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カテゴリ:報徳記&二宮翁夜話
福本先生一代記
一、二 三、四 五 先生始めて二宮先生に謁したまふ事 小田原町創立の年なりしが、天保十四年(一八四三)八月先生、小島屋忠次郎に伴はれて江戸に至り、某町小田原候の邸にて始めて二宮先生に謁したまひける。 これより先、小田原町の人々は江戸に至る毎に二宮先生を問ひ安じ参らせけるが、二宮先生もまた喜びて見えたまひける。 先生の謁したまひし時、門人凡そ十四五人机を並べて坐しけるが其の首席は相馬候の家臣富田高慶氏、次席は戸田候の家臣波多八郎氏にて湯本なる福住正兄氏にも其の列の中にありき。此時、二宮先生は自から鏡に向ひ髪を理(おさ)め居たまひしが理め終りて接見したまひ先生を顧みて何業なりや」と問はせたまふ。先生答へて「菓子職なり」と云ひければ先生「菓子の菓と因果の果と違ひありや」と問ふ。福住氏答えて「艸冠のあるとなきとの違ひあり」と云ひければ、先生「されど音同じくして形もまた似たるに非ずや」正兄氏答ふ。「然り」とここに於て先生を顧みて説きたまふやう。 何事にても第一に肝要なるは形にぞある。形似ざれば精神の同じきを顕はす。此の故に人若し我が道を修めんとならば先づ形より入らざるべからず。 云々と斯くて先生は此後も屡々先輩に伴はれて二宮先生を訪ひ参らせけるが、一年竹本屋幸右衛門と共に二宮先生に見たまひて金弐分入用と記せしに至り、「是は何の入用なりや」と問はせたまふ。幸右衛門「世話人の入用なり」と答へければ二宮先生声を励まして「其方共の身分として彰道院様(小田原先君)の御仕法を勤むるは勿体なき事にあらずや。さらば其方共の家、之が為め五代や十代潰るるとも可ならずや」と云ひたまふ。幸右衛門返す言葉もなくて黙しけるとぞ。 六 先生一戸を構へ独立したまふ事 弘化元年(一八四四)先生年二十八歳になり給ひければ先生の兄久蔵氏男子独立の時至りぬとて、先生に資本二十両を分ちあたへぬ。小田原町報徳社之を聞きて前年の約を履み、金十両を貸与へぬ。先生すなはち隣町なる新宿町へ一戸を構へぬ。されどこの頃一戸を創むる事を許さざりしかば或る潰れ門を継ぐこととなしぬ。是れ即ち福山家なり。 先生すでに一戸を構へ独立することとなりければ、如何なる方針にて生計を為さんかと考へたまひ、一日試みに資本金三十両を一割利倍の法に依りて六十年間積算しければ其額九千一百二十四両となりけり。よりて思ひけるやう、この金商売に用いて一たび失ひなば取戻さんこと容易ならず。若かず、己れは労力に食みて此金は他に預け利倍増殖を謀らんにはと。ここに於て兄久蔵氏を訪ふて「此金一割にて預り賜はんや」と云へば、久蔵氏一割ならば我等何程にても預るべし」と答ふ。さらばとて之を久蔵氏に預け、先生自からは日傭を受けて前の如く菓子を荷ひ近郷を売り歩るき。又は煎餅を焼きて居たまひける。 此頃先生、生活の有様如何にと云ふに間口三間の店半ばを借りたまひ、出る時には錠を下ろして出で帰る時には錠を開らきて入り、朝夕の食事は兄の家にて為したまひぬ。 斯くて一か年を経て計算をなせしに金銭にて剰す所あらざれども、下駄傘を始めとして必要に応じ、器具を買調へたるもの凡そ七両あまりありけり。此の金額は正しく一年間にまうけ出したる訳にてあれば、今は妻を迎へたりとて養ひ難きにもあらず。況(まし)て妻とて坐して食するのみにはあらざるべしとて或る人の媒するにまかせ、明けの年(一八四四年、先生二十九歳)四月同駅大工町なる何の某の女を娶りたまひける。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年04月26日 12時48分28秒
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