常小学校、 梅園国民学校南校、梅園小学校南分校と変遷を辿り、昭和47年(1972)に閉校する迄、二千数百人の卒業生を 輩出しました。現在は、校舎等の施設・設備は撤去され、二宮金次郎像だけが開校当寺のまま残されています。 二宮金次郎(尊徳)は、天明7年(1787)、現在の小田原市の富農の家に生まれ、 一家離散の苦難に遭いながらも二十歳にして二宮家の再興を果しました。 その後は、小田原藩をはじめ諸藩の財政再建や領民救済にあたりました。 関東を中心に六百以上の村を救済したと言われています。 金次郎の「積小為大(小を積んで大を為す)」を旨とした「勤労」「至誠」「分度」「推譲」を信条とする思想は、弟子に受け継がれ「報徳運動」として広められました。 働き者で勉強熱心な少年時代の金次郎の姿は、明治時代になると修身の教科書や小学校唱歌の題材となり、大正末期から昭和十年代にかけて、日本中の小学校に銅像が建立されました。 南校の初代二宮金次郎像は、昭和11年(1936)に大満の伊藤紋吉氏により寄贈され、戦時統制下の昭和16年(1941)の金属回収令により供出されてしまいました。 現在の像は、コンクリート製の二代目となります。 ~平成18年11月 越生町教育委員会(現地看板資料より)~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年06月05日 22時14分27秒
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