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2019年07月07日
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カテゴリ:広井勇&八田與一
内村鑑三、花巻・斎藤宗次郎への手紙 一九〇九年(明治四二年)

一九〇九年(明治四二年)

第五一三信(和文封書)
拝啓、当方よりは相済まざるまでに御無沙汰に打過ぎ候。種々と試誘の貴兄の身に迫りしを聞き、蔭ながら御心配申上候。然し今回も亦々「勝得て余りありし」事と存候。当方異事なく、ツサ子も大手助かりに御座候。彼女の今後の方針に付き、小生よりは家内大に思慮を運らし居候。何とか必ず善きに向ふ事と信じ候。小生雑誌来月分漸く昨日書き上げ、今日は少しく気楽に御座候。檪林集進呈の分も共々に御落手のことと存候。是は亦筆者に取り多くの心配を掛け申候。其割合に功績少からんと、詰らなき心配致居候。不相変祈祷の御交換仕りたく候  草々
一月三十一日      鑑三
斎藤兄

第五一四信(和文封書)
其後久しく御便り無之候得共、御変り無之候や、伺ひ申上候。小生も此両三日漸く少しく暇に相成候。或時は此世の事は万事打忘れて机に向ひ申候。其為めに友人との文通の如き、二、三週間全く絶ゆる事有之候。ツサ子も今度こそは真の常識に帰りしことと存候。之れよりして、徐々として彼女の運命も開くならんと存候。大抵の日本人は厳か、縦か、孰れかの極端に居り候。キリストの如く平静の中和に居るは、我等に取りて最大の困難に御座候。御地諸君に於ても、此中和を学ばれんことを偏に願上候  艸々
二月六日      鑑三
斎藤兄

第五一五信(和文封書)
拝啓、御書面正に拝読仕候。種々の御困難、深く御推察申上候。
貴家の御整理に付ては、若し御養母より切に断縁を申出られ候はば、聖書の左の訓誡に由て御措置相成り候てハ如何に候や。
馬太(マタイ)伝五章四十、四十一、四十二節
哥林多(コリント)前書七章十五節
或ひは之に由て平和の貴兄と貴家との上に臨む乎とも被存候。御参考までに申上候。尤も御親類の確たる承諾の上なるハ申上ぐるまでもなし。貴兄に多くの思はざるの困難の臨むは、貴兄の身に不相応なる或物が付いている故に非ずやと考へ候。
右は参考までに申上候。小生の命令に無之、其辺篤と御承知願上候。
只今雑誌差出候  艸々
二月十日正午 鑑三
斎藤兄

