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2020年06月17日
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ゴンジャはリジューの聖テレサにちなんでマリア・テレサという新しい名前を選びました。

マリア・テレサ自身は
「マザー・テレサという私の呼び名は、アビラの聖テレサに由来しているのか、ですって?
いいえ、とんでもない。
私は自分のことを、あの大テレサにちなんで名乗ったことはなりません。
リジューの小テレサにちなんで、名乗っているだけなのです。」

リジューの聖テレサとアビラの聖テレサとはどのような人物なのか?

リジューの聖テレサ

リジューの聖テレーズ(フランス語:Thérèse de Lisieux, 1873年1月2日 - 1897年9月30日)
あるいは幼いイエスの聖テレジア、小さき花のテレジアは、19世紀フランスのカルメル会修道女。本名はマリー・フランソワーズ・テレーズ・マルタン。修道名は「幼きイエスと尊き面影のテレーズ」。カトリック教会の聖人にして教会博士の一人。若くして世を去ったが、その著作は今日でも世界中で広く読まれる。

テレーズはフランスのアランソンに生まれた。父ルイは時計屋を営み、母ゼリーは腕のいいレース職人だった。マルタン夫妻は、修道士・修道女になる望みを持っていたことがあり、ともに信仰あつく、仲が良かった(のちにともに列聖される)。夫婦の間には9人の子供が生まれたが、結核などのために4人が夭逝し、5人の娘たち(マリー、ポリーヌ、レオニー、セリーヌ、テレーズ)だけが成長することができた。テレーズは末っ子で、感受性が強く、誰からも愛される子供だった。
テレーズが4歳のときに、もともと体が弱かった母が病死、テレーズが9歳のとき、それまで母親代わりを務めていた次姉のポリーヌがリジューのカルメル会修道院に入った。この頃からテレーズは、修道女になりたいという希望を繰り返し訴えるようになる。
テレーズは10歳のとき、突如体調不良を訴えた。ノートルダム教会に9日間のミサを捧げてもらい、姉たちもテレーズの聖母像の前にひざまずいて祈っていた。聖霊降臨祭の日、テレーズは聖母像が微笑むのを目撃した(ほほえみの聖母)。直後、テレーズは全快し健康になっていた。

『この地上には何の救いも見い出せなくなった哀れな幼いテレーズは、「天国のおかあさん」(聖母像)に向かって一心に憐れみを乞い願いました。・・・ すると突然、聖母の姿がそれまで見たことのないほど美しくなり、顔立ちにはえも言われぬ優しい表情が現れました。しかし私の魂の奥まで届いたのは、うっとりするような心奪われる聖母の微笑みでした。その時、私の苦しみのすべてが立ち消え、大粒の涙があふれて静かに私の頬を伝って流れました。その涙は、純粋な喜びの涙でありました。・・・私は思いました。"ああ!聖母が私に微笑んでくださった、何と幸せなことだろう・・・"と。』(『ある魂の物語』原稿A、26ページ)

テレーズが16歳になり、司教が修道院入りを許可したため、テレーズは1889年4月にカルメル会に入会、「幼きイエスのテレーズ」という修道名を受ける。1890年9月8日、最初の修道誓願を宣立したテレーズは、修道名に「聖なる御顔(尊き面影)」(la Sainte Face) という言葉を付け加えた。
もともと体が弱く、家族から結核菌を受け継いでいたと思われるテレーズは1896年4月に喀血。そのまま病勢が進み、1897年9月30日に姉たちに見守られながら24歳で亡くなった。彼女は海外宣教に強い関心があり、インドシナ宣教の望みがあったが、それは果たされなかった。

テレーズが死の直前に「私は地上に善を為すために天での時を過ごしましょう。私は天から薔薇の雨を降らせましょう。(Je veux passer mon ciel à faire du bien sur la terre.Je ferai tomber une pluie de roses.)」と言い残したように、死後、彼女のとりなしによって多くの奇跡(病気の治癒、回心など)がもたらされた。それは現代に至るまで続いている。
死後、自叙伝が出版されたことでテレーズの名がフランスのみならず、ヨーロッパ中に知れ渡り、その親しみやすい思想によって人気が高まった。1914年6月10日、教皇ピウス10世はテレーズの列聖調査を進める宣言に署名した。ベネディクトゥス15世は、通常死後50年たたないと列聖はできないという条件を、テレーズに限って特別に緩和することを決定、これは異例のことであった。1925年、テレーズは死後わずか28年にして教皇ピウス11世の手で列聖される。
リジューのテレーズは病人、パイロットや花屋、宣教師、ロシアの他に、子どもや弱い者の守護聖人になっている。彼女はジャンヌ・ダルクに次いでフランスの第2の守護聖人とされ、宣教師のために祈っていたことから、1927年には海外宣教者の守護聖人となった。
テレーズは自分の天職を「愛」であると語っており、修道生活においても、人の欠点をゆるすこと、他人に惜しみ無く愛を与えること、人に譲ること、誤解されても相手を責めないこと、批判されても甘んじて受けること、苦手な相手のためにも愛をもって祈り善行をなすことを「完徳」への第一歩であると見なしていた。

