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カテゴリ:広井勇&八田與一
内村鑑三、花巻・斎藤宗次郎への手紙
一九〇六年(明治三九年) 第三六一信(和文葉書) 拝啓、陳ば小生儀さる十四日以来発熱、困却いたし居り候。勿論適当なる医術の治療は受け居り候へ共、我等を癒すものは父なる神のみに御座候。此際諸君が小生の為に熱梼を惜まれざらん事を偏に願上候。 一月十九日 褥中にて口伝 内村鑑三 貴地迫害御報告第二、正に落掌仕候。 第三六二信(和文葉書) 拝啓、御懇切なる御慰問に預り、難有感謝仕り候。 小生病状下の通りに御座候。 夕刻より発熱し、夜を通して下らず、朝に至りて平熱に復し候。かくて十六日間に渉り候へ共、いまだ何等の変動も無之、困却罷在り候。医師に於ても病源の発見に苦しみ居り候。猶此上諸君の御熱梼を煩ハし度、此段重ねて願上候。右御報告迄に申上候 早々 (一月)二十五日 内村鑑三 斎藤宗二郎様 第三六三信(和文封書) 拝啓、御電報並に御書面に接し、諸君の御同情、病める心臓の底に徹し、感涙を以て病の床の床を沾ほし申候。余は平生特に諸君の為めとては何事をもなさず、然るに諸君とかかる場合に於てはかかる特別の愛を表せられ、余は神に向て感謝すると同時に、諸君に向て深く恥づる処なき能はず。願くは一日も早く平癒するを得て、天の福音を多く諸君に頒ち、幾分なりと諸君に報ゆる処あらんことを。 二、三日前より病勢少しくくぢけたる兆候あり。然かし発熱は依然として下らず。然し病の長き割合にやせもせず、疲労もいたさず候。幸にして忠実なる妻の枕辺を離れず全力を尽くして看護するあり。亦、時には聖霊の病褥の中に下るありて、天の栄光を示すあり、小生今日の境遇は決して不幸なるものには無之候間、此段は御安神被下度候。 右は御礼迄に申上候 草々頓首 一月二十九日 病褥にて口伝 内村鑑三 斎藤宗二郎様 花巻教友会諸兄姉 御中 第三六五信(和文封書) 拝啓、小生今回の病気に就てハ、御地諸兄姉の一通りならざる御配慮を蒙り、御厚誼何とも御礼の申上げやうも無之候。小生も諸君の祈祷の御蔭にて、今日は自筆を以て此書状を差上げるまでに至り候間、御安心被下たく候。但し本復までハ尚四、五週間かかり候ことと存候。 二月十一日 鑑三 宗二郎兄 外花巻諸兄姉 第三六六信(英文封書) 札幌 宮部金吾あて 一九〇六年二月二十二日 親愛なる宮部君 君の手紙は僕にとって実に大きな慰めです。君の友情は少しも変わらず、常に悩める時に現れてくれます。そして僕はこんなにたびたび悩む、こんな友人なのです!願わくは神、君を祝福したまわんことを。 僕の患った熱病は非常に奇妙なものでした。医師は、多年の経験によるもこんな例には接しなかった、と言っています。体温は摂氏三十九度以上には決して昇りませんが、執拗で間歇的でした。毎日午後六時にきっかりやって来て、終夜去りません。朝になると引いて、夕方になるとまた前のようにやって来ます。こうして十八日間苦しめられたあげく、突然治ってしまいました。もしこれが千九百年前の事だったら、人々は「悪鬼につかれた人」と僕を呼んだことでしょう。しかしとにかく、悪鬼は僕から去りました。再び元の体力にかえるには数週間待たねばなりません。 母校に水産学科が創設されたとのニュースに、多くの回想にふけりました。自分の期待が、二十五年待った今日実現されたことを考えるのは、何よりの慰めです。僕の卒業当時に、このような学部が間もなく設けられる見込みがあったら、僕は未来の教授として学校に残され、決して人をすなどる者にはならなかったことでしょう。そうすれば、決してなつかしい札幌を去らず、この世における僕の最善の友である君を離れて働かなかったことでしょう。そうすれば、僕の生涯の不幸はどれほど避け得たことでしょう。また僕の生涯はどれほど幸福だったことでしょう。しかし愛する友よ、神は我々より賢くいましたまい、僕は今まであったようにあったのであり、今あるようにあるのです。何が我々一同にとって最善だったか、誰が知っていましょう。しかし、しばしば自分の道にただ一人で戦いかつ悩みつつ、僕はたびたび涙を流し、考えにふけり、泣き叫びました。願わくは札幌農学校の水産学科が栄え、魚類学上より見れば、ニューファウンドランド付近に次ぐ豊富な漁場たる世界のこの地域において、なし得ることをなさんことを。