第五一七信(和文封書)
拝啓、春暖稍々催し候折柄、貴兄並に御一統、追々と御回復に向はるることと存候。小生も先月は又々少し寒気に当られ臥床罷在り、漸く昨今本復致し候。
偖、又々ツサ子の事に就て申上候。実に彼女の事は、過去数年間に渉る問題に御座候。小生も此事に就ては、少なからず脳力を費し候も、今に至て、之よりして大なる利益を受けしことを感じ申候。先日貴兄より家内への御書面に由り、又々篤と勘考致し候処、結局別紙の通りの結論に達し候に付き、御熟考被下たく存候。其各条の説明に就ては、今茲に筆を以てしては申上兼ね候ヱ共、其大意は説明なくとも判然なるものと被存候。何れ遠からざる中に御面会を得て、縷々申上べく候ヱ共、今日の処、貴兄に於ても此方針に従ひ、彼女を御助け被下候はば、小生に取りては大満足に御座候。
日本の社会は未だ個人本位の程度にまで進み居り不申、今尚ほ家族本位の程度に有之候。故に人を救ふに方ても、家族を救ふを以て目的と致さずば相成らずと存候。ツサ子の今酉家にては無之、今酉家のツサ子に御座候。ツサ子を救はんと欲すればドウしても、今酉家を救はざるべからずと存候。且又御互に注意すべきことは、人の家事に就ては余り深入りせざる事に御座候。是れ決して不親切の故に非ず、御互の為すべからざる事と存候。
小生外国の友人に於て此事あるを見て、小生は常に深く感じ居候。彼等は多くの点に於て小生を助け呉れ候ヱ共、小生の家事に就ては謹んで容喙を控へ居り候。是れ或ひは友誼を永久に保つの途かと存候。斯く申上候小生が、先般御家のことに付き容喙がましき事を申上候段、幾重にも御許し被下たく候。
就ては約束の三ケ月も済み候に付き、少しく東京見物を致させ、其上帰国致させ候間、左様御承知被下たく候。且又本人母へも同じく御通知願上候。小生は彼女の取るべき方針の定まりし以上は、万事思ふよりも早くマトマリ候事と存候。右は要事のみ申上候。
恩恵裕かに御地諸兄姉の上に宿らんことを祈上候草々
一九〇九年三月九日      鑑三
花巻  斎藤君
再伸  何共申上兼ね候ヱ共、又々草花種少々御分配被下まじくや、願上候。貴兄の手より出たる種は安心して蒔くを得、昨年も多大の喜楽を享け候間、今年も同一の恵みに与りたく候  草々
[別紙]
ツサ子に関する余の意見
一、余はツサ子は他に嫁すべからざる者なりと信ず。
(一)日本法律が此事を許さず。(二)彼女の家の情実が此事を許さず。
一、余は彼女がいま今酉の家を起すか、然らざれば少くとも之を持続するの義務を有する者なるを信ず。
一、余は彼女の友人なる者は、彼女をして此事を成就せしめるために尽力すべき者なるを信ず。彼女の霊魂を思ふの余り、彼女をして其生家に対する義務を尽さざらしむるに至るは、彼女に忠なるの途にあらざるを信ず。
一、彼女にして既に丁年以上に達する以上は、彼女と其生家に関する事に就ては、彼女をして可成丈け自由行動を執らしむるの正当なるを信ず。彼女の友人の、此際に於て為すべきことは、彼女に友誼的援助を与ふるに止て、深く彼女の家事に立入るべからざるを信ず。
一、彼女の信仰の立場より考ふるも、新たに境遇を作て身の聖浄を全うせんよりも、旧き境遇に在て之を聖むるの、遥に優さりたる途なるを信ず。そは神は人を救ひ給ふに方て、大抵の場合に於ては彼に新しき境遇を供し給はずして、新らしき霊を降し給ひて、自己を聖むると同時に、旧き境遇を聖めしめ給へば也。
千九百〇九年三月九日      内村鑑三

第五二〇信(和文封書)
      [高橋ツサ子あて]
   友誼的忠告
〇神はキリストの身を救はんために奇跡を行ひ給はざりし。彼は亦奇跡を以て余の身をも救ひ給はざりし。彼はキリストの身も、余の身も、之を世の普通の成行に任し給へり。卿の身も亦爾かせらるべく、卿は其れがために神をも余をも怨むべからざるなり。
〇卿は已に丁年(満二十歳)以上に達し、今酉家の戸主なり。故に戸主たるの権威は之を振はざるべからず。正当の道を践み、争ふべきを争ふは、決して悪魔の道に非ず。卿は今酉の家の全責任の、卿一人の肩に懸り在るを覚悟せざるべからず。
〇余は卿に注告す。先ず正当に卿に属する財産の明細なる調査をなすべし。而して善く其出入を計り、可及ぶ丈け経済的に家計を処理すべし。卿の実印は決して之を他人に委ぬべからず。必ず之を卿の手に存し置きて、卿自身に之を使用すべし。若し卿の実母たりとも、此権利を卿に許さずば、法律を以てするも之を争ふべし。そは是れ卿の実家の根本的に紊乱する基なればなり。
鴿(はと)の如く順良なれ、然れども同時に蛇の如く智(さと)くあれ(馬太十章十六節)
汝、年幼(としわかき)を以て人に軽ぜらるる勿れ(提摩太前書四章十二節)
〇万事友人に相談するも可なり。然り、相談すべし。然れども裁決は自身にて為すべし。人に頼るは、余に頼るも悪し。依頼は何人に対するも、均しく悪事なり。卿は独り自身と今酉とのために決行せざるまでは、何事も決定せざるなり。それがために人、卿を呼んで強情となすも決して意に留むる勿れ。余は卿の独立独行のために卿の味方となるべし。
〇今後卿と余との関係は、斎藤氏の手を経ざるべし。直接なるべし。是れ勿論斎藤氏の好意を斥けてにあらず。正当の途なればなり。又今後今酉の家が余に向て尽すべきの義務を尽さんことを欲す。然らざれば余は卿のために何事をも為す難し。
〇神の恩恵は多くの困難を経て卿に到るべし。然れども外よりは来らざるべし。恩恵は斯くして余に来れり。卿にも亦其如く来るべし。決して失望せざらんことを望む。
〇人を択むに信者、不信者の区別を立つべからず。善人是信者なりと心得べし。主義に忠なる人、是れ義人なり。而かも亦完全を此世に望むべからず。完全は之を自己より補負の覚悟をなすべし。自身不完全なるに、完全を人に要求すべからざるなり。
明治四十二年三月十七日   内村鑑三
高橋ツサ子殿

