全て
| 報徳記&二宮翁夜話
| 二宮尊徳先生故地&観音巡礼
| イマジン
| ネイチャー
| マザー・テレサとマハトマ・ガンジーの世界
| 宮澤賢治の世界
| 五日市剛・今野華都子さんの世界
| 和歌・俳句&道歌選
| パワーか、フォースか
| 木谷ポルソッタ倶楽部ほか
| 尊徳先生の世界
| 鈴木藤三郎
| 井口丑二
| クロムウェル カーライル著&天路歴程
| 広井勇&八田與一
| イギリス史、ニューイングランド史
| 遠州の報徳運動
| 日本社会の病巣
| 世界人類に真正の文明の実現せんことを
| 三國隆志先生の世界
| 満州棄民・シベリア抑留
| 技師鳥居信平著述集
| 資料で読む 技師鳥居信平著述集
| 徳島県技師鳥居信平
| ドラッカー
| 結跏趺坐
| 鎌倉殿の13人
| ウクライナ
| 徳川家康
カテゴリ:広井勇&八田與一
第60信(英文 封書) 内村鑑三日記書簡集第5巻p112-4
〔札幌 宮部金吾あて 米国エルウィンより〕 1885年(明治18年)1月7日 ペンシルベニヤ州エルウィン、ケルリン博士方にて 親愛なる金吾 この国、その科学と哲学と宗教とはお互いの喜びと慰めだったこの国から、この手紙を書くことをうれしく思う。怖ろしかった1884年は過ぎ去って、新しい年が、はるかにまさる前途の希望と共にやってきた。家を去って1万マイル、僕は今、故国におればすっかり取り囲まれているだろうと思われる怖ろしい光景に対して、つんぼになり、めくらになっている。 愛する友とまた家の よろこび遠く後にして 人生至高の召しにつれ 巡礼のごとさまよえば 神、わが暗をかがやかせ わが冬に花さかせたもう この人生の試練は薄い外皮に過ぎず、神の摂理はいたるところにそれを破る。1884年の最後の日の夜、僕はただ一人自分の室で、自分の将来を想い、自分の将来を想い、自分の過去をふり返った。去年の実に生涯中の一番きびしい年だった。大あらしに吹き飛ばされてこの地にきたり、失敗と失望にみちみちた「古き年をば鐘もて」送ったのである。第一に自分はなんたるもろい人間なんだろう!最善を捧げて神に仕うべきだのに、なんたる大きな誤りに陥ってしまったことか!何たる悲惨、何たる悲哀ぞ!神よ、われをさぐりしらべたまえ。わが心は、かつて、「象牙のベッド」、あるいは「肥えたる牛」、あるいは「胡弓のひびき」にひかれしことありや、僕がこうつぶやいていた時、天来の風が心にふれて、はっきりした声が聞こえた。 律法の要求をみたし得るものは なんじの手のはたらきにあらず と。「つぶやくのを止めよ、わが魂よ」、と僕は叫んだ。 「なんじは、ルーテルのごとく、なんじのわざをもってなんじ自身を義とせんと試みつつありしなり」。 「信仰による義人は生きる」。 「十字架上のイエスを仰ぎ見よ、彼に頼れ、彼によってなんじ自身を潔めよ、しかり、ただ彼によって」。 僕は涙にむせんだ。自分の最善を試み、かつ正しい意図をもってしたのだから、自分は間違っていない、と一人で考えていた。ノー。僕は何から何まで不義だったのである。キリスト・イエスにある神の御恵みのゆえに、神に感謝しまつる。 兄弟よ、僕にとっては、この世は無きにひとしい。キリストを知ることによって、僕は栄光の冠をつぐことができる。今、僕はシメオンと共に、主よ、しもべを安らかにゆかしめたまえ。そはわが目はなんじの救いを見たればなり、ということができる。兄弟よ、君は僕を知りつくしている。僕の弱った身体が、再び君をこの地上で見ることを許さないということはまずあるまいと思う。しかし、兄弟よ。ドーか、君のためにしばしば涙を流し、自分自身よりも多く君を愛する弱き友をおぼえてくれたまえ。万一僕のなき後には、どうか弟を世話して、僕が言葉につくせぬ心配をかけた僕の善き両親を安心させ得る者にしてやってくれたまえ。君の精力を、僕の喜びまた望みなる愛する札幌教会のためにそそいでくれたまえ。次の僕の野心をみたしてくれたまえ。すなわち誰かが札幌教会の事蹟を書きつづる際には、その熱心な支持者の中に、J・K・U〔内村鑑三〕の名を加えることである。この《遺言》をのこして、僕は勇んで自分の仕事につく。 この手紙の住所へおちついたことを君に報告することをうれしく思う。(略)ここでたくさんの善い友を得たが、札幌に残してきた「サボテンめ」〔宮部金吾〕 のような者は一人もいない。太田〔新渡戸稲造〕は150マイル程はなれたボルチモアにいて、広井〔勇〕はセント・ルイスにいる。 (略) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年07月06日 04時21分16秒
[広井勇&八田與一] カテゴリの最新記事
|