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カテゴリ:広井勇&八田與一
内村鑑三先生と花巻-高橋ツサ子を中心に-斎藤茂夫 (抜粋)その1
高橋ツサ子は明治十七年、は市下町(しもちょう)の酒の材料店もと麹の製造を業とする「今酉(いまとり)」家の長女かつ後継者として生まれた。父は幼ないころ死亡し、小学校卒業後は仙台の裁縫女学校に学び花巻の家に帰ってみると、未亡人となった母の店の帳場には、妻のある町の助役が座っていた。このようなびん乱した家庭にあって彼女は、当時の小学校高等補修科に学んだが、その時修身の時間に「正義は最後の勝利者なり」という言葉を、魂の底に刻みつけてくれたのが照井真臣乳(まみじ)先生であった。 正義とは何か。腐敗した家庭に悩む少女はひたすらに正義を追求し、内村鑑三という名を知り、東京にある内村先生から直接正義について教をうけたいという願望をおさえきれずに、十六才の夏当時の金額で約三円をたずさえて単身家出を決意し、汽車にも乗らずに徒歩で上京を試みた。途中黒沢尻(現在の北上市)まで来たとき、驚いた家元からの通報で警戒中の警官につかまり警察に連行された。しかし何ひとつやましい所がないので、堂々と反駁して一度は釈放されたが、和賀川の畔で家からさし向けられた若者にさとされて花巻に引き返した。 十八才のとき、斎藤宗次郎が内村先生の弟子であることを知り、はじめて訪ねて来た。家庭の改良はまず自己の改良からはじめばければならない。自己を改良するにはまず聖書を読まばければならぬ、と斎藤からさとされて、早速聖書を買い求めた。そこでマタイ伝からはじめて聖書研究に着手したが、その熱心は驚くべきものがあり、疑問の箇所があれば一日に六回も斎藤を訪ねて質問するという有様で、新約聖書全巻は間もなく読了してしまった。そこで前回は中途挫折した内村先生訪問を 再び思い立ったが、もちろん母の許可を得られる見込みもないまま、斎藤から先生宛の紹介状と旅費の補助を得て、明治三十五年(1902年)十月三十一日はじめて上京し、雑誌編集中の先生を突然訪問した。(*) 内村鑑三、花巻・斎藤宗次郎への手紙 1902年(明治35年) 第二二二信(和文葉書) 拝啓、今朝雑誌編集中高橋ツサ子突然入来り、小生も彼女の処置には殆んど窮迫致し候。帰す訳にも行かず、置く訳にも行かず、止むを得ず今夜だけは拙宅へ一泊致させ候。信仰の事に就ては充分に同情を表し候へ共、小生は貴兄が彼女を如何にせよとて小生に送られしか、其意を解せず候。只今電報差上置候。 十月三十一日夕 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年07月09日 01時24分18秒
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