第五二二信(和文封書)
           岩手県花巻 高橋きえ子あて
 拝啓、余寒尚ほ厳しく候得共、貴女様ニハ何の御変りもなき事と存じ奉慶賀候。陳バつさ子儀はるばる上京有之しに拘はらず、唯使ひたてしまでにて、何の益をも与へず、一同甚だ気の毒に奉存候。併し多少の修業にも相成りし事ならんと存じ候。就てハ尚ほ此上当方に御預り申すも、行先未だ定まらざる彼女に対し、心元なく存候ニ付、御約束通り満三ケ月を以て、一先づ帰宅致させ候間、左様御承知被下度候。
 先般斎藤氏を以て家内への御書面により、何処か適当の所縁有之候はば、御遣はしに相成りても宜敷由に候得共、申上ぐる迄もなくつさ子は御家の戸主として、如何なる御事情ありと雖も、他家へ縁付くべき者に無之事と存候。且又斯る事は法律の許さざる事とて、如何に望むともなし得ざる事に御座候。つさ子の為すべき事は、全力を尽して御家を継ぎ、出来得る限り家名を再興する事と存候。此事に就ては、小生も及ばずながら小生の意見を彼女に申聞かせ置候間、貴女様に於ても其御積りにて、彼女の身を御処置相成様、御勧め申上候。私共つさ子の友人たる者は、如何にもして彼女をして、今酉の家を継がしむる様尽力致すべく候。此旨予め御承知置被下度候。
 本人を以て粗菓壱箱進呈致候間、御笑納被下度候。
 右申上度 草々頓首
  明治四十二年三月二十二日  内村鑑三
   高橋きゑ子様
第五二二信(和文封書)
           岩手県花巻 高橋きえ子あて
 拝啓、余寒尚ほ厳しく候得共、貴女様ニハ何の御変りもなき事と存じ奉慶賀候。陳バつさ子儀はるばる上京有之しに拘はらず、唯使ひたてしまでにて、何の益をも与へず、一同甚だ気の毒に奉存候。併し多少の修業にも相成りし事ならんと存じ候。就てハ尚ほ此上当方に御預り申すも、行先未だ定まらざる彼女に対し、心元なく存候ニ付、御約束通り満三ケ月を以て、一先づ帰宅致させ候間、左様御承知被下度候。
 先般斎藤氏を以て家内への御書面により、何処か適当の所縁有之候はば、御遣はしに相成りても宜敷由に候得共、申上ぐる迄もなくつさ子は御家の戸主として、如何なる御事情ありと雖も、他家へ縁付くべき者に無之事と存候。且又斯る事は法律の許さざる事とて、如何に望むともなし得ざる事に御座候。つさ子の為すべき事は、全力を尽して御家を継ぎ、出来得る限り家名を再興する事と存候。此事に就ては、小生も及ばずながら小生の意見を彼女に申聞かせ置候間、貴女様に於ても其御積りにて、彼女の身を御処置相成様、御勧め申上候。私共つさ子の友人たる者は、如何にもして彼女をして、今酉の家を継がしむる様尽力致すべく候。此旨予め御承知置被下度候。
 本人を以て粗菓壱箱進呈致候間、御笑納被下度候。
 右申上度 草々頓首
  明治四十二年三月二十二日  内村鑑三
   高橋きゑ子様

