12393265 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

GAIA

GAIA

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
全て | 報徳記&二宮翁夜話 | 二宮尊徳先生故地&観音巡礼 | イマジン | ネイチャー | マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界 | 宮澤賢治の世界 | 五日市剛・今野華都子さんの世界 | 和歌・俳句&道歌選 | パワーか、フォースか | 木谷ポルソッタ倶楽部ほか | 尊徳先生の世界 | 鈴木藤三郎 | 井口丑二 | クロムウェル カーライル著&天路歴程 | 広井勇&八田與一 | イギリス史、ニューイングランド史 | 遠州の報徳運動 | 日本社会の病巣 | 世界人類に真正の文明の実現せんことを | 三國隆志先生の世界 | 満州棄民・シベリア抑留 | 技師鳥居信平著述集 | 資料で読む 技師鳥居信平著述集  | 徳島県技師鳥居信平 | ドラッカー | 結跏趺坐 | 鎌倉殿の13人 | ウクライナ | 徳川家康
2019年10月12日
XML
カテゴリ:尊徳先生の世界
「先に人を喜ばさないと物事はうまくいかない」という島精機製作所の島正博社長のgive and given の人生哲学
「別の言葉でいうと『たらいの水』です。たらいの中の水を『give 』の精神で『どんどん儲けてくださいよ』と押し出すと、向こうの水位が上がる。そうすると、溢れ出た水がこちらに返ってくるのです。」


1 盥(たらい)の水の原理 
 二宮金次郎は実物教授の主義でどこでも説かれ、推譲の理屈も何人にも分かるように話された。人夫などが仕事の休みなどに、盥に水を酌んで置いて、『その水を前の方にばかりかいて見よ。いくら汗水を流し前にかいてもその水は向うに行ってしまう。これと反対にこの水を向うにばかり押すと、いくら押しても帰って来るばかりだ。欲が深く自分の方ばかりかきこんでも、そう自分の方にばかり来るものでない』と言って開墾事業の視察に行っては実物で話された。これは盥の教訓と言われて名高い話である。」この教訓は、推譲の理を分りやすく説かれたものである。

2 椀(わん)の水の原理 
 二宮金次郎は常に門人に語るに、
『私の巡回は、全く村民に勉強の習慣をつけさせたいという趣旨から来ている。これを、たとえると椀の中に箸(はし)を入れてまわすと、始めは箸だけまわって水はそのままだが、しばらくすると水もまわり始め、水のまわる勢いがだんだん強くなると箸はまわさなくても自然と水の勢いのために箸がまわるようになる。私が村を巡回する趣旨もその通りで、始め村民は惰弱の者があっても自然と感化されて勤めるようになるから早起きをして巡回しているのだ』と言われた。

2008年07月14日
「致知」2008・7に島精機製作所の島正博社長の「限りなき前進」という対談が載っている。
島精機は工業用編み機で世界シェア6割を超えるエクセレントカンパニーである。

島社長の祖父と父は建具商(障子・襖)を経営していた。
1942年父が召集され戦死した。5歳の時だった。
母が手袋編み機で手袋を編んで生計を立てていたが、1945年の和歌山大空襲で工場も家も失った。祖父母と母と妹2人とバラックに移り住んだ。近くの土地を畑に改良し、糞尿をまいて野菜を作って、一山10円で売った。ところがよそでもあれなら自分でもできると家庭菜園を始めて売れなくなったから、採れた野菜をテンプラにして加工して売った。具も野菜だけだとあきられるからと、エビを混ぜたかき揚げやキスなどの魚をあげて喜ばれた。釣り方一つにも工夫し一日600匹も釣れる日もあって、ご近所にも配るほどだった。
すると後日「うちのいただきものです」と分けてくださったり、お得意先になってくれる。
そうした経験から「先に人を喜ばさないと物事はうまくいかない」というgive and given の人生哲学を得た。

「別の言葉でいうと『たらいの水』です。
たらいの中の水を『give 』の精神で『どんどん儲けてくださいよ』と押し出すと、向こうの水位が上がる。そうすると、溢れ出た水がこちらに返ってくるのです。
社員の皆さんには、これが生産財メーカーとしての当社の基本姿勢であると常々繰り返してきました。」

1962年、森精機から手袋編み機の製造設備を譲ってもらって島社長は24歳の時、島精機製作所を立ち上げる。
創業3年目に危機が訪れる。
自動編み機を開発して販売していたが、加工精度が伴わず途中で止まるなどして返品が続いた。
借金も6千万円で60万円の手形を落とすことができず、倒産寸前になった。
県の経済部長が中小企業の経営者で太っ腹な人を探してこいと企業診断員に命じ、大阪の上サコ社長が風呂敷に100万円を包んで決済日の前日訪ねてきた。
「これだけでは足りないかもしれないが、役立ててください。
返済はお金ができてからで構いません。」
ありがたくて涙が出た。
100万円貸してもらって寝ているわけにいかない。
その日から31日の大晦日まで丸1週間一睡もせずに立ちっぱなしで働いた。
「絶対できる」「負けてたまるか」そんな気力と精神力だった。
31日、スイッチを押すと2分15秒後にポンと手袋か完成した。
全自動手袋編み機の完成である。
「定価は30万円、手付金として1台10万円、10台のまとめうりしかしません」と言ったところ6社から注文をもらって、600万円。
2月4日の全国発表会ではその場で100台、出荷までに600台の受注があり、一気に借金は解消した。

創業5年目にはニット編み機に参入し、右肩上がりで売上げをのばした。
ところが1973年のオイルショックの頃、繊維業界全体が不況になって、編み機の受注のキャンセルが続いた。労働争議や特許権侵害の裁判も続き、当時の専務が自殺してしまった。

ここで私が現状に振り回されている右往左往したら、本当に会社は駄目になる。従業員と家族を守らなくては、そういう思いでひるむことなく立ち向かった。

事業をしている人は会社を大きくしたいとか、利益を上げたいと思うでしょうが、
まずは「give and given」の精神で、業界の発展に尽す、資源を無駄にしない、あるいはお客様に喜んでもらう。
そういうことを一生懸命やり続ける社員が多いほど、結果として会社は大きくなり、利益も上がるものだと思います。

社員には常に向上心を持て、自分でいいと思ったら、どんどんチャレンジしてもらいたい。
前向きにチャレンジしている限り、NOと言いません。
私もずっとものづくりしてきたので、「これはアカンな」というのが分かっても、額が大したものでなければ何もいいません。
失敗は成功の母、一度失敗したら次は失敗しないように考えるはずです。
できる方法を考えて挑戦して失敗したなら怒りませんが、やろうともしないで「できないと思います」と言うのは論外です。
以前、あまりにもみんなができないということを証明しようとするので「不可能」というページを辞書からちぎったことがあります。
「うちには不可能はないんだ」と。

私は壁にぶつかったとき、それこそ夢の中でもずっと考えています。
だいたい夢に機械が出てきて、問題解決できた時は、大きな発明につながりますね。
よく成功した人が「自分は運がよかった」と言いますが、それはチャンスが巡ってくるまで諦めずに努力したからだと思います。

何しろ地球は一日一回転しています。昨日と同じことをしていたらその分遅れてしまいます。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019年10月12日 05時53分26秒
[尊徳先生の世界] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.