〇アビラの聖テレサ(ラテン語表記:Teresia Abulensis、洗礼名 Teresa de Cepeda y Ahumada,1515年3月28日 - 1582年10月4日)は、スペインのローマ・カトリック教会の神秘家であり、修道院改革に尽力した人物。カスティーリャのアビラ(マドリードの北西53マイルのところにある)で生まれた。カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人。

彼女は、父、セペダのアロンソ・サンチェス勲爵 (the knight Alonso Sánchez de Cepeda)、そして母のベアトリス・ダビラ・イ・アウマダ (Beatriz d'Ávila y Ahumada) による教えを受けて、非常に信仰深く禁欲的な理想をしっかりと植え付けられていた。

"アビラの聖テレーズ"の名でも知られるイエスのテレーズ(1515-1582)は、 ある日、エンカルナシオン修道院の回廊に通じる階段の途中で 一人の幼い男の子とばったり出会い、いきなり"名前は何ていうの?"と聞かれます。
突然のことにひどく驚きながらも"イエスのテレーズよ"と答えると、 男の子は満面の笑みをたたえながらこう返します。"じゃ僕は、テレーズのイエスだ"
『私のためにこれほどまで小さくなられた方を、恐れることはできません。 ・・・私は彼を愛しています!・・・なぜなら、彼は愛と憐れみ以外の何者でもないのですから』 - 手紙266番より

テレサは聖者の生き様に魅了されて、少女時代に何度か家出をし、荒野の殉教地を探した。1534年のある朝、問題児の収容施設をこっそり抜け出して、彼女はアビラにあるカルメル会の御托身女子修道院に入った。
修道院では、彼女は病気に苦しんだ。病気の初期には、彼女は信仰書『信仰入門書』(Abecedario espiritual) を読む中で、崇高な宗教的恍惚感を繰り返し経験した。
彼女は闘病中に自分は「回想」という最も低い段階から「平和への献身」もしくは「(神との)合一への献身」という段階まで引き上げられ、それは完全なる恍惚感の一つであると告白した。これは頻繁に鮮やかな「涙の祝福」を伴うものであった。
彼女は人間の生まれながらの完全な無力さを意識することが、神への絶対的服従の必要性につながるのだと考えた。

彼女はその時、カルメル会女子修道院を創立し、それまでの修道院のだらしなさを改革しようと決心した。
1563年5月、テレサが新しい修道院へと移転した時、彼女は明らかな貧しさと豊かさの拒絶という最も重要な原則について、教皇の支持を取り付けた。その原則を彼女は「規約」という形で明確にするようにしていった。
1567年、彼女はカルメル会の長、ルベオ・デ・ラヴェンナ (Rubeo de Ravenna) の特別な許しを得て、彼女の指示で複数の新しい修道院を創立した。そしてこの努力を続ける中で、後に彼女はほとんど全てのスペインの地方を訪問する長い旅を行った。これらの旅を続ける中で、彼女は『創立の書』を著した。
1576年、テレサやその友人たち、そして彼女たちの改革に対抗する旧来の保守的なカルメル会の修道士たちの側から、一連の迫害が始まったが、数年の後、ついに彼女の判決がスペイン王フェリペ2世の書面によって通告され、彼女は安堵を得ることができた。
教皇グレゴリウス13世の簡潔な声明文は、跣足カルメル女子修道会の新しい支局に対して、特別な管区長を置くことを許可した。彼女は1582年の10月4日から10月15日の間の夜に亡くなったとされる。彼女の没後40年がたって、彼女は列聖された。教会では彼女を「天使のような修道女」として崇敬している。