第五二三信(和文封書)
拝啓、只今御書面(宗次郎の長女愛子の危篤を報知)に接し、痛嘆且つ御同情の至りに存候。人生幾回か「我れ生れざりし者を」とか「活ける神何処に在る乎」といふ声を発せしむること有之候。然し、此エリ、エリ、ラマ、サバクタニを発せざれば、神の御心の程は分かり不申候。貴兄が此際シッカリとなされて、天国と深き縁を結ばれんことを祈上候。
然れども万物万事悉く善なり。御勇闘のほど偏に願上候。
皆様へ宜しく御伝へ被下たく候。山岸への御伝言、正に承知仕候 草々
四月七日鑑三
花巻  斎藤君

第五二五信(和文封書)
拝啓、今日照井君より書面有之、御愛娘今尚御重患の由受玉はり、御同情の至りに不堪候。万事聖旨に存することには候得共、主が貴兄並に御一族に、負ひ難きの重荷を担はせ玉はざらんことを祈り候。
かの花卉種物の如きは、決して御心配被下まじく候。大学学生諸氏より夫れ夫れ分配致し貰ひ候間、今年は充分に間に合ひ申候。
明十三日は亡父二週年に当り申候。其節の友人諸氏の御同情、今に忘れ難く候。
希伯来書二章十節改訳左に差上申候。
多くの人の子を栄に導かんために、之を救ふ者をして患難を以て完からしむるは万物の帰する所、m万物を造れる者に相応(ふさ)はしきことなり
貴兄は今は全能者に患難を以て完成らしめられつつあり。主の恩恵の業を斥けられざらんことを乞ふ
艸々
四月十三日夜鑑三
花巻  斎藤君

第五二六信(和文封書)
拝啓、昨日は御写真に、只今は御電報に接し、君にも又すべての人類に望む極痛の臨みしを知り、重ねて御同情申上候。死は之を何と名づけても、亦如何に説明しても、死より他の者には無之候。唯深切なる「時」をして、之を聖化せしめるまでに御座候。然れども「時」にして之を聖化せん乎、死ほど美はしき者は無之候。小生は今は之れ以上申上げず候。山岸へ直に申遣はし候。花は当地教会一同より進呈致し候間、左様御承知被下たく候  草々
四月十五日午後三時鑑三
花巻  斎藤様

第五二七信(和文電報)
ココロヲシヅカニシテ  ネムリシモノヲ  シユニユダネヨ
ウチムラ

第五二九信(和文封書)
拝啓、其後追々と御恢復のことと存候。此際悲哀の悪魔が、貴兄を捕虜にせざらんことを祈り候。
遠からずして、君の愛せる者は其霊を以て、君の霊に帰り来るべし。しかして君に大なる歓喜あるべし。君は其後復活の何たる乎を知らるべし。祈て御待ちなさるべく候。
当方にても子供両人少々やられ、前週は家は小児病院と化し候。然し幸にして今は心配絶え候。
ツサ子も追々と快方の事と存候。右御見舞まで 草々
五月二日      鑑三
花巻斎藤兄

第五三三信(和文封書)
拝啓、代筆御免被下度候。雑誌原稿調成の結果、右の手未だ元の如くならず、友人への御文通は総て永井(久録)君に代筆願居候。
先日は結構なる苺果、沢山に御贈り被下誠に誠に難有奉存候。久しぶりにて果実らしき果実を頂戴致し、且つ貴兄の神聖なる労働の結果なるを知り、一層の感謝を以て頂戴仕候。尚ほ今日は故愛子嬢の貴き記念物御贈り被下、甚だ恐縮の至りに存候。唯之を見て却て涙を催すのみにて、貴兄の御心中を察し、甚く心を痛め候。ただ此上は神の御恵み、御互の上に加わり、之によりて貴兄と小生との御友誼が一層強められ、此世の戦争を終る迄、其遂に絶えざらんことを祈る迄に御座候。
小生は去る四月筑波登山を試みて腰と足とを痛め、今に全快不仕、依て遠方の外出は一切中止致居候。是れ又何かよき摂理の命ずる所と存じ、感謝致居候。併し思想は益々上進する様に被考候。無教会主義の基督教の根本主義たる事が、追々と明白に相成り、甚だ喜び居り候。
先日、高橋きゑ女より、つさ子対浅野氏縁談の事に就て申参り候に付、唯今返事差出置候。御承知の通り、小生は此事に就ては、最も不得手に有之、今日迄一つも且て成功せし事無之、就ては若し貴兄或は照井君に於て御異存無之候はば、此事に御当り被下間敷哉。小生より特に願上候。小生は若し本人等の健康上に差支無之限は、此縁談は至て賛成に御座候。最も今酉家の相続問題は如何に相成候や。其点は小生には未だ解し兼ね候。実に古き旧き此問題には、御互今に尚ほ頭脳を悩し申候。
右御礼旁々申上候。万事御恵みの下に善に向て働く事に存候  草々頓首
六月十四日      鑑三
斎藤宗二郎君