しかし人をすなどる者は、今ではその福音の網をすてて、タラとニシン漁に復帰することはできません。ああ、ああ、ああ! (略) バター、有難う。僕はいつでも貰ってばかりいるのではないでしょうか。人の漁師は一種のこじきです。僕の「信者」が今度の病中、実にねんごろに僕を遇してくれ、一人の友人の医師はわざわざ越後の柏崎から来てくれました。等、等。そして僕の今後の責任を、今までよりはずっと重くしました。 僕の「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」が、今度ドイツ、スウェーデン、フィンランドの各国語に訳されたことを知られたら、興味をいだかれるでしょう。デンマーク語の訳も間もなく出ます。ドイツ語は目下第十版か第十一版です。ゆえに僕はヨーロッパ大陸でスッカリ有名になりつつあり、同時に僕と共にフランシス・M(宮部金吾)、パウロ・O(新渡戸稲造)その他が有名になりつつあります。札幌独立教会は、南はアドリア海から北は北極海までの間で、広く知られています。偉大なる若者、偉大なる教会、そして著者の偉大なる友人たちではありませんか。君は君の友人中に、一人の勇敢な著述家を持ったことを感謝しませんか。 ところで僕は、時に君に会って話し、一週間位を罪のないおしゃべりに送りたくなります。大島君には時折会います。そうすると僕の横隔膜は元気に働きます。他の時は、たいてい真面目くさっています。僕は、聖書は人の有する書物の中で一番悪いものだと思います。余り人を考えさせ過ぎます。ああタラよ、ああニシンよ、ああサケよ、ああザゼン草よ、その他澄み渡る古い札幌の地と海に住むものよ、帰り来ってわれを慰めよ。 君の古い友である 鑑三 奥さんによろしく 第三六七信(和文封書) 拝啓、陳は昨朝新六君御訪問被下、御届物並に金六円正に落手仕候。イツモながら御深切、又々厚く御礼申上候。君の御眼病に就て聞き、御推察申上候。然かし書を読むばかりが信仰上進の途に無之候。我等は直に神より教えられざるべからず。是がためには病気は時には甚だ有益に御座候。 照井君、ツサ子其他へ宜しく願上候。小生も殆んど元に還り申候。然かし尚ほ二、三週間遊ぶ積りに御座候。百合根は大好物に御座候。其二個は又花として咲かせる積りに御座候。神貴家を護り給わん アーメン 三月八日 鑑三 斎藤君 第三七一信(和文封書) 仙台市国分町二丁目江馬方 斎藤宗次郎様 貴酬 拝啓、御眼病終に手術を施すの止むを得ざるに至り候由、サゾかし御難渋のことと存候。然かし是がため、新たに新経験を加えられ、それ丈け同情推察の区域がひろめられしを信ぜられ、神に感謝なさるべく候。 御治療中何が御慰めに有之候や。御序に一寸御知らせ被下たく候。小生は毎日貴兄のために祈り申すべく候 草々 三月二十四日 鑑三 斎藤兄 第三七二信(ローマ字封書) 1906年4月20日 愛する斎藤君 ご全快、ご帰宅の由、大慶に存じます。その後お変わりなきことと存じます。今度仙台に教友会が起こりました。おついでがあれば、ご文通をなさってください。漢字は下の通りです。 仙台市清水小路5本郷方 宮崎伝吉 彼等はすべて青年です。しかし熱心のように見受けられます。 わたくしもほとんど全快です。やまいのために雑誌は二百部ほど減りました。こののちは一層聖書的にするつもりであります。以来はローマ字でご文通をいたします。これぞ文明の文字であります。少しなれればやさしく読めます。 諸君へよろしく 鑑三 内村 第三七三信(和文封書) 拝啓、其後御全快と奉存候。 小生近頃頻りに御地のことを思い出し候。昨年御恵送の百合花草は、春に連れて芽を出し、今年は花巻ユリが十株程、当角筈に花を持つことと存候。 別紙のごときもの、陸奥の極北より参り候。兄なり照井君なりより、一筆慰藉の言御送り願上候。小生も遠からず東北の地を一巡回致致したく祈り居り候。 諸君へ宜しく 早々 四月二十六日 鑑三 斎藤兄 第三七四信(和文封書) 拝啓、御書面正に拝読仕り候。御封入の小為替町落手仕候。 今般佐藤氏退社することに相成り、(氏は実業界に入らんことを欲す)、就ては当分の間、事務は小生と妻と老人と三人にて致す積りに御座候。斯くなして大に冗費を省く積に御座候。地方書店への発送を中庸堂に委ねしも、全く之がために御座候。 