教皇ベネディクト十六世の257回目の一般謁見演説 アビラの聖テレサ

親愛なる兄弟姉妹の皆様。

アビラのテレサは1515年、スペインのアビラで生まれました。本名はテレサ・デ・アウマダ(Teresa de Ahumada)です。 彼女は自叙伝の中で幼年時代のいくつかの出来事に言及しています。テレサは「神を畏れ、徳に満ちた両親」から、9人兄弟と3人姉妹の大家族の一人として生まれました。9歳にもならない幼いときからすでに幾人かの殉教者の伝記を読むことができました。殉教者の伝記は彼女に殉教への望みを抱かせました。そこで彼女は殉教者として死んで天国に行くために家を出ることまで考えました。幼いテレサは両親にいいました。「わたしは神を見たいのです」。数年後、テレサは幼いときの読書について語っています。そして自分は真理を見いだしたと述べます。この真理を彼女は二つの原理に要約しました。第一は、「この世に属するものはすべて過ぎ去ること」、第二は、神のみが「永遠に、永遠に、永遠に」存在することです。

20歳のとき、アビラのエンカルナシオン修道院に入りました。修道生活を始めたテレサは、イエスのテレサの修道名を名乗りました。3年後、重い病にかかり、4日間の間、昏睡状態に陥り、ほとんど死んだかのように思われました。
テレサは自分の病との戦いは、弱さと神の呼びかけにあらがう心との戦いでもあると認めます。

1554年の四旬節、39歳のとき、テレサの自分の弱さとの戦いは頂点に達しました。たまたま「傷にまみれたキリスト」の像を見いだしたことが、彼女の生涯に深い刻印を残すことになります。
「突然神の存在がわたしに迫ってきて、神がわたしのうちにおいでになる、またはわたしが神のうちに完全に沈められていることをまったく疑うことができませんでした」
テレサはカルメル会の改革の理念を具体化し始めました。1562年、テレサはアビラの司教アルバロ・デ・メンドサ(Alvaro de Mendoza)の支援を得て、最初の改革カルメル会修道院をアビラに創立しました。その後間もなく、カルメル会総長ジョヴァンニ・バッティスタ・ロッシ(Giovanni Battista Rossi)の認可も受けました。その後の数年間、テレサは計17の新しいカルメル会修道院を設立し続けました。
1568年にアビラ近郊のドゥルエロに最初の跣足カルメル会修道院を創立しました。1580年、テレサはローマから改革カルメル会のための免属管区を設立する認可を得ました。これが跣足カルメル会の出発点となります。テレサは地上の生涯をこうした設立活動を行っている最中に終えます。
1582年にブルゴスのカルメル会修道院を設立した後、アビラに帰る途中の10月15日、アルバ・デ・トルメス修道院で亡くなりました。つつましく次の二つのことばを繰り返し唱えながら。「ついにわたしは教会の娘として死にます」。「わが花婿よ、今こそ御身とまみえる時です」。

テレサの深く複雑な霊性を短いことばでまとめるのは困難です。いくつかの本質的な点を述べたいと思います。第一はこれです。聖テレサは、福音的な徳があらゆるキリスト教的生活と人間生活の基盤であることを示します。とくに富からの離脱、あるいは福音的な清貧です。これはわたしたち皆にかかわります。また、互いに愛し合うことです。これは共同生活と社会生活に不可欠な要素です。へりくだりとは、真理を愛することです。決断は、キリスト教的勇気から生まれます。テレサは、神への希望は、生ける水への渇きだと述べます。人間的徳も忘れてはなりません。すなわち、柔和、誠実、謙遜、親切、快活、教養です。第二はこれです。聖テレサは、聖書の偉大な人物に深く親しむとともに、神のことばにしっかり耳を傾けるよう指示します。聖女が親しみを感じたのは、何よりも雅歌の花嫁と、使徒パウロであり、また、ご受難のキリストと、聖体のイエスです。

聖テレサにしばしば見られるもう一つのテーマは、キリストの人間性を中心とすることです。実際、テレサにとって、キリスト教的生活はイエスとの個人的な関係です。イエスとの個人的関係は、恵みと愛と倣(まな)びを通じて、イエスとの一致において頂点に達します。

親愛なる兄弟姉妹の皆様。イエスの聖テレサは、あらゆる時代の信者にとってキリスト教的生活のまことの教師です。しばしば霊的な価値を欠いた現代社会にあって、聖テレサはわたしたちに、神と、その現存と、その働きをうむことなくあかしすることを教えてくれます。聖テレサはわたしたちの心の奥深くにおられる、神への渇きを本当に感じることを教えてくれます。神を見、神を尋ね求め、神と語り合い、神の友となりたいという望みを本当に感じることを教えてくれます。





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最終更新日  2020年06月17日 02時46分07秒
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