第五三五号(和文封書)
拝啓、梅雨の候にて鬱陶敷候得共、貴兄並に御一統御変なき事と存じ候。
陳ば、友人独逸人グンデルト氏、先般高等学校を辞して以来、専ら教友訪問に従事致居、先般は千葉県鳴浜村に参り、大に彼地の教友を慰め申候。就ては、此次は貴地に至り度由申居り候が、御都合如何に候哉、伺ひ申上げ候。同氏の都合にては、来月上旬参上致度由申居候。勿論同氏より進んで参上致す事に候間、旅費支弁等の御心配は更に要し申さず候。且又食事も自身用意可仕候間、其辺も御心配に及び申さず候。唯寝る所と伝道の機会とを御与へ下され候ハバ、物足り申し候。右御伺い迄に申上候。何分の御返事願上候 草々頓首
  六月二十九日   内村鑑三
   斎藤宗二郎様

第五四二信(和文封書)
暑気厳しく候ヱ共、其後御変りなきことと存候。小生祐之と共に去月二十七日より鳴浜に参り居り、一昨日帰宅致し候。明日よりは当分の間、下女と共に二人にて留守致し候。鳴浜に於てハ、海保氏の改良事業着々功を奏し居るやう見受け申候。
御地諸兄姉へ宜しく御伝へ被下たく候。つき子如何に致し居り候哉。佐藤(昌蔵)翁にハ未だ御面会に相成り候はずや、伺申候。水沢(政代)老婦人にも御序の節宜しく御伝へ被下たく候  草々

第五四六信(和文封書)
拝啓、残暑尚ほ厳しく候処、皆様御変りなき由、大慶に存候。陳ハ先日は伊藤くま子父子来訪有之候節ハ、丁度雑誌原稿中にて万事不行届に有之、貴兄に対しても甚だ申訳無之候。併し小生は彼女を一目して、今日の彼女の、三年前の彼女と全く別人物なるを知り申候。素朴の容貌は去って、都会の風姿と化し、純然たる女学生と相成り候を見て、心甚だ不快を感じ候。且又篤と彼女の今日の状態を探り候処、未だ離婚となりて一週間にも相成り申さず、且又如何に我党の一人なればとて、かかる事に関して先方の申分を聞かずして、直ちに彼女に同情を表する事は公平を貴ぶべき我等に取っては、大いに謹むべき事と存候。依て何れの点から考ふるも、今日直ちに彼女をお預かり申す事は、小生に於ては如何にしてもなし難く、依て貴兄並に小田代(れん)老人に対しても甚だお気の毒にハ存じ候得共、一と先ず彼女に帰国を促し候次第に御座候間、右悪しからず御承知被下度候。其後御地に帰り、彼女に於ても篤と京地に於ける彼女の生涯に就て回顧し、大いに悟る所あり、復たび純樸なる山出しの婦人となりて上京致し候節ハ、当方に於ても出来得る限りの世話は致し申すべく候。此旨彼女並に小田代老人にも篤と御伝へ被下度願上候。右用事のみ申上候  草々
九月二日      鑑三
花巻 斎藤君

第五五一信(和文葉書)
拝啓、久しく御文通無之候得共、別にお変り御座なく候や、伺ひ申上候。数週間前小生写真一枚進呈致置候得共、右は御受取に相成候や。御序の節御知らせを願上候。小生明日当地出発、山形県関山迄教友訪問に参り候。今回は御地には失礼致候。五日には帰宅可致候  草々