小生も少し位いは番頭の代理を致すも、反て利益と存候。リビングストンの申せし通り、「伝動師はすべての職業を手に執る賤夫たらざるべからず」とは此事と存候。A missionary must be a jack of all trades.此不信者国に在て、独立伝動を致すには、此位いの事は当然と存候。其内に少し旅費が溜り候はば、東北地方友人訪問に出掛け申すべく候。今度の事務変更のため、大分出費掛り、此目的を直に実行する能はざるに至りしを悲しみ申候。 諸兄姉へよろしく御伝え願上候。殊にツサ子へ宜しく願上候。彼女のことは小生と荊妻との間に、屡々談柄となりて出で申候 早々 五月五日 内村生 斎藤兄 花巻百合花殆ど十株程、勢能く発生致し候。パンフレット欠本あり、依て適宜取まぜ小包便を以て発送致し候間、御承取被下たく候 早々 第三七八信(和文封書) 拝啓、ルツ子への御写真まことに有難奉存じ候。神若し許し玉はば、小生来月二日、一番汽車にて出発致したく存候。左すれば高崎発は午前八時五十五分に相成るべく候。ドイツグンデルト氏、別に三、四の友人も同行致すべく候に付き、貴兄に於ても若し御都合に相成り候はば、一先ず東京まで御出でに相成りては如何に候や。左すれば一同ニギヤカに出発致すべく候。但し無理には御勧め不申候。余は御面会の上 早々 七月二十五日 第三八四信(和文封書) 拝啓、御無事御帰宅の由、大慶に存候。 小生等は小諸一泊、十四日に帰宅仕り候。家に帰りて一休みせんと存候処、翌日より骨肉の兄弟共の極悪の迫害始まり、柏崎に在りては愛よ、感謝よとのみ語り合いしに、角筈に帰りては肉の弟輩より親殺し、弟殺しなどの暴言を聞き、夫れに付けても天国と此世との反照(コントラスト)を思ひやり候。悪魔は教友会の勃興を怒り、此時に際し、此妨害を小生に加うることと存候。特に此際小生のために御祈下やう願上候。御恩寵花巻教友会諸君、並に其家族の上に豊かに下らんことを祈り上候 早々 八月二十四日 鑑三 宗二郎君 第三八六信(英文封書) 札幌 宮部金吾あて 1906年9月11日 親愛なる古い友 お手紙及びサガレン語訳新訳聖書、有難う。長くお便りに接せず、何か僕に対してご立腹かと思っていましたが、これで僕の心は大変救われました。わが北方の領土への植物学的旅行を知り、喜びにたえません。これは軍事的旅行よりはるかに善い旅行です。多分、いつの日にか、僕もまた君が下さったサガレン語訳聖書を手にして、同地へ聖書的旅行をするでしょう。僕は元気です。越後柏崎で非常に興味深い小さな夏期学校を開きました。神は僕に、あの非常にむずかしい地方を福音化するための秘密を示して下さったと信じます。実際上と理論上の大問題を沢山に持っています。それについて君と話し合うことを心から望んでいます。 奥様によろしく。 君の鑑三 第三八七信(和文封書) 其後御変りなきことと存候。当方も暴風一先づ吹去り、今は至て平穏に御座候。然し何時又始まるやも知れ申さず候。彼等はキリストのために兄を殺さねばならずと申し居り候。奇態なる信者も有る者に御座候。 扨て、伺ひたきは御地同志の中に、小生宅の下婢として奉公することを望む者有之候や。目下居る者は千葉県海保君より遣わし候者に候え共、来る十月限り帰家仕るべく、依てアキを生じ候に付き、若し今度は花巻より御送り被下候わば、甚だ幸福に御座候。最も労働を好む者にあらざれば困り申候。月給は二円、差出申候。肉体は健全なるを要し候。歳は十七歳以上二十二歳以下、少くとも三年間奉公し得る者を求めたく候。 右御心当り有之候わば、御知らせ被下たく願上候。今月分雑誌は明日発行仕るべく候。 今日佐藤昌蔵翁来訪、聖書と花巻とのことに就て談じ候。 諸君へ宜しく御伝え被下たく候 早々 九月十四日 鑑三 斎藤兄 第三八八信(和文葉書) 拝啓、御端書只今拝見仕候。下婢のこと、若し目下御心当り無之候はば、御面倒ながら至急御知らせ願上候。当方下女遠からず国元へ帰り候事とて、代りに至急見附けずば相成らず、御地になくば、信州へ申遣わす考に御座候 早々 九月二十一日夜十時 第三八九信(和文封書) 拝復、下女の事に付き色々御心配を掛け、恐縮の至りに存候。 ツサ子はまことに結構に御座候。先年の事も有之候に付き、可相成くは迎へたく存候。但しそれにしても左の件々、篤と承知の上にての事に致したく存候。 