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カテゴリ:遠州の報徳運動
「翁の余徳」20ページ目
〇 嗚呼光陰矢よりも疾し矣。錬精翁没してより既に三旬余日沐浴捻香しつつ悲惻の余り不文を顧みず自ら墓表を撰み之を石に勒せんとするや、武后(*)が鋳像の挙に俲(なら)い且昼夜職工を督し寝食相廃するに至るも自ら労を知らず。然り而して翁の徳行及系統子孫の如きハ他日三遠農学社内に一大建碑の計画あれば今敢て悉く之を録せず。只其一隅にして止む。本日室明の忌日に当り遠邇(えんじ)の高僧徳士を招き法会を営むと同時に翁が生前の同志者を聘(へい)し聊(いささか)落成の式を挙ぐ。但事倉卒(そうそつ)にして百事調はざるは翁が遺徳に対して深く愧(はじ)る処なり。尊霊其れ之を宥(ゆる)せ。 明治三十一年二月十六日 松 嶋 十 湖 *則天武后は死後、夫の高宗帝と同じ場所に埋葬され、陵墓の前には「無字碑」が残された。無字碑全体は一つの巨石からなり、その高さは八m、幅は二m、碑は細かく彫刻されてはいるが、碑文は一字もないことで広く知られる。 〇練精翁の建碑式に 霜雪をしのぎて咲きし梅の花 💛さすがに十湖の文である。他の者が当時正式の書類に用いたカタカナの地では。なく、ひらかなで、しかも文章を飾らず、現代でも読みやすい。 「翁の徳行及系統子孫の如きハ・・今敢て悉く之を録せず。」 これは松嶋授三郎の「無字碑」を建てようとしたのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年04月09日 03時03分12秒
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