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カテゴリ:尊徳先生の世界
尊徳先生がなぜ大井村に仕法を開業されなかったのか。
報徳仕法においては、人民の自主的、自発的な取り組み方が重要視され、成果をきめるのである。 屋根屋のたとえはとても面白い。 「大井村の姿は、たとえば屋根屋が来ると知って、何の用意もしないで坐って待っているようなものだ。屋根屋がどうしてこようか。村を起すそうだと見物している村へ、どうして求めてこちらから仕法を下すことがあろうか」 成田・坪田村開業を決したのは、高野以下の誠意と推譲であった。大井村に開業されなかったのは、屋根が雨漏りしているのに、屋根屋が修理にくるそうだと、腕組みして傍観しているような村民の態度にあったのである。 一 国を治るは譲にあり。今公用を置て私国を先するは先生撰するの道にあたらず。人一盃の酒を譲る。況や国を起すをや。 (現代語訳)国を治めるのは譲にある。今公用をおいて私国を先にするのは先生が選ばれる道にあたらない。人は一盃の酒を譲る。ましてや国を起すのはなおさらである 一 今時始るの理はあらざるに似たれども、白米を飯にたき書を其の侭置く時は空しくなり。此の飯のみにあらず。郡中、米飯を焚くの念を損ぜんか。 (現代語訳)今の時に始める理はないようであるが、白米を飯にたき、書をそのまま置く時は空しくなる。この飯だけでなく、郡中米飯をたく思いを損じるであろうか 一 大井村の姿、譬(たとえ)ば屋根屋来るを知て何の用意もせず坐して待つ。屋根屋何んぞ至らん。邑を起すそふだと見物して居る村方へ何ぞ求めて是より法を下さんや。 (現代語訳)大井村の姿は、たとえば屋根屋が来るを知って何の用意もしないで坐して待っているようなものだ。屋根屋がどうしてこようか。村を起すそうだと見物している村へどうして求めてこちらから仕法を下そうか 一 帰国の砌(みぎり)は、先づ村方は差し置き、御役々御一同に諸帳面篤と御披見の上、何ぞ差支えもこれ無き哉御相談致し、文言等も御国通用のふり合を用、弥(いよいよ)相決し候所にて村方へ相発し申すべき候事。 (現代語訳)帰国の際は、まず村は差しおいて、係の役員一同と諸帳面をじっくりと開いて見た上で、どのようにも差し支えが無いか相談し、文言等も御国で通用している文体を用い、いよいよ決したところで村に仕法を始めるべきである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年06月14日 03時56分31秒
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