一、当方に於ては当人の智育霊養のことに就ては、充分の注意は致すべく候え共、下女たるの職分は主婦の下に従い、先ず第一に台所、第二に針仕事の事を為すに有之候故に、水仕事はツマラナイの、修養の時間が足りないのと云うようでは、迚も勤まり不申候。且つ当方に於ては、目下の処保育すべき七十五歳の老人あり、外に小供二人あり、来客ありて、目下千葉県より参り居り候下女のごときは、朝四時より夜七時までは、自分の時間とては少しも無之次第に御座候。彼女も教友会員には候え共、下女として扱い居り候。ツサ子に於ても、今回来宅あり候上は、同じ労働を為し、同じ扱いを受くるの覚悟有之たく候。詩人的の考えを以ては、下女奉公は出来不申候間、其辺篤く承知置きを望み候。 二、少くも二年間は此職に居るの決心を持たれたく候。 ツサ子若し参るとすれば、来月二十日頃に参り呉るれば宜しく御座候。今が今、母の許を問ふの必要は無之候。 荊妻の呉れ呉れも心配することは、ツサ子が果たして下女の奴隷的の任に堪ゆるや否やに御座候。今日までの経験に由れば、少しく高き(実は低き)理想を抱く者は、下女としては甚だ不適当に御座候。小生と荊妻とがツサ子に就て心配するは、唯此一事に御座候。若し彼女が第一等の下女と成り得るまでに低く(実は高く)成り居り候えば、小生等に取りては此上なき喜びに御座候。 思う儘まを申上候間、悪しからず御受け被下たく候 早々 九月二十四日 内村鑑三 斎藤宗二郎兄 ツサ子来京あるも、彼女の母の歓諾を得て後の事に致したく候。母に迫り無理に来るやうなきとなきやう御伝へ願上候。 第三九三信(和文封書) 御書正に落掌、ツサ子上京、差支なき由大慶に存候。就ては二十一、二日頃上京あるよう御伝え被下たく候。当方よりは毎月二円、給金として支給仕るべく候。但し来る時の旅費は先方持ちのことと致したく候。且つ夜衣(よぎ)、布団持参致し呉れ候えば、相方の好都合と存候。尤も当方に下敷は有之候も、余まり宜しきものには無之候。 斯く成り来り候も、摂理かと被存候。治し御互の上に祝福を祈り候 早々 十月十日夜 鑑三 斎藤兄 再伸 ツサ子実母より小生へ一書差遣わし候わば、後来のために非常に宜しきかと存候。 第三九六信(和文封書) 拝啓、陳はツサ子只今着致し候間、御安心被下たく候。尚ほ結構なる品々沢山に御送り被下、有難奉存候。御地同志諸君へ呉々も宜しく御伝え被下たく候 早々 十月二十二日午前九時 内村鑑三 斎藤兄 第三九七信(和文封書) 拝啓、陳は、ツサ子思ひの外様子宜しく、一同喜び居り候間、御安心被下たく候。彼女の品性は、此二、三年間に大変化のありしことを認め申候。既に当家にも大分相慣れ候間、今度は永く居られることと存候。此旨御序の節、彼女の実家へも御通知被下やう願上候。 且又申上候。彼女へ余りたびたび、御手紙又はハガキを御遣はしなき方宜しと存候。其理由は、当方にナツカシむるには、成るべく丈け故郷を忘れしむる様致さねば相成らず、是今日まで度々実験致し候事故、不悪御承知願上候 早々 十一月二日 内村鑑三 斎藤兄 第四〇〇信(和文葉書) 拝啓、只今より独り大阪へ伝道に参り候。貴地諸教友が、祈祷を以て小生を伴い玉はんことを願上候。戦争は十六、十七、十八の三日 早々 十一月十三日朝 第四〇七信(和文封書) クリスマスを賀す。 又々御贈品の栄に与かり、有難く奉存候。常に戴くばかりにして、何共恐縮の至りに存候。皆様へ宜しく御伝え被下たく候。 ツサ子其後異常なく、身体は肉付き、甚だ健全に見受申候。用事は能く弁じ呉れ候。只天利に独立の精神に富み候ためか、人なつき悪しく、常に沈黙を守り、同齢の女子来るも交際も致さず、側から見て何か不平にてもあるならんかと心配致し候。時には小生よりも注意致し候へ共、唯ハイハイと返事するのみにて別に変り不申、それには困入候。或は彼女の性来の気質かとも存じ候へ共、少しく他を喜ばせんとする行為に出づるにあらざれば、神のために尽すに方ても、甚だ困難と存候。貴兄よりも御序の節、可然御教へ被下たく候。 明日よりは又々原稿にて多忙に御座候 早々 十二月二十四日 鑑三 斎藤兄 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年06月28日 03時37分09秒
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