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2020年07月24日
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カテゴリ:尊徳先生の世界
飯と汁木綿着物は身を助く 其の余は我を責むるのみなり
二宮尊徳は相馬藩から復興の依頼を受け、相馬藩180年の貢税を調べ分度を定めた。相馬藩は最初山村の草野村に仕法開始を依頼した。尊徳は「仕法の道は善を賞し不能を教えることを主とする。仕法を行う場合も領中で一番善良な村から行わなくてはならない。領中の模範となるような村に仕法を実施すると、たとえば縛ったたきぎの束に一本のたきぎを打ち込むとき、しまって全部が堅固になるようなものだ。これが一を挙げれば全部が挙がるという道理である。今、領中で惰農の貧しい村から、実施することは前後を間違えている。しかも草野村は城下から30キロほど離れている。私の方法で興せない村は無いが、草野村から始めれば費用もかかり、全村が良くなるまで年数も数十年かかる。草野村に開業を求めるのは私の仕法を信じ、この道を慕うからではない。」と仕法開始を断った。相馬藩は次に領中の中央にある大井村、塚原村を推薦した。「領中の一番善良な村をよくするのは誰でもできる。大井村は貧村で惰風が極まり、塚原村は田に海水が入り復興することが難しい。二宮の仕法を試してみよう。」先生はまだ相馬藩復興の時ではないと仕法の実施を先延ばしされた。弘化2年相馬藩の家老池田は代官以下を集め進んで実施する者はないかと奮起を促すと、高野丹吾という代官助役が名乗りを挙げた。高野は以前から成田村と坪田村の復興を命ぜられていたが、成果があげられないでいた。そこで両村の農民に二宮仕法を示し、今この道によらなければ復興できないと熱弁を振るった。両村の名主や農民はその熱意にうたれ喜んで歎願しようとなった。高野は歎願の誠意を示すため所有のモミ50俵を差し出し復興の資財とした。両村の農民は感動しその分に応じ米や金を出し誠意を表した。高野は両村の戸数・人口・田畑など調査した資料と共に家老の池田に提出した。池田は大変喜び、高野自身先生のもとに赴き歎願するよう命じた。高野は江戸に赴いた。相馬藩江戸家老草野は高野に会い事情を聞き大変喜んだ。そして二人先生に嘆願した。先生は言われた。「いま両村が誠意をあらわし、領中に先立って仕法を歎願することは賞賛すべきだ。私の道は難村を先にするのではないが、この誠意をとりあげなければ、勧善の道にかけることになろう。その願いに応じよう。」ここに相馬仕法が始まる。高野は数ヶ月先生の元に滞在し仕法を習得した。その年11月先生は高野に懇切丁寧な指示を与え、富田高慶を添え相馬藩に帰国させ仕法を実施させた。その折先生は高野に言われた。「あなたに安全の守りを授けよう。即ち私が詠んだ飯と汁木綿着物は身を助く其余は我を責むるのみなりという歌である。歌が拙いからと軽視してはならない。身の安全を願うならばこの歌を守りなさい。一朝事があったときに自分の味方となるのは、飯と汁木綿着物のほかにない。これは鳥獣の羽毛と同じでどこまでも味方である。このほかのものは皆自分の敵であると知りなさい。この外のものが自分の内に入るのは、敵が内に入るようなもので、恐れて除きなさい。」





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最終更新日  2020年07月24日 12時32分52秒
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