第五五四信(和文葉書)
御書面正に拝読、関口氏赤貧の由に付き、只今別に振替貯金を以て金五円貴兄まで差上候に付き、御落手の上は然るべく御使用被下たく候。実に同君の事は言ふに忍びず、聞くに忍びず候。札幌に於て小生の敵の欺く所となりて、終に今日に至られし事、実に気の毒至極に御座候。然し今と雖も晩く無之、悔ひて故郷に帰られ、元の謙遜なる生涯を送られんことを切望仕候。当方ルツ事、一ヶ月前より肋膜炎にて、今も尚ほ床に就き居り候。然し今は最早心配無之、但し一時大分心配致し候。右原稿中用事のみ申上候  草々
十月二十六日

第五五五信(和文封書)
拝啓、陳ば今日はルツ病気御見舞として、美事なる果実沢山に御送り被下、イツモながらの御愛心、当人は勿論、父母までも有難く奉存候。如斯にして、僅かばかりの苦痛は多くの恩恵を招く機会となり、差引き利益は我等の有に帰し候。感謝の至りに存候。
先日は関口氏のことに付御申越被下、種々の御面倒有難奉存候。同氏は未だ自由信仰の何たる乎を解せざる人と存候。氏の如きが我等と同主義なりと表白するは、我等に取り大なる迷惑に御座候。此上は帰国の上、根本より考へ直すの必要あることと存候。
伊藤公薨去に就き、特に新聞紙の態度は呆るるの外無之候。実に当てにならぬは此世の批評に御座候。我等は益々世を離れて生存するの必要を感ずる次第に御座候。
ツサ子並に工藤善太郎君よりルツ見舞手紙を送り呉れ有難奉存候。御序の節宜しく御伝へ被下たく候。
右御礼までに申上候  匆々
千九百九年十一月五日鑑三
斎藤君

第五五六信(和文封書)
拝啓、御端書に接し、災害の又々貴兄に臨みしを承はり、自己に大打撃を受けし様に感じ申候。然し神は貴兄が之にも能く堪え得ると知り給へば、貴兄をして自己の信仰を自覚せしめんために、又々此災難を貴兄に送り給ひしことなれば、快く之を御受けあらんことを願上候。多分遠からずして試練の時期は去り、報賞の時期は到来することと固く信じ申候。小生には稍々君の前途の、如何に開け行く乎を推知し得るやうに感ぜられ候。
先日ルツへの御見舞に対し、照井君へ対してのお礼を洩らし候に付き、御面会の節宜しく御伝へ被下たく候。何れ小生よりも謝状差上申すべく候  匆々
一九〇九、十一月八日   鑑三
花巻 斎藤君

第五五八信(和文封書)
拝啓、別紙小額はグンデルト氏並に小生を通して、神が貴君に贈らるる者に御座候間、御心配なく御受納被下たく候。
差出人はグンデルト氏の名に相成り居り候間、左やう御承知被下たく候。
神は万事に於て君を善きに導きつつあり、驚き玉ふな!
十一月十二日朝   鑑三
斎藤兄

第五六二信(和文封書)
拝啓、其後御容子如何に候や、伺申上候。万事益を為しつつ働らきつつあることと存候。
別に小包便を以て「歓喜と希望」十冊進呈致し候間、内五冊は貴兄へ、三冊は照井君へ、二冊はツサ子へと御分配なし被下たく候。之にて沈み切ったる現今の社界へ、微光なりと投げ入れたく存候。
ルツ儀も幸にして全快致し候。又々感謝のクリスマスを送り得ることと存候。
恩恵裕かに花巻諸氏の上にあれアーメン
千九百〇九年十二月二日   鑑三
サイ藤君

♡現在、7月23日の午前、静岡県袋井市で「内村鑑三、花巻・斎藤宗次郎への手紙 一九〇一~〇四年(明治三四~三七年)」を輪読しようという企画を袋井在住の友人と進めている。

内村鑑三から各地の教友への手紙は「日本人による、日本人のための、日本語の福音書」の趣きがあり、斎藤宗次郎の描き出す「二茨日記」の内村鑑三は、使徒・内村鑑三行伝の味わいがある。

袋井は、内村鑑三が「余の見たる二宮尊徳翁」という名講演を行ったゆかりの地でもある。
今のところせいぜい数人の輪読となりそうであるが、楽しみである。





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最終更新日  2019年07月07日 00時